2009年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 2001年 2005年 2009年 2013年 2002年 2006年 2010年 2014年 2003年 2007年 2011年 2016年 2004年 2008年 2012年 |
10月31日、11月1日と「内観療法ワークショップイン津軽」で、記念対談を行なうため弘前に行く。対談は予想以上の方々が聴きに来て下さり、また対談させて頂いた大和内観研修所所長・真栄城輝明先生が、私から話を引き出すという形をとって頂いたので大変話しやすかった。
そして、今回は飛行場への送迎をはじめ、修武会の小山氏にはいろいろとお世話になった。
また、今回の弘前行きで印象深かったのは、小山氏の知人S氏から。この弘前の地での民間伝承の現実を聞いたことだった。S氏は青森の有名な夏祭り「ねぷた」などで笛を吹いたり太鼓を叩いたりと、この地に伝承されてきた日本の伝統楽器をいろいろと演奏されている方だが、そうした日本の伝統楽器の演奏法は、近代になって随分と西洋的見地から、もっと見た目のいいようにと改良という名の下の改変がなされて、どんどん正体不明の民間伝承にと変質してきているらしい。S氏は私の武術に大変興味を示され、いま民間に伝承されてきた演奏や踊りがどんどん改変されていく事をしきりに嘆かれていた。
明治維新の欧化啓蒙政策は本当に凄まじかったが、戦後の近代化に名を借りた余計なお節介は、全国各地の盆踊りなどにも西欧的なダンスの要素を取り入れるような指導がされ、昔からの伝承とは名ばかりのひどい改変が各地でなされているようだ。
しかし、時代はそうした世界基準への統一、グローバルスタンダードから明らかに動いてきている。そのひとつの現れが、数日前に見本本として送られてきた『ポストグローバル』(PHP研究所)であろう。これはグラフィックデザイナーとして世界的に名を馳せたアレクサンダー・ゲルマン氏が日本の伝統工芸職人の仕事は世界最高だと称賛し、山中漆器や九谷焼、花火師、草木染、懐石料理、能、文楽といった世界との交流を記した本である。その中で、どういう訳か松聲館での私との交流にも「知恵の動作」というタイトルで一章を設けて頂いているが、ゲルマン氏の「どれだけ反射的に『理解できない』と思うことでも、その世界のなかでは意味を持ち、成立している」というスタンスで、自分が知らない世界に関して深い理解を得るまでのプロセスを、暗号を解読するように、既に自分が知っている何かと『つながり』が見えてくるまで向き合い続けようとする姿は、アーティストとしての誠意が感じられる。
しかし、この本の取材が今年の春3月で、まだよかった。現在の私の技の進展の中核になっている身体各部の消し方の技術は、通訳を通してどこまで伝わるか、さすがにちょっと自信がない。
なにしろ、いままでは新しいことに気づくと「あー、何でこんな事いままで気づかなかったかなあ」とよく思うのだが、この消し方の気づきに限っては、私自身が「よくまあ、こんな事に気づいたものだ」と思っているのだから。
以上1日分/掲載日 平成21年11月5日(木)
最近はテレビにも出てないし、目立つような雑誌や新聞にも出ていないのに、タクシーの列に並んでいて、振り返った前の人から、突然「御本読んでいます」と話しかけられたり、電車の車内で「握手してください」などと、なぜか見知らぬ人に突然声をかけられる事が続いていて、日によっては、それが2度3度とある。
このところ、ホームページのアクセス数もむしろ減っているぐらいなのに、一時期よりも明らかに声をかけられたり挨拶されることが多いというのは一体どういう事だろう。私の本やテレビか何かをキッカケに、その後その人自身の中で何か変化があったとしたら有難いことだ。
そういえば昨日、京都洛東高校のH先生から、全国高校選抜卓球大会の京都府の予選で「女子団体が決勝まで進み、準優勝しました」という連絡が入った。中学時代は無名の選手が入って来る公立高校が、全国選抜卓球大会に団体出場できれば悲願の達成になるという。2007年の朝日新聞の出張授業オーサービジッドで一度訪れたことがキッカケで、このような事が起こるというのは確かに不思議な縁を感じさせられる。
このような知らせが届くと、流れというのは確かにあるものなのだろうと実感させられる。というのも、近々"日経新聞"や"週刊文春"の取材が入るし、テレビもNHKの海外向け番組の撮りが進んでいるからである。
技の方は10月の末から展開してきた「消す」という事に、いままでにない可能性を見つけて、いまそれに向かってすべての検討をし直している。「消す」のは「抜く」とハッキリと違うのだが、客観的に解説するのは至難である。
思えば、本当に様々な変遷を経て、今が在る。様々な出会いが私に気づきをもたらし、次へ次へと進ませてもらって来たのだが、その出会いのなかでも非常に大きな出会いの一つである、韓氏意拳の韓競辰老師が師走に来日され、会員外の人達にも指導されるという。
韓競辰老師は、私がいままで直接会う事が出来た武術関係者の中で最も息を呑む動きを見せて下さった方である。御関心のある方は私のサイトとリンクしている韓氏意拳のサイトをご覧下さい。
以上1日分/掲載日 平成21年11月10日(火)
最近は、どういう訳か勘が以前より働いて、17日のNHKの海外放送の撮影は、どうも妙な予感がしきりにしたのだが、私に出来る限りの事はして当日に臨んだ。この日はニコラス・ペタス氏の仕切りで、明大中野高校のラグビー部員に私が技を教えるというものだったが、最初にモールというスクラムのような体勢で押し合う場合のアドバイスを求められた。部員の動きを観ていて、「これは体幹を使った方がいいのではないか」と私なりの感想を持ったので、試しに押し合ってみた。「足を踏ん張らず、体幹、特に背中をタケノコが伸びるように使って」とやることにしたのだが、頭を思いっきり下に向けて押し合うという普段全くやった事のない姿勢に、"ビキッ"と背中に今まで感じたことのない緊張が走って、「あっ、これはまずいな」と思ったが、やって見せなければ始まらないと思ったので、そのままやってみた。それで100キロぐらいの相手を押し返したのだが、寝違えのような感覚が背中に発信していて「うわぁー、これはやっちゃったな」と思った。しかし、撮影はそこからが始まりだから、タックルつぶしや躱し、相手を排除する方法など、それからの2時間以上動き回って、それなりに高校生にも驚いてもらったが、「これは明日起きられるかな」と思いながら帰途につく。
しかし、翌日は日経新聞の取材。何とか起きたが食事をしようと茶碗を持ち上げたり、手を伸ばして食卓の上の何かを取ろうとすると、グワーンと背中にショックが走る。激痛というよりもショックで、ちょうど腹を抱えて笑い転げている時、吐く息ばかりで呼吸が出来ず、ひどく苦しいあの状態が背中に突然起こるので、手に持った物を放り出すようにして放してしまう。
「これは参ったな」と思った。何しろ20日は『週刊文春』の取材。そして翌日の21日からは大阪、福井、名古屋とまわり、帰って2日置いてまた九州である。このような事で迷惑をかけてはいけないと思ったが、背に腹は変えられず、身体教育研究所の野口裕之先生に電話を入れる。様子をお話しして対応法をうかがったが、「夜、よかったら来られますか」のお言葉に甘えて、10時頃うかがって観ていただく。終わって「肋骨が折れる寸前までいっていたみたいですね。甲野さんの体、精密機械みたいなんですから、運転には気をつけて下さいね」と笑ってご忠告を頂いた。
そして、その翌日、朝起きようとしたが全身が硬張って容易に動かない。やっとの思いで起き上がるのに3分以上はかかったと思う。起きるのに3分、そして、そこからトイレに行く姿は中腰で恐ろしく珍妙な恰好だったと思う。「これは21日からの旅はどうしようかな」と思ったが、夕方、雑誌の校正をしているうちに次第に楽になり、20日の『週刊文春』、「家の履歴書」の取材の時は、多少技も実演できるまでになっていた。
18日の夜、野口先生が「21日というと3日後ですか。それならまあ出かけられるでしょう」と請け合って下さったが、19日の朝の状態を思うと別人のようである。もっとも、まだ痛い事には変わりはないが、一時は東京駅まで車で行って、荷物もほとんど持たずに行かねばならないと思ったが、何とか通常の状態で大阪に向かうことが出来、講習会に臨んだ。
講習会では危惧していたよりは体が動き、打ち上げにも大勢の方達に参加していただいたので、何とか事なきを得た。お世話頂いたスタッフの方々にはあらためて御礼を申し上げたい。
別にこうした事を予見していた訳ではありませんが、12月11日の池袋コミュニティカレッジの講座は、どうにも私の都合がつかず、私の代わりに甲野陽紀が講師を務めます。いちおう代理ですが、陽紀は技によっては私よりも上手く、また独特の身体運用法、観察法を開発しつつあり、説明は私より懇切丁寧ですから、かえって私が講師の場合よりも新しい気づきを得られる方も少なくないと思います。ただ、どうしても私に会って何か御質問されたい方は、11日は私が行けませんので、またの機会にお願い致します。
以上1日分/掲載日 平成21年11月22日(日)
大阪、福井、名古屋の各地での稽古・講習会を無事終えて帰宅。21日の大阪の講習会は何とかしたものの、22日大阪から特急サンダーバードで福井に向かう車中は、再び電気ショックのような背中の痛みが再発し、「福井は介護法主体と武術系と、講習会が二部形式で4時間あるし、これはどうしたものか」と思ったが、始めてみると何とかなるもので、その後講習会のスタッフを務めて頂いた方々との打ち上げにも参加する事が出来てホッとした。
ところが、その夜から背中の痛みの代わりででもあるかのように胃が、ちょっと記憶になりぐらい荒れて大変な不調。「しかし、まあ背中に走る電気ショックのような痛みよりはマシか」と思って、翌朝は名古屋に向かう。胃の具合は悪いが、ずっと何も食べずだと胃もますます機嫌を悪くしそうだったので、大阪で差し入れてもらった黒パン一片と干し芋二〜三片を長い時間かけて食べ、名古屋での稽古会に臨む。はじめは胃の不調に、いまひとつ体が動かなかったが、参加者の熱意に、その気持ち悪さも次第に忘れ、稽古に集中出来た。
それでも翌日、Y柔整専門学校の柔道部での稽古は、また朝起きたら寝違いのような背中になっているのではないかという不安があった。ところが幸いなことに24日は、17日に肋骨を痛めてから最も調子が良く、朝起きてからずっと一度も電気ショックのような痛みもない。お蔭で柔整の柔道部のY監督をはじめとする柔道部の指導者の方や部員の学生さんの質問にいろいろ答えながら、いくつも私自身、技を開発しつつ動くことが出来た。
ひとつはY監督と私をつないでもらったK接骨院のK院長が、今回初めてY柔整の道場まで同行。稽古も一緒に行なってもらい、いろいろと気を遣っていただいた事も幸いしたのだと思う。Y監督からも「今回はいままでにない手掛かりを頂いて大変満足をしています」というメールを頂いた。
Y柔整での稽古の後、K院長と一緒に帰京。私は東京駅で、ちょうど仙台から上京されたS女史とI氏に会う。S女史は先日亡くなった合気道の森文夫師範の仕事上の部下の方で、私が17年前初めて仙台で稽古を行なった時から、ずっと私の稽古会の手伝いをされた方。I氏はまた、ここ数年森師範を助けていろいろ活躍中の若者。今後の仙台での稽古会の継続方法の相談を受け、また森師範を偲んで、話をしているうちに、新しい動きを思いついたので、I氏相手にレストランで目立たないように多少動き、ひとつ新たな技の原理に気づくことが出来た。
こうして、今回の旅の始めは「場合によっては途中で講習会を止めて帰宅しなければならないかもしれない」とまで思っていたのが、出かける時よりもずっとよく動く身体になって帰宅することが出来たのである。
とにかく帰路、ほとんど不安なく荷物を列車の網棚の上に載せられるというだけでも、本当に有難かった。こんな当たり前の事が出来るだけで感謝の念が湧くと、時にはこういう身体のトラブルも必要なのかもしれないとさえ思った。しかし、その見返りでもあるかのように新幹線の乗車券を紛失したり、老眼鏡が行方不明になったり…といった事が起こった。
しかし、「人間の運命は決まっていて自由」という二十一歳の時の確信を感情レベルまで体感したいと思って、私が武術を始めてから四十年近くなると、さすがに多少はこの、いわば公案も身についてきたのか、一応あちこち探しはしたが、「そのうち出てくるものは出てくるし、出て来ないものは出て来ないだろう」と、気持ちがすっかり切り替わり、後悔や未練を少しも引きずらなくなった。
それにしても今回は多くの方々のお世話になった。まず、お忙しいなか特別に時間を割いて私の体を観て下さった身体教育研究所の野口裕之先生。野口先生が「まあ21日なら大丈夫でしょう」と請け合って下さったのは非常に大きな自信につながった。そして大阪の講習会の世話をして下さった遊武会の石田氏とそのスタッフの方々。また大阪で食料を差し入れて頂いたT女史。福井の世話人の畠中氏とそのスタッフの方々。名古屋の山口氏とそのスタッフの方々。Y柔整専門学校に同行して下さったK接骨院院長。また東京駅から新宿まで荷物を持って見送ってもらったI氏。体が不自由だと人の情けが身に沁みる。
さて、この後2日おいて今度は九州に向かいます。まあ、このぶんなら28日の佐世保、29日の熊本の講習会は私の新しい術理を、ある程度は動きながら御説明できると思いますので、御関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成21年11月25日(水)
11月27日、私は長崎空港から佐世保に入り、佐世保在住で『ニホンミツバチが日本の農業を救う』の著者である久志冨士男先生と会うことが出来た。久志先生は高校で英語を教えられていた当時から、ニホンミツバチの飼育と研究に力を入れ、以来二十数年、ニホンミツバチの天敵であるオオスズメバチの生態にも詳しく、オオスズメバチを馴らして箸でつまんでも刺されないほど実践的研究を深めてこられた学者というより職人肌の研究者で、私とも大いに話があった。しかし、今回は話が合って盛り上がりはしたものの、その盛り上がりは暗雲に何とか対抗せねばという同志意識での盛り上がりでもあったので、私の心中は複雑であった。
久志先生のお話によれば、今年CCD(蜂群崩壊症候群)には強いとされているニホンミツバチが巣に蜜を残したまま大量にいなくなり、非常事態だという。そして、その原因として考えられるのはネオニコチノイド系の農薬しかないと思われるとの事。何しろ今年からダントツというネオニコチノイド系の農薬を県が指導して散布を奨め、そのためか、50群あったニホンミツバチの巣箱が3群に激減。そしてツバメが姿を消し、スズメも激減して、稲田でスズメを追い払う必要がなくなっているという。ネオニコチノイド系の殺虫剤は神経毒で、ハチは方向感覚を失って巣に帰れず死んだと思われるとの事。
現在、世の中は事業仕分けで科学予算が削られたとか、いろいろ言って騒いでいるが、それどころではない事態が拡がっているようだ。また、最近はいろいろと話題の華やかなゴルフ界だが、ゴルフ場での農薬の使用量はハンパではない。それらが周辺の水源を汚染している事を思うと、単なる娯楽のための汚染は絶対に禁止すべきだと思う。
どうしてもゴルフをやりたいという人にやるなとは言わないが、全世界で、雑草も混じったグリーンでプレーをするという事に、新しくルールをつくればいいだけである。ゴルフは紳士のスポーツで「人に迷惑をかけないことが基本」というなら、その精神に則ってゴルフ界は早急に農薬の全面禁止を行なうべきだろう。
不思議な暗合があるもので、つい最近フランス在住のS氏から漫画家雁屋哲氏がネオニコチノイド系の殺虫剤の悪影響を大変憂慮している「美味しんぼ日記」のメールが転送されてきた。これも多くの方に是非読んで頂きたい。
以上1日分/掲載日 平成21年11月29日(日)