2009年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 2001年 2005年 2009年 2013年 2002年 2006年 2010年 2014年 2003年 2007年 2011年 2016年 2004年 2008年 2012年 |
50代の日々もいよいよカウントダウンが数える程になってきた。30代になるときも、40代、50代になるときも別にたいした感慨はなかったが、私の一生が「50代で終わらない」というのは子どもの頃から予想ができなかったから、なんだか自分が自分ではなくなるような気がする。
とはいうものの、ここ数日間の多忙さはそのことを忘れるほど。30日は、筑摩書房に『剣の精神史』の文庫化のための初稿校正ゲラを持ってゆき、今回の大幅な増補改訂では誰よりも貢献をしてもらった宇田川氏と共に編集者のI氏と校正の突き合わせと検討を行う。事前に宇田川氏と打ち合わせをしようと思っていたが、とにかく時間がなくて、2、3カ所電話で確認をとったのみだったため、思いのほか手間取って、4時間くらいかかってしまった。途中、ここ数日ずっと根を詰めて校正していたので、体調がだいぶおかしくなってきたが、とにかくなんとかやり終えて"鉄の会"の新年会へ。
昨年、忘年会は品川で養老孟司先生主催のこじんまりとしたもの(養老先生の他、内田樹、名越康文、茂木健一郎、といった諸氏と新潮社のA女史とM氏、そして私の都合7人だけ)。そして新年会は今回の鉄の会だけだった。鉄の会の忘年会や新年会は、国宝級の文化財の表具などを手がけられている鈴木源吾氏、型紙切りの増井一平氏など、現代日本のトップに立つ職方の方々がよくみえるので、可能な限り出席したいと思っている会だが、今回も鈴木氏から貴重なお話を伺うことができた。他に、この会は初めての漆工芸作家の女性、武術好きの鳶の頭など,多士済々。おかげで崩れかけていた体調を持ち直すことができた。あらためて人間の体調が精神状態に大きな影響を受けていることを再確認させられる。
しかし、とにかく時間がないことには参る。31日は2月1日からの講習会や、神戸女学院での泊まり込みの集中講義のための荷物を作って送り、その後は陽紀と色々必要なものを買いに出る。買い物から帰って、出かける準備やらこれからの様々な予定を確認したり、電話で打ち合わせをしたりしているうちに、午前2時半。今朝、起きて支度の続きをしてあわてて飛び出す。慌てていた為に、今朝の支度で昨夜荷物に入れておいた稽古袴を「なんだ、荷物で送ってあるからいらないのに」と出してしまい、用意した水やお茶(私は緑茶も紅茶も苦手なので、ハト麦や他の穀類、熊笹、クコなどを混ぜた茶を常用している)を忘れてくるという失態(稽古袴は神戸女学院に送ったので、今日の京都での稽古会には持参していかなければならなかったのだ)。その上、中央線はトラブルで動いていないというので、新宿から総武線で秋葉原のりかえで、東京駅に出る。そのため,第一候補ののぞみ19号には間に合わず、21号に。ただ、「まあこうやって人生の税金をあちこちで払っているから、事故や災厄を免れていると思えば、まあ、それはそれでよしとするか」と納得がいってきたので。いろいろ思う事は止めにした。しかし50代の卒業とともに,仕事は極力選んでいきたいものである。
以上1日分/掲載日 平成21年2月2日(月)
5泊6日関西にいて六旬を迎える。多くの方々からお気遣いを頂き、有り難いというより申し訳なさが先に立つ。
そして昨夜、帰宅してみれば、また普段に倍する郵便物やら荷物が届いていて、いまだにまだ封を切っていないものもある。その郵便物の中に、私の講演録らしいものが入っているのを今日夕方見つけ、「ああ、あの秋の講演が活字になったのか」と思って開いてみると、何か様子がおかしい。そこで同封の送付状を読んでみると、来週までに校正して下さいとある。一瞬事態が呑み込めなかった。あらためてよく考えてみると、もう4ヶ月も前に行った講演の講演録のゲラが来たのである。つまり、最近は、あまりにも依頼が多いので、この講演録の製作に私が関わったかどうかが、すぐには思い出せなかったのである。あらためて読んでみると、とてもこのまま人前に出せる原稿ではない。「えーっ、またか…」とガックリ来た。
要するに、この原稿の編集者が、まだ私が全く校正もしていないのに、レイアウトも済ませて送ってきたという事である。おそらく、私の赤入れは僅かだと勝手に判断したのだろう。これが千字くらいならレイアウトしてあっても大した事はないが、今回は2万字くらいある。これを見て、『編集者の心得』というチラシを書いて、取材や講演録を出したいという依頼があったら、必ず渡そうと本気で思った。まず、ここで取り敢えず思いつくだけでも挙げておきたい。
取り敢えず、こうした点は考慮の上、編集に関わって頂きたい。
今回の関西行きは、その前日までの『剣の精神誌』の校正の疲れが溜まっていたところに、精神的に滅亡しつつある現代の日本人を見せつけられる事が重なったためか、今まで経験したことのない腰痛に襲われ、人間の意欲がいかに身体の動きと密接に関係しているかを実感させられた。これから人生の節目を越えて行くのに、今の日本でどう生きていったらいいのか、つくづく考えさせられる。
以上1日分/掲載日 平成21年2月8日(日)
先週と今週にわたって、私が六旬に至ったことに対する祝いが、いろいろな方々から、又何人もの方々の連名で届きました。ここにあらためて祝っていただいた方々に御礼を申し上げます。その年齢に至った事を自覚させられるのは、私としてはあまり歓迎する気持ちにはならないのですが、皆様の御厚情には深く感謝いたしております。
技の方も、今年に入って先月の後半からいろいろと展開があり、17年近く前に気づきました"井桁崩しの原理"が、想像していた以上に意味があった事に気づき、あらためて六面体の骨格構造となる立体井桁モデルに、追い越し禁止を融合させて、新しい術理の展開と技の工夫をはじめています。
現在いくつもの校正が重なり、なかなか技の研究も思うにまかせませんが、同じ言葉も異なった切口で観ると、ずいぶん新鮮に見えることがあります。いま時間に追われて稽古もままならないため、カルチャーセンターの講座の中などでも新しい気づきを得ることがあるかもしれません。講座はもっとも近いものは明日13日の池袋コミュニティカレッジ、来週は18日のNHK文化センター横浜があります。ご関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成21年2月13日(金)
松聲館道場を建てて、すでに30年。そうなると学生時代、私に縁が出来て時々稽古に通い、その後社会に出てユニークな活動をしている人物も出てくる。もちろん、30年も経つなかでは、私と出会い、そのために明らかにその人の人生が変わった人は何人か思い浮かぶ。たとえば、一番ハッキリしている例では、いま武術を応用した介護術の指導で日本中を殆ど暇なく飛び回っている岡田慎一郎氏。他にもバスケットボールの小磯(旧姓浜口)典子選手も、私と会う度ごとと言っていいほど私との出会いを感謝されて、私が恐縮するくらいである。
その他にも思いを巡らせてみると、私がその人の人生に関わってしまい、その人がそれまでとは明らかに異なった道を歩み始めたと思える人は、少なくない。もちろん、私と関わった事で、その人の人生が大きく変わった事が果たしてその人にとって良かったのか悪かったのかは何とも言えないが、その人が今歩いている道をその人なりの手応えを感じながら取り組んでいる姿を見るのは(しかも、それが例えば事業が大成功して収入が増えているなどという事ではなく)、ほのぼのと心暖まるものがある。
昨日19日は、そうした人物の一人ともいえる小池弘人、小池統合医療クリニック院長が数年ぶりにM氏と共に来館。稽古と話で、私も思わず時を忘れた。
群馬大学医学部の学生であった小池氏が私のところに初めて来館されたのは、もう十何年前だろうか。当時合気道部で活動を続けながら、稽古の在り方に悩み、来館されたと思う。その後、稽古の在り様を追求するため合気道の有志を募って同志会を結成。ユニークな活動をされながら、私が剣術から槍、杖、体術、手裏剣術に至るまで、それぞれを関連を持たせて武術としての身体をつくるという方法をとっている事を観て、現代医学の医師としての資格を持ちながら、漢方、ホメオパシー、鍼に至るまで幅広く用いて、医療を施す方法を志したそうである。かなりの期間は普通の病院などにも勤務されていたが、そのユニークな療法は次第に一般病院のなかでは同居出来なくなり、いまは独立してクリニックを構えられている。一般の病院と同居出来なくなった大きな理由の一つは、糖尿病の食事などに糖質をカットした大変有効な方法を行なおうとしても、それが病院の中ではいろいろと差し障りが出て来たかららしい。したがって小池氏は、私がよく言っている「しっかり朝食を食べよう」などという運動は「人間をまるで機械のように取り扱い、自分達が解説できるレベルにまで人間の生命の働きを低下させて辻褄を合わせようとする生命に対する冒涜行為である」という、およそ現代医学や現代栄養学の一般学説とは相容れない言動にもまったく賛意を寄せられる実に頼もしい医師である。
人間の生命というものを生物学的にも歴史的にも少し深く観察し考えてみれば、食料を調達にしに行く前に腹ごしらえをして出かけるなどという、およそ他の生物が行なわない事をすることが身体の為になるなどという事は、大いに疑問が湧くはずである(まあ、朝食をぜひ食べたいという人を無理にもやめさせようとも思わないが)。
何か身体のトラブルを抱えられる方があって、「これを機に人間というものの不思議さを身を以て考えてみよう」という方は、四谷にある私のサイトともリンクしている小池統合クリニックを訪ねられるのも一つの方法だと思う。
小池氏が一味違った医師であるからだろうか。この夜、久しぶりに稽古して、また今までとは大きく異なった身体操作法へと新しい一歩を踏み出した。
まあ、それにしても『剣の精神誌』の文庫本の再校はみなければならないし、2月にあった講演の講演録の校正もしなければならないし、岩波の『科学』誌の巻頭エッセイの校正もしなければならないし、22日23日と名古屋、静岡で続けてある講習会の準備もあるし、来月に入ると、世界的に知られたアーティスト、A・ゲルマン氏の来館も予定されるので片付けもしなければならない。しかし私としてはこういったことよりも、いま新たに進展中の技と術理の検討に、なによりも時間を取りたい。
またこの他に、色々世話になっている方々、様々な祝いの品を送ってくださった方々にも礼状を書きたいし、ほんとうに体がいくつにも割かれそうな毎日だ。
このところ、私の術理の気づきと、それに沿って技がどんどん変化していく度合が、今までになかったくらい激しい。その為か、技が進展している筈なのに、同時になんとも言えない、不安というか、落ち着かなさが大きく心を覆ってくるという、かつて味わった事のない奇妙な心理状態になっている。
それは、術理の気づきが、いままでの常識的なものとあまりに違うので、「よく今まで、これほど違う体の使い方をしていて、平気でいられたものだ」と、まるで今までの自分を不審者を見るような目で見ているようなところがあるからのようにも思えるし、又こんなに頻繁に思いがけない気付きを次々に体験させられて、「私の精神と肉体がもつのかなあ」という思いがあるからかもしれない。
あるいは、もっと大きな社会全体が巻き込まれる「何か」を感じているのか…?
しかし、一度術理の気づきに火が点くと、もはやどうにも止めようがない。
このところ次々と展開している術理の現段階での気づきは、言葉にすれば極めて平凡な、「手や腕がただ本当に動きやすいように邪魔しないで動かす」という事だが、そのために今まで気づいていなかった数多くのブレーキ的動き、互いの利害が対立する身体各部がある事を自覚させられて慄然とする。それらを、どこに最高の折り合い点を見つけて動かし続けるかという事が術と呼べる動きなのであろう。
フト、我に返れば不安にもなるが、一度稽古で探究モードに入ったら、山積みする校正も何も皆、二の次三の次となって、その事に向ってしまう。しかし、稽古が一段落すると山積みする用件がやはり気になるのか、それとも、もっと大きな「何か」に対する恐れを感じるのか、どうにも妙な不安感が募る。このような事は本当にいままで一度もなかっただけに、どうにも落ち着かないが如何ともしがたい。
いま自分に出来る用意は、何が起こるにしても、それと向き合って自らのやるべき事、居るべき場所を見失わないようにする事だろう。
今日、久しぶりに光岡英稔師と会い、大いに共感するところを得て不安感は少し治まったが、何か別の茫漠とした世界が目の前に拡がってきたようで、これから当分、心が休まることは、なさそうだ。
以上2日分/掲載日 平成21年2月21日(土)