2007年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 2001年 2005年 2009年 2013年 2002年 2006年 2010年 2014年 2003年 2007年 2011年 2016年 2004年 2008年 2012年 |
ここ2,3日で気温が一気に下がったため、夏の終わりに、私がいままでに何度かこの随感録に引用した肥田春充著『根本的健脳法』の序の終わりにある「夜に入って驟雨一過、焼くが如き残暑忽ち去って、秋涼始めて山野を領す」を書く機会を失してしまった。まあ、28日の夜あたりが、それを書くべき機会だったと思うが、その後、こうも低温が続くと、その時の実感がもはや薄れてしまう。
今日は深田口腔顎難治疾患研究所の創立25周年記念式典に伺い、お祝いと若干の実技の解説をする。深田先生のお知り合いの方々は、さすがに話の通りのいい方が多く、私もいろいろと勉強になった。その後は千住で馬貴派八卦掌の指導をされている李保華先生と約3年ぶりにお目にかかる。李先生から御指導を受けた回数はそう多いわけではないが、そのお教えのなかにあった"平起平落"の足づかいは、私の武術に大きな影響を与えて頂いた。また機会があれば李老師のことについて御紹介したいと思っている。
それにしても、最近は本当に歩いていても、いま自分がどこに行くために歩いているのかをしばしば忘れるほど同時進行で考えなければならない事があまりにも多い。
明日は佐渡の鼓童へ行くが、依頼原稿や校正などの宿題をいくつも持っていかねばならない。
このような有様ですから、私に何か御依頼をされた方で、私からの返事をお待ちの方は必ずお電話下さい。
お手紙やメールだけで私からの返事を待たれているだけでは、私の方から御連絡を入れることは決してといっていいほどありませんので…。(そう決めているわけではありませんが、現状の対応に追われ、とても手が回らないのでそうならざるを得ないのです)
以上1日分/掲載日 平成19年9月2日(日)
9月2日に東京を発って、佐渡の鼓童村へ。気温が急に下がったため、汗が内攻したのか31日から体がダルく、体調がいいとはとても言えない状態だったが、技の変化は体調などお構いないようだ。というより、体調がいいと手足など四肢五体を動かしたがるから、かえっていままでの動きが出やすくなってしまうので、何かが敢えて封じているような気もする。
佐渡の国分寺跡は、5月の末に三浦師に案内して頂き大変印象深い場所だったが、それから3ヶ月あまり経って気温も同じくらい、鮮やかな緑も同じで、まるで昨日も訪れていたかと思うほど、記憶にあった国分寺跡との印象がズレていなかったのだが、それだけに技に関する感覚が当時とまるで違うので、何だか自分が自分であって自分でないような、いままで感じたことのない不思議な乖離感があった。
このところの私の感覚の変化というか技の変化の印象を聞こうと、数日前プロボクサーのK氏に来てもらって、いろいろと技を受けてもらったのだが、いままで何度か私の技を受けたK氏も、いま私に起こりつつある感覚には少なからず驚いたようであった。しかし、その事がすでに遠い。
佐渡では三浦師に国分寺、弘宣寺、大膳神社と案内して頂いたが、大膳神社の参道と萱葺きの能舞台には感動した。感動のあまり、宮司さんの許可を得て、ここで抜刀術を奉納。
体のツマリも「ツマッて支えているのだから、やめればいい」、何とかしようとすれば「Aの時にBの1:1対応になるのでやめればいい」、「残業せず皆伸び伸びとやりたいことをやればいい」、「何だ、要するにああこう思い煩わず、伸び伸びやればいいんだ」という事だが、こんな事を1年前、いや3ヶ月ほど前の私が聞いても困っただろう。今言っている私ですら3ヶ月前なら困っているのだから、いま私に何かを学ぼうとしている人達にはずいぶんと迷惑な話ではないかと思う。
しかし、現在の私は殆どの人に「あんな訳の分からないことを言っている狂人は相手にしないでおこう」と言われても、ただでさえいろいろと来ている依頼が減るなら、むしろ有り難いとさえ思うくらいである。
人生五十年と古人は言ったのに、それよりも、もう8年も余分に生きて、最近とみに人生の晩年を感じている私にとっては、もう他の人が言う私の評判など気にするよりも、いかに自分で納得のいく人生を生きていくかに主な関心が移っている。そう思うと、とにかく縁のあった人と向かい合おうと思う。
鼓童では多くのメンバーに関心を持って頂き、私も緑あふれるなかで、いろいろと心遣いをして頂いて、いい時を過ごせたので幸いだった。また折があったら伺いたいと思うが、どういう縁が重なって、また伺うことが出来るのか、いまは全くわからない。
それにしても、この佐渡でアオマツムシの声を聞くとは思わなかった。自然界の生物の分布も年々移り変わっているようだ。
以上1日分/掲載日 平成19年9月5日(水)
9月11日、G社の企画による取材を受けて、最近の技の進展状況について解説する。この日はG社の依頼で同行された格闘家のT氏が、私の解説の聞き手となって下さったので、私も話しながら内容を整理できて幸いだった。
先月の17日に「ああ、やめればいいんだ」という気づきがあり、その「やめる」ということが、意識で「やらなければ」ということからの解放であることに気づきはじめてから、いろいろなことがあったが、9月5日の深夜、というより6日の夜明け前に手指の僅かな動きが全身とつながっていることに気づき、「ああ、すべてのことに意味がある」ということが、かつてない実感をもって感じられ、また更に技が変わった。
そして11日は、その僅かな手指の動きが全身の解放感をもたらすことなのか、逆に全身の解放感が手指の微妙な動きを生むのか、そのどちらともいえることに気づき(ちょうど「鶏が先か卵が先か」のような関係)、解放感はさらに進んだ。
そして、私の片手を相手に両手でシッカリと掴んでもらうのを上にあげる「浪之上」などは、本当に相手がシッカリと掴んでいるのかどうか、私自身よく分からないように上がるようになってきた。その時の全身の解放感と手指の動きの関係は、ちょうど何か「ホッ」としたことがあって微笑するように、肩、背、各部の関節の緊張が解けると顔の表情が緩むことと同じようなことではないかと気がついた。
その他、現在は子供達のスポーツ指導もされているというT氏から、最近の子供達のドッジ・ボールは、足を狙われると、そのまま膝を一気に床につけるようにして沈み込んでボールを捕るのが主流となっているが、これでは膝を床に叩きつけるようになるので、膝にプロテクターを装着しているとはいえ、膝を壊すのではないかと思う、という事で、何かそれに代わるもっといい方法はないだろうか?という相談を受けた。
そこで私が気づいたのは、かつて鹿島神流の剣術を稽古していた頃に行なった裏太刀の確か7本目、「見切剣中体」で、打太刀の前腕部に上から切り込み、打太刀が腕を抜いても、そのまま下まで切り落とした直後、体を沈めて剣先を下段から上段へと一気に上げる剣の使い方。この時の体の沈め方を、足裏をより踏ん張らないようにすると、さらに速やかに沈み込めることが分かり、この体の使い方をT氏から質問のあった足を狙ってくるドッジ・ボールに応用すると膝にプロテクターを着けて一気に沈み込むよりも、さらに早く沈める上、膝を着いていないから相手のボールをキャッチした直後に反撃体勢に入れる事が分かってT氏にも納得していただいた。
そして、そうした事から、またいくつかの気づきがあった。振り返ってみると、8月17日に「やめればいいんだ」という気づきがあって、それから「すべての事に意味がある」ということを実感し、そして『願立剣術物語』の一段目にある「此伝は流るる水の如く少しの時も止むことなき剣術ぞ。たとえば光陰の移り行くが如く、草の萌え出るが如く須臾も止まることなし」が。あらためて身に沁み、足を居つかせないこと、そして膝、腿、腰、背…といった各部を居つかせないことの重要さをあらためて感じる今日この頃である。
しかし、それにしても様々な用件が機関銃を撃ちまくられているように降ってくる。そして、インタビューや対談原稿をまとめたものに目を通すと、相変わらずライターの日本語力の不足が目立ち、これには参る。
いまでも就職は、特に女子大生など厳しいと言われているが、本当に不思議である。なぜなら、もし将来、自分のセンスと才能で生きて行きたいと思っている人で、ライターを志すなら大学などに行かず(行ってもいいが)、本を読み、人の話を聞いて、その要点を掴んだり、新しい見方に感動して、それをどう表現するかの文章力を磨いたらいいと思うからである。好きで、才能があれば、そう難しいこととは、とても思えない。何しろ私のような、凡庸な書き手が、歎くくらいぬるくて甘い世界になってしまっているのだから。
そうすれば、これだけライターの能力が落ちている時代に、いくらでも仕事はあると思う。
もし、その志がある人がいれば、たとえば明日14日(10月は12日)にある池袋コミュニティカレッジの講座とか、10月22日にある読売文化センター自由が丘での私の講座などに出席され、その話の内容を3000字とか5000字にまとめてみて頂きたいと思う。才能のある人であれば、私がいま抱えている、いくつもの企画のライターになって頂きたいし、他にも優秀なライターが欲しいところはいくつもあるので、そうしたところに紹介もしたいと思う。
いままでは、このようなことをこの場に書く事はさすがに控えていたのだが、プロでライターをやっている人達のレベルがここまで落ちてくると、こうして呼びかけざるを得なくなってきた。やってみたいと思う方は、私の講座の要約、あるいは気づいたことなどを適当にまとめて下さい。
ただし、私もいま、とても時間がないので、どれほど長く書かれても、書き出し500字くらいの間に、私に「あっ、この人は違うな」というものを感じさせるだけの文章でなかったら、それ以上は読みませんので御了承下さい。
以上1日分/掲載日 平成19年9月14日(金)
昨日は東洋大学で開かれていた、日本心理学会へ。ここで午前と午後、池田清彦早稲田大学教授、竹田青嗣同大学教授、西條剛央お茶の水女子大学講師といった方々と、シンポジウムやワークショップを行なう。だいたい何人もの論者が壇上で行なうこうした会は歯がゆさばかりが残りがちだが、昨日の会は珍しく面白かった。
そして今日、明日は24日から数日間関西へ行くための荷造りと、〆切間近の原稿書きや校正をしようと思っていたら、それ以外の用件が何件も何件も入ってきて、この間から機関銃を撃たれているような状況の上に、矢やミサイルまで飛んで来たようなありさま。たとえば、昨日受けた私の本の文庫化の件であちこちと電話、桜井章一雀鬼会会長から座談のお話、新しい依頼の話が3件ほど…。 また、先日ライターを公募した形になった随感録の反応が予想外なところからも続々あったり、若手で大変優秀な人材のM氏からの久しぶりのメール、ジブリの広報誌『熱風』の件の打ち合わせ、アメリカで足首の手術が終ったK氏からのメール、先日から気になっているフランスのT氏からのメールなど、すぐにでも返事を出したい、また出さなければならない用件が仕事上も私用含めて20件近くと目白押しで、今日のような典型的な晩夏の夕方を味わっているヒマもないのは残念である。
何しろある用件で電話して、ダイヤルしてから呼び出し音が鳴っている間にもいくつもの用件の事を考えているため、先方が出た時に一瞬どこへ電話していたのか思い出せない事が今日だけで2度ほどあった。さすがにこれはマズイと思う。
今日も1件依頼を断ったが、先方は再度依頼したいような雰囲気もあった。しかし、いま述べたような状況ですから、現在よほど私が納得できる(つまり私から頼み込んでもやりたいような)仕事以外はお引き受け出来ませんので、なにとぞ御了承下さい。
技に関しては、18日久しぶりにA氏と手を合わせ、深く考えさせられることがあった。武術の技というのは相手を崩せたから納得がいくとか、満足できる、という事ではなく、あくまでも自分自身の感覚が自分の動きに納得できるかどうかだ、という私が武術の技に対して抱いている原点をあらためて思い返した。すなわち「肯心自ずから許す」という感覚こそが目指すべきものであり、相手のミスや弱点に付け込んで、相手を崩せたとしても、それはただ、それだけのことに過ぎないという事である。
従って、さまざまな駆け引きを使う戦術的な世界と、無住心剣術や夢想願立が拓いた武の世界とは同じ武事に携わっているとしても、その内容においては別世界といえるだろう。ただ、生身の人間が生きていく上では戦術的対応も必要な時があるとは思う。
しかし、少なくとも稽古という日々の探究のなかでは、より純粋に本当に自分が納得できる動きというものを追求していきたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成19年9月20日(木)
先おとといの20日ほど、各種の依頼や用件が入り乱れて降ってきたことは、さすがに今まではなかった。何しろ午後の9時すぎてからも思いがけない頼みごとが3件、最後の用件のS社のゲラを持ったT氏が来られたのが日付が替わった午前1時頃。ゲラにザッと目を通して、今後の進行予定を聞き、T氏を見送ったのは2時に近かった。
そして21日も、その余波で1日が瞬く間に過ぎた。22日は桐朋の中学高校の保護者対象の講演会で、その後はNHK教育テレビの『こころの時代』の制作スタッフとの打ち合わせを4時間ほど行なう。『こころの時代』のスタッフは、私に番組の中で何を聞くか検討するために、8月の末からすでに数十時間使って私の講座や対談などに張り付いた取材をしている。これが民放だったら事前の取材は念入りな作りでも2回ぐらいだから、桁違いな手のかかりようである。特に主力となっているA女史の情熱には頭が下がる。NHKの存続についてはいろいろ議論もあるようだが、こうした手間をかけた取材姿勢は現在のNHKの機構だからこそ可能なのだと思う。そう考えると、NHKの民放化はやはりしないほうがいいと思う。
テレビといえば、今日も朝から予定が目白押しで、やることに追われていたが、その合間に岡田慎一郎氏が出演した『笑っていいとも増刊号』を観る。岡田氏の達者さは予想していたとはいえ呆れるばかりで、技が出来る上に口達者で、お笑いタレントと五分に渡り合っている様子を見ると、今後爆発的に人気が出るのではないかという予感がした。
よけいなお世話と言えなくもないが、この才人が現在本気で花嫁募集中ということを、プライベートも自虐ネタとして笑いを取ろうとするサービス精神旺盛な岡田氏に代わって、ここで広く告知しておきたい。
以上1日分/掲載日 平成19年9月23日(日)
まったく、いろいろあった3泊4日の旅だった。
まず、24日は名古屋で講習会。ここで18日の気づきが展開しはじめる。かつて信州の江崎氏が体の使い方で、私に語った絶妙な表現、「体の中を追い越し禁止で使うんだと思うんですよ」を思い出し、岩波で出した私の本、『古武術に学ぶ身体操法』の中で、「非常口に人が集中すると、そこで詰まって効率よく人が出られない」と書いた事を思い出し、「ダイヤモンドは、ダイヤモンドと同じ比重の鑑定液の中で浮かず沈まずにいるので、本物と判る」といった、いままでに使った譬えがいろいろと出され、切込入身等が明らかに変わってきた。
25日は、前日の夜入った大阪のリーガグランドホテルから神戸女学院へ。同行は陽紀の他、名古屋からずっと取材継続中のNHKのA女史と、数年ぶりに会ったライターを志願してもらったK大学講師のH氏。神戸女学院へは大学の広報誌の取材を受けるために行ったのだが、取材終了後、図らずも私が内田樹先生から、ここ神戸女学院大学の客員教授就任の要請を、お引き受けした時に、楽しみにしていた事のひとつが叶った。というのは、この大学のキャンパスに初めて来た時から、このキャンパス、岡田山に自生もしくは植樹されている多数の樹木の名称を知りたいと思い、もしこの大学の客員教授の一員になったら、その願いを叶えてもらえるのではないかという思いがこみ上げてきたからである。
木の名前を覚えるのに、「こみ上げてくる」などという表現を使うのは、いささか大袈裟ではないかと思う人もいるかもしれないが、私の場合、木に対する思い入れは特別で、昆虫好きの人が年令を重ねられても、それに夢中になるように(例えば私が知っている方では養老孟司先生や池田清彦先生のように)、その道の専門家から親しく教えを受けられるというのは夢のような話なのである。
内田先生に伺ったところでは、神戸女学院大学には野嵜玲児教授という、その道のスペシャリストがいらっしゃるという事だったので、いつかは…と楽しみにしていたのだが、広報誌の写真撮影中に、かねて合気道部の稽古を通して、よく知り合っていた大学職員のM女史が「もしよかったら野嵜先生に御連絡しましょう」と仲を取り持って下さったのである。お蔭で広報誌の取材が終ってから小一時間、大学内を歩いて丁寧に木々の特徴と名称を教えて頂いた。お蔭で新たにシシャンボ、ヒメユズリハ、ネジキ、イヌビワ、ナナミなどの木の名前を覚え、うろ覚えだったカクレミノが確認でき、クヌギとアベマキの違いが分かり、エノキとムクノキのはっきりした区別法、スダジイとツブラジイの違い、松にも赤松と黒松の中間種があること等々を教えて頂いた。野嵜先生には、この場を借りてあらためて御礼を申し上げたい。
出来ればもう少し詳しく教えて頂きたかったが、京都洛東高校に朝日新聞のオーサービジッドで行かねばならないので、2時前に女学院を出て、京都駅でオーサービジッドのスタッフとおちあい、洛東高校へ。
ここは卓球の現女子チャンピオン平野早矢香選手に私の動きを紹介された、山田俊輔先生(元洲本高校教員で現ミキハウス顧問)の教え子でもある布袋裕彦先生が指導されている卓球部があり、その卓球部からの応募が最終的に朝日新聞のオーサービジッドの対象校となったのである。
ここでの約2時間半は、私も時間を忘れるほど、のめり込んで話しをし、また動いた。というのも、指導の布袋先生が本当に真剣に学ぼうとされていた事と、生徒諸君も実に素直に耳を傾けてくれたからである。お蔭で思いがけない動き方に気づいたが、それが使いこなせるかどうかは勿論わからない。いままでの常識をくつがえす動きは、それを使いこなせれば走り高跳びの背面跳びのように、その世界の技術を一新する力があるが、中途半端に終れば笑いものになるだけである。
しかし、私が出前授業という普通ならカタログ的な実験授業になりがちな場で、そうした場であることを忘れるほど熱中できたのは、やはり布袋先生の情熱があったからだろう。少年少女のスポーツの場合、いかに有効で革命的な方法を呈示しても、指導者に理解がなかったら、まったく意味をなさない。かつてある所で高校生の部員に常識とは違う私の技を体験してもらっていたところ、指導者らしい人物が、驚いて目を見張っていた生徒のところへ近づいて、小声で何かをしきりに話していた。その、私に挨拶もロクにしない白けきった表情から見て、その指導者は生徒達に対する私の影響を何とか薄めるべく話しをしていたのだろう。もちろん、それ以後、そこから招かれることは二度となかったし、招かれたとしても私自身行く気は全くない。
このように、私のやり方を取り入れようとしても、指導者に理解がなかった場合は、ほとんど無効である。中学生や高校生の段階で私の動きを本格的に取り入れようとしても、もしそれが一中学生、一高校生の場合は、その事を公表しないで極秘に練習しなければ99パーセント潰されるだろう。そして、もし公表するからには誰にも文句を言わせないような抜群の成果を見せなければならない。そうでなければ並みの大人ではとても太刀打ちできない論理的思考と説得力のある話術を磨く必要がある。
メディアは面白がって「スポーツ界でいま話題の…」などと私の動きを煽るが、以前にも書いたようにスポーツ界の選手やコーチで私の動きを直接体験しても、その後、その体験を基に興味を育てて、私の講座などに出席される方は千人に一人くらいの率である。
日本人というのは、際立って好奇心の強い民族だというが、このような現状を見ている限り、新しいことに敏感とはとても言えないように私は思う。しかし、興味を持たない者を無理に説得するつもりはない私としては、最近の忙しさもあり、縁があって繋がった人以上に無理やり説得するつもりは全くない。ただ、布袋先生の熱意に打たれ、つい日頃思っている事が思わず出てしまった。
洛東高校を出て、京都駅で帰京するスタッフの人達や陽紀と別れ、私はNHKのA女史と大阪へ。ここで講習会を開かれていた意拳の光岡英稔師の打ち上げに合流。打ち上げでは噂に高い、この講習会の世話人K女史のユニークキャラに、あらためて感嘆した。会の世話人は事務的に有能なことも大事だが、場合によってはその人がいるだけで場が笑いに包まれるという事の方が事務的有能さに勝るかもしれない。K女史によって、そのことを実感し、あらためて脱帽である。
ここでまったく話が変わるが、この原稿の、この部分を"のぞみ"の車中で、ちょうど書いている時、私が約1年前『フォーレ』誌のライターとして知り合い、その有能さに惚れこんだK女史と同行して熊本に行っている新潮社のスーパー編集者、足立女史より『逝きし世の面影』の著者渡辺京二先生が、K女史の依頼の仕事を引き受けて下さったとの連絡が入った。昨年夏に「こんな見事な仕事の依頼文を読むのは一体いつ以来だろう」と感じ入るような取材依頼のメール文の書き手であったK女史と、「足立の前に足立なく、足立の後に足立なし」とまで噂される新潮社の足立女史という、現代日本でこれほどの女性コンビは滅多にないほどの強力な布陣で訪ねられたら、渡辺先生も依頼を受けざるを得なかったと思う。
再び話を戻すと、打ち上げの後、光岡師への取材を入れるため、予定を一泊延ばしたというA女史と光岡師と共にホテルに戻り、光岡師と近況を話し合ってから、私ももう1件の用件のため、ホテルのロビーへ。
そして、すべての予定が終って眠りに就いたのは午前3時をまわっていた。翌日は、11時頃、光岡師とホテルを出て、岡山の光岡師宅へ。積もる話、そして打剣を見て頂き、話の弾んだ流れでいつ以来かと思うほど久しぶりに手を合わせる。想像はしていたが・・・一瞬、その場の壁面や床が歪んで私を包み込むような感覚に驚嘆。そして、その後、気分も体調も驚くほど良くなっていった。
そして、翌日はまったく思いがけぬ事が待っていた。私はいままで何人かの人生をまったく変えてしまうようなキッカケを与えてしまう事が何度か(あるいは何十度か)あったが、また新たにそうした事のひとつになるかもしれない事が起こった。(というより私が起こした)まあ、すべての縁は必然で起こると確信しているが、それにしても…。
三十年以上前に、私にとって憧れの武の先輩であった伊藤氏に「あなたはまわりの人をおかしくする変な才能があるから気をつけないとダメですよ。あなたに深く関わると、いままでの自分でいられなくなってしまうから…」と、ある時しみじみと言われた事をあらためて思い出した。
以上1日分/掲載日 平成19年9月28日(金)
家に帰りついた昨夜から原稿やゲラの海に囲まれている。『三洋化成ニュース』の最終校正、学研のムック本の校正、高橋佳三氏のスキージャーナルの本の中での高橋氏との対談原稿の校正、NHK出版の岡田慎一郎氏の本の中での岡田氏との対談原稿の校正。そのため、T氏には申し訳ないが、桜井章一雀鬼会会長との対談に全く目を通せないでいる。その上に、海外の武道誌や『アエラ』誌からのインタビュー申し込みが入ってくる。
『アエラ』の場合は断ろうと話しているうちに、それが電話インタビューになって、それで済んだようだ。僅かな字数だというので、それで済んだのだろうが、どこまで理解されたかは疑問。内容はどうやら学校体育に武道をいままで以上に取り入れることに対する批判記事のようだったので、私の意見がどう使われるかに不安があるからである。したがって、ここで私の意見を書いておきたい。
まず、いまの子供達の体の使い方の下手さをいろいろ聞くにつけ、体を上手く使うような事を学ぶことは大変必要なことだと思う。したがって、本来なら体力も知力も使う武道を学ぶことはいい事だと思うが、体を上手に動かすために、という事以上に、そこに「日本の伝統を学ぶ」というような効能書きが付くとしたら、「あるある大事典」と同様の捏造とまでは言わないが、事実を曲げている恐れを感じるから、決して賛成とは言えない。
たとえば、現代剣道では常識の、剣道の爪先立った立ち方が唯一無二の「正しい剣道」ということがおかしい。すでに何度も言ってきているが、武蔵は『五輪書』のなかで「足のはこびは爪先を少し浮かすくらいにして踵を強く踏め」と述べ、新陰流でも踵を浮かさないのは鉄則である。
また、現代剣道の胸を張った「いい姿勢」は、明治維新後、旧来の日本を否定し、西欧にあこがれた時期定着した姿勢であることは明らかで、それを日本の伝統というのは如何にもおかしい。柔道にしても、創始者嘉納治五郎がレスリング等も参考にし、力学に基礎をおいた段階で、単純な力学ではとても解釈できない日本の伝統的柔術の発展形とは言い難くなってきている。ただ、柔道や合気道の受け身は、最近転び方の下手な子供が多いし、これは身につけた方がいいと思う。
つまり、武道の稽古になる以前の日常の体の使い方、つまり荷物の持ち方、担ぎ方、ホウキの使い方など、日々の生活の基礎となる体の使い方は是非積極的に教えるべきだろう。そうしないと自分の体重の10分の1くらいの我が子を抱いたり、背負ったりするだけで腰痛や手や肩の関節を痛めているような母親が今後ますます増えてくるだろうから。
さて、明後日30日は仙台での稽古会。そして4日は岡田慎一郎氏に渡した筈なのに、なぜか私も出るハメになったフジテレビの番組の収録。ただ、時間がないのでいくつかのインタビューや企画の打ち合わせを収録しながら受けることになりそうだ。
そして、5日は新潮社主宰の受賞式とパーティーへ。神戸女学院大学の内田樹先生が小林秀雄賞を受けられたので、数々お世話になっている私としては伺ってお祝いを申し上げたいと思っている。
そして翌日は宮崎大学へ。ここでの講演の後、熊本、佐世保と九州で2回講習会。熊本では珍しく距離をとって手裏剣術の実演も出来るので、関心のある方は世話人の加納氏宛てお問い合わせ頂きたい。加納氏への連絡は090-4586-4601にお願いします。
以上1日分/掲載日 平成19年9月29日(土)