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9月の2日、桜井章一雀鬼会会長に関する新刊書『人生の大切なことはすべて雀鬼に学んだ』(神山典士著)が、版元の竹書房から送られてきて、パラパラっと本を開いているうち思わず惹きこまれてしまった。読んでいて、桜井会長が海、それも岩場の海という、ひとつ間違えば命を失う危険にも絶えずさらされているところで、人間が動物としての生きる本能の知恵と感覚を磨くことの大切さを、若者に体で感じるようにと、伝えられているところは、いままでの桜井章一関連の本のなかでも、ひときわ鮮烈に伝わってきた。
この本の御礼もあり、またしばらく御連絡していなかったので、昨日電話でそのことを御家族の方にお伝えした。すると、その数時間後、桜井会長から電話を頂いた。いろいろとお話を伺ったが、あらためて桜井章一という人物の自然観察眼の鋭さと人間の本質を見抜く眼力の凄さに嘆息した。
お話を伺っていて、何よりも感じたのは、桜井会長が一般的に「愛情」とか「優しさ」という言葉で表現されがちな他人に対する感情や想いが、現代ではステレオタイプに使われ、押しつけがましくなっていることへの拒否感と、そうした現在日本中を覆っている安易な価値観に同化されまいとする反骨と独自性を何とか失わずに保ち続けようとされている姿勢である。
これは言葉を換えて言えば"拘り"とも言えると思うが、"拘り"という言葉は執着にも通じる意味があり、そうした執着は桜井会長の最も嫌われることなので、その辺の微妙なセンスというかニュアンスは、分かる人には分かる、と言うしかないだろう。2時間近くに及んだお電話のなかで、桜井会長が最も丁寧に話し続けられた事は人と人との関わりにおける感情の自然さであり、その例として雀鬼会のスタッフのS氏とお孫さんとの関わりを特にたんねんに話して下さったのが非常に印象に残った。
とにかく現代という時代は安全と豊かさがすべてに優先して、誰もそれに反対出来なくなっている。刃物は危ないと言って取り上げ、川も水難を恐れて柵がされ、インフルエンザが流行といえば、その予防に血眼になる。公園でもブランコやジャングルジムが、子供たちが怪我した時の責任をとらされることを管理者が恐れて撤去されはじめている。
そうやって様々な法令や対策で安全が保たれ、生き続けることのハードルが低くなれば、自分が生きることも他人が生きているという実感も希薄になる。その実感の薄さから自傷(リストカット)する子が出てきたり、また、常に何か強制的に生き続けさせられているような現代社会の、うとましさから、訳もなく他人を殺したいと思うような人間も出てくることは、むしろ当然の結果だろう。
とにかく自分達だけは助かろう、都合良く豊かになろうという人間の利己心が、近代になって農業や漁業においても顕著となり、農薬の大量使用、養殖漁業の抗生物質使用などで環境汚染を広げ、結局は自分で自分の首を絞める結果となって、いま我々に返ってきている。
いま問題になっている、大量のミツバチが消えているCCD(蜂群崩壊症候群)もそうだし、この先、我々はさまざな自然の崩壊を経験することだろう。しかし、科学者達はそうなればそうなるほど遺伝子組み換えなどを駆使して、ハチなどの昆虫に頼らない風媒の新しい果樹をつくったり、更には工場内で植物とも動物ともつかない奇妙な生物を作って、「動物性蛋白質も植物性蛋白質も、ミネラルもビタミンも一度に摂取できる夢の食品」などと言い出すような気もする。
そうなった時の人間の精神が、はたして人間と呼べるものかどうか、今は想像もつかないが、私自身そういう時代に生きていたくないことだけは確かだ。これから来る未来社会が実際はどうなるか分からないが、自分が生きていたいとは思わない世の中になって行くのを座視するのも気持ちが晴れないので、せめて私の命あるうちは、そのような農業や漁業の工業化を食い止める方向で活動して行きたいと思っている。
以上1日分/掲載日 平成21年9月4日(金)
最近は、日々さまざまな事を体験するので、以前なら必ずこの随感録に書いただろうという事でも書き落とすことが少なくない。
しかし昨日、今月の19日からの共同セミナーの打ち合わせのため1ヶ月半ぶりに会った森田真生氏の印象は強烈だった。この日、森田氏は私との打ち合わせのメモ書きを作ろうとしているうちに「熱が入ってしまって」と言って20枚ほどある資料を持って来館。その資料のはじめ『この日の学校』に込められた思い、@"数学とは何か、何であるべきか"を読んで嘆息してしまったので、ここに引用しておきたい。
「数学とは計算と論理により、絶対的な真理への到達を志す学問であり、それは一部の天才たちの偉大な仕事に駆動され、じょじょに完成へと近づいていく。」
これが大雑把に言って、私が抱いていた数学に対するイメージであり、私が数学教育を通して身につけた「酷い誤解」の姿である。
これがどのような意味で「誤解」であるか、少しずつ説明していくことにしよう。
文系・理系という分け方があるが、高校時代までの私はそのどちらであったかというと、実はそのどちらでもなく、生粋の体育会系であった。
勉強は授業中以外にはほとんどせず、ただひたすら毎日バスケに打ち込んでいた。
そんな青春を過ごし、頭で考えることよりも身体で感覚することの方を信頼していた私にとっては、数学が目指す「絶対的真理」も、究極的な「完成」も、どうしようもなく胡散臭く思えた。
頭でっかちの天才たちが、その才能をもてはやされながら巨大なパズルを解いていくのはそれはそれでいいとして、そうしたところで人生の本当のなぞ、「わたしたちはなぜ生きているのか」、「なんのために生きるべきであるか」ということには少しも答えられないであろう。
そのように考えていたのである。
その私が、どういうわけか今では数学をしている。
それも一日のうち食べる時間と寝る時間を除いてはほとんど数学しかしていない。
なぜこのように、私の数学に対する態度が一転したかといえば、それはあるとき幸運にも、真の意味での数学に出会うことができたからである。
いまではこう言うことができる。
「数学とはこころの学問であり、その目指すところは己のこころを見つめ、それを整えるということである。したがって計算や論理は数学の手段であってその本体ではない。
数学の本体は、数学的対象にじっくりと注意を注ぎ、その声に耳を澄ませるこころの姿勢そのものにある。そのためには自己自身のうちに数学的現象の世界を生み、育て、それを耕していかなければならない。そのような意味で、数学とは一部の天才たちの占有物などでは決してなく、個々がそれぞれのこころのうちに展開するひとつの内的な世界とそれとの交流を意味する。
したがって数学は職業数学者だけのためではなく、よりよく生きることを志すすべての人に開かれているべき、ひとつの実践であり、方法である。
また、こうした意味での実践としての数学に終わりはなく、したがって完成あるいは完結ということはありえない。」
数学の酷い誤解が解け、私がはじめて数学に出会ったとき、そこにはそれまで目にしたことのない、まったく新たな世界が開かれていた。
そこは、それまで想像しえたどんな広がりよりも広く、どんな自由よりも自由であった。
私は数学に出会えたことをこころから感謝している。
そして、私と同じく数学を誤解しているかもしれない方々の、誤解が少しずつでも解かれることを願っている。
数学の誤解を解くことは簡単ではないが、まずは岡潔のことばに耳を傾けてみるのが一番早いかもしれない。
「わたしは数学をやっています。数学の研究とはどういうことをしているかといいますと、情緒を数学という形に表現しているのです。」
岡潔「いのち」より
この若い才能は、いま"教育"ということにおける学び方に、いままで誰も呈示できなかった真に革命的な在り様を示していると思う。
私は"『この日の学校』in福山に寄せて"の一文を書いたが、書き終えて私の思い入れがありすぎて、かえって伝わりにくい文章になってしまったと思っていたが、その拙さも森田氏の文章に補ってもらったような気がするので、ここに載せておきたい。
この文章は広報・宣伝力の少ない21日の福山のセミナーの応援のために書いたのだが、もちろん、19日、20日の博多でのセミナーでも同じことが言える。
私も今まで奇跡的とも思える程、普通では滅多に出会うことの出来ない人と出会える運だけは人並み外れてあるという事を実感していたが、私と出会った事を"かけがえない出会い"と思ってもらった中学生が、ほぼ10年後に、私が私自身の生涯でも、これほどの出会いは数える程しかないだろうという人物に成長して一緒にセミナーを出来る事を、本当の奇跡のように思うのである。
私の畏友で精神科医の名越康文・名越クリニック院長は森田氏について、「彼は、彼の話を聞いていると、『自分はこんなことも知らなかったのか』と、その知らなかったという事が痛快に思えるという、なんとも不思議な気分にさせてくれる人物」と、森田氏が"教える"という事に関して稀有な才能があることを賛嘆されている。
現在は全く無名ですが、24歳でこれほどの人物が存在するという、そのドラマや小説以上の事実を目で見、耳で聴きたい方は、是非、夢飛脚にお申し込み下さい。
以上1日分/掲載日 平成21年9月9日(水)
技も大きく変わり、その上日々さまざまな事が起こるが、それらが不思議と私の友人・知人の体験とも微妙に関連を持ちつつ、まるで何かある目的をもった籠か何かが編み上げられていく過程を見ているような感じさえする。
ただ、そのいままでにない状況の振幅に体がついていき兼ねているのか、涼しくなったとはいえ、まだ残暑を感じる人も多いというのに、今日は朝から体が冷えて、まるで冬のように着込んだりしたかと思うと、また暑くなって薄着にしたりと、体感温度の変化に振り回されている。ただ、この暑がったり寒がったりする以外は、別に気分も悪くないし、他にこれといって風邪のような症状もないのだから、何とも面妖な体調である。
こんな状態で今週末は九州へ。その後福山。そして四国の稽古会。その後帰宅して2日おいて、また大阪、名古屋、さらに三重の方にまでまわる予定。一体これらの日程がこなせるだろうかとも思うが、いままで経験した事のない体調なので、余計な心配をするより新しい技の経過を見守るような思いで見ていたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成21年9月15日(火)
今日起きると、体調は昨夜とあまりかわらず決していいとは言えない。しかし、良くないと言っても、それは意識している瞬間、瞬間ずっと、その前の身体の記憶や印象を、ご苦労な事に手放さずに持ち続けているからで、切り離せばいいのではないかと気がついた。すると、すぐに体調が良くなったわけではないし、この、まだ初秋の気候にしては普段よりもずっと重ね着はしたものの、起き上がってみると気持ちが今までほとんど味わった事がないほど“晴朗”(つまり清々しく朗らかな精神状態)で驚いた。体調が決して良くないのに精神が晴朗というのは、まず記憶にない。(まあ、強いて言えば病気で何日も寝ていて、よくなりかけた時、少しこれと似た精神状態だった事があるが、今回は、体調そのものは昨夜とほとんど同じである)
この晴朗さは、いま私の技が激変しつつあって体の使い方が、かつてなかった動きを工夫しているのだが、それが間違ってはいないというひとつの証しのような気がして、それも有難かった。
精神においても、技においても、今後さまざまな変化も波風もあるだろうが、とにかく今週末の19日は何とか台風に引っかかる前に九州入り出来ると思う。松聲館を創立してから30年余り、何かのイベントや講習会などで全国各地に出かける時、いままで一度も台風を始めとする天候や事故で間に合わなかったことがない運だけはあるので、今回も大丈夫だろう。
19日、20日のセミナーは森田氏の意欲も高まっているので、長く記憶に残るイベントになると思います。御関心のある方は全教研にお問い合わせ下さい。また21日の福山のセミナーのお申し込みは夢飛脚へ。
そして、最近3日とおかずに変わり続けております私の技の現状を体験して頂くには、22日の四国香川の講習会へどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成21年9月16日(水)
19日に家を出て、今日24日、岡山から新幹線で新大阪に移動している、この車中まで、何かずうっと畳み掛けるようにいろいろあて、この120時間くらいが本当にあった事なのか、夢の中のことだったのか、よく分からないような状態になっている。
19日、20日と博多で、21日は福山で森田真生氏と行なった実験的共同セミナー「この日の学校」は、想像通りといえば想像通りの部分もあったが、その盛り上がりは、特に福山では、予想以上で、いまだ前例のないセミナーに、多くの方が、おそらくいままでにない感想や希望、興味を持たれたと思う。
その後、私は四国香川で武術の講習会を行なったが、8月の末以来の技の進展が明らかに今までとは質の違ったものである事が確認できた。これは講習会中よりも、世話人の守氏に送られてホテルに着いてから濃い動きの検討をした中で見えてきた事なのだが、あらためて『願立剣術物語』で書かれていた事が一段と深く見えてきた気がした。
それにしても、この先どのような世界が私を待っているのか、森田氏と共同セミナーを行なって、今までで一番先が読めない状態になっていることは確かである。
それから、私の技の進展に関心のある方は、明日の朝日カルチャーセンター大阪、明後日の名古屋、その次の鈴鹿の講習会によかったらどうぞ。(ただ、すでに満員の場合もありますので、念のためお問い合わせ下さい)
以上1日分/掲載日 平成21年9月25日(金)
19日朝に羽田空港から博多に入り、当初は、その後福山、香川とまわって23日に一旦は帰ってくるつもりだった。しかし、それでは1日おいてまたすぐ大阪に向かう事になるため、どうしようかと迷ってはいたが、「この日の学校」で、すっかりハイテンションになったお蔭で、体調も何とか持ちそうに思われたので、ずっと旅から旅とまわることにした。幸い、その後も体調は崩れなかったため、予定では27日名古屋から鈴鹿にまわって、鈴鹿での講習会終了後、そのまま帰宅する筈だったが、その予定も変えて、鈴鹿から大阪を経由して三田へと向かい、兵庫県の山中で名越クリニック院長と合流。得がたい体験をして神戸に一泊。そして今日は、名越氏に誘われてNHKの大阪放送局を訪れ、会うべき人に会って帰宅した。
帰宅して驚いたのは、5月にフランスに2週間ほど行って帰ってきた時よりも、ずっと自宅が違って見えた事である。なんだか懐かしいというよりも、「へぇーっ、この家にこれから住むのかー」といった、まるで引越し先に来たような感じになったことである。無論、置いてあるものは記憶にあるものばかりだが、それらが何だか「テレビや写真ではよく見ていたから知っているけれど…」という感じで、じつに不思議な思いがした。
「この日の学校」は、どうやら私自身も変えたようである。これほど私にも影響を与えた「この日の学校」であるが、今後、「この日の学校」を各地で展開するにあたって、その主旨と「この日の学校」の基本的性格をハッキリさせておきたいと思い、今回旅をしながら思い浮かんだ事を書いたものがあるので、ここに載せておきたい。
"この日の学校、ニホンミツバチ宣言"
まず、「この日の学校」、それは「ニホンミツバチのようなものである」という例えが似合っているような気がする。それはミツバチという昆虫が花の蜜や花粉を集めることで、花粉の媒介をして、蜜や花粉を提供してもらった植物に返礼として"みのり"をもたらすように、「この日の学校」は、この学校に関心を持って、出席して下さった方々(つまり、学校存続の糧を提供して下さった方々)に、現代ではほとんど乖離してしまったままになっている観のある、人としての、純粋な学びたいと思う心と、やらなければならないとされている学問(例えば数学などは、その代表であろう)との間を媒介、つまり取り持つことをしたいという事である。それによって学ぶ事そのものに新たな命を吹き込み、学問が、学問本来の目的である、人間それぞれがどう生きていくかを考えるためのものであることを、「この日の学校」によって、気づいていただきたいという事である。それによって、出席して下さった方々めいめいが、その気付きを、各人各様の生き方に、結実させていただければ、それこそが「この日の学校」設立の主旨に適うものである。そのため、「この日の学校」は、出来得る限り世間の常識的な、組織の在り様に縛られることなく活動することが最も大切なことだと考えている。
したがって、ニホンミツバチが置かれている巣箱が住みづらいと判断したら、より自分達が活動しやすい場所を求めて、その巣箱から引越しをするように、「この日の学校」も、これを運営して下さる開催者、開催団体に「この日の学校」本来の主旨と異なった徴候がみえてきた場合、ニホンミツバチに習い、未練なくその巣箱を去って、再びそこに帰ることはないという事である。
住みづらいと判断する理由のひとつは、たとえば「この日の学校」を単なる受験のためといった、本来の学問の在り様から外れたことに利用しようといった意図が、「この日の学校」開催者、開催団体(つまり巣箱提供者)から明らかに感じられた場合などが、あげられる。
もちろん、「この日の学校」をどう利用するかは、この学校に出席された方々の自由であるが、開催して下さる方々が「この日の学校」を立ち上げた我々の思いを理解して下さっていないと判断せざるを得ない場合、継続的に開催することは不可能という事である。そして、その判断は「この日の学校」の根本的存在意義に直接関わることになるので、金銭、情実、縁故等、何ものにも妨げられることがない事をあらためて我々は肝に銘じている。
また、「この日の学校」が、なぜニホンミツバチを手本としていこうとしているかをもう少し詳しく説明をすると、ニホンミツバチは単一の花から蜜を集めるセイヨウミツバチと異なり、百花蜜といわれるように様々な花から蜜を集めるが、「この日の学校」も様々な立場や職業の方々と交流し、そうした方々からこちらも学ばせて頂きたいと思っているからである。
さらに、ニホンミツバチはセイヨウミツバチには見られないグルーミングと呼ばれる毛づくろいをお互いですることにより、ミツバチに寄生するミツバチヘギイタダニを噛み殺し、それに侵されないように身を整えているが、我々もお互いに討議を重ね、妙なダニに取り付かれないように常に自戒していきたいと思っているからである。
そして、すでに述べたが、ニホンミツバチはセイヨウミツバチと異なり、巣箱が住みづらいとその巣に執着せず、サッサとその巣を引き払う性質を持っているが、これはニホンミツバチとは本来野生種であり、飼われることを好まないからであろう。
ニホンミツバチは農薬に敏感で、天敵のオオスズメバチに対しても、オオスズメバチを囲む蜂球をつくって発熱で対抗する知恵と技を持っているが、我々も我々の独自性を守りぬき、それに対する障害には情熱という熱で対抗し、それらの困難や問題を乗り越えていきたいと思っている。
以上1日分/掲載日 平成21年9月29日(火)