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9月の終わりに「この日の学校」などで10日ほど留守をしていたため、その間溜まっていた用件があり、その上私の帰宅に合わせて何件もの依頼や連絡がドッと入ったから、昨日や今日などは、時に電話がほとんど"尻とり"状態で、話し中にキャッチホンで受けることが何度もあり、ほとんど切れ目なく4〜5時間も話していた。
それに、10日間の旅の疲れか、昨日などは9時間も寝ていたので、10月に入った今日などは帰宅直後よりも用件が溜まってしまった。
そのため、かなり緊急を要することも返信や返送が出来ていないことが少なからずあります。誠に申し訳ありませんが、お急ぎの方は催促の御連絡を、また打ち合わせや取材等の御約束をした方々は事前の日時の確認をお願いします。
昨日は午前中からPHP研究所の新しく移転したばかりの東京本社で名越クリニック院長と本づくりのための対談というか、インタビューを受けて取材されているような時間を過ごす。その後、ホテルオークラで"公研"誌のインタビュー。終わって、トイレで新潮社のF氏に会い、新潮社主催の小林秀雄賞、新潮ドキュメント賞授賞式のため時間待ちをされていた養老孟司先生の所に案内して頂く。そこで久しぶりに足立編集員とも会い、養老先生との話の輪に入る。その時、養老先生が虫の標本を作られる時に使うピンセットに中々いい物がないと話されたので、ちょうど持っていた倉田満峰作の"いろは毛抜"をお見せし、そんな事から「究極の高性能ピンセットをオーダーメイドで誰かに作ってもらうという手がありますよ」などと私が提案して話が弾んだ。どうやら話の流れで私がその事に関わることになりそうだ。いま思いついたところでは、刃物用のステンレス鋼ATS34とか、最近話題の(といってもごく一部でだが)クルーシブル社製の粉末冶金のステンレス鋼CPM‐S30Vなどを材料にして削り出し、焼き入れ焼き戻しを適正にすれば凄いものが出来るのではないかと思う。
いずれ広く『週刊新潮』誌で作り手を募りたいと思うが、心当たりのある方は御連絡下さい。
こんな話などを30分ほど養老先生としてから、養老先生のお供をして授賞式会場へ。今回は新潮ドキュメント賞を蓮池薫氏が『半島へ、ふたたび』で受賞されたので、テレビカメラが何台も入っていた。授賞式のパーティーで出席された何人かの方々といろいろと話す機会があったので、「この日の学校」について、今後展開の力になって頂けそうな方数氏にかなり熱を込めて話した。
パーティーの後は、昨年もそうだったが、ちょうど御連絡を頂いた植島啓司先生のところへ。ここでも「この日の学校」について詳しく説明をさせて頂き、ご協力をお願いした。
そんなこんなで、結局帰宅した時は午前1時。それから取り敢えずやる事をやってと思っていたら、たちまち3時をまわってしまった。とにかくやりたい事とやらねばならない事の折り合いをどうつけるかが今の私の一番の悩み。
技の方も、何とかいまのうちにこれまでの変化をまとめておきたいと思うのだが、表現がどんどん抽象的になってきて、いままでとは違う工夫が必要なようだ。
以上2日分/掲載日 平成21年10月4日(日)
昨日は『ポパイ』誌の企画で、スタイリストの長友善行氏の体験稽古の取材があった。長友氏は大変感じの良い方で、いろいろ技を体験して頂きながら様々な話をしたので、これを記事にまとめるのは大変だと思う。
この日は久しぶりに介護福祉士の岡田慎一郎氏もちょうど都合がついて、最近の私の技を受けてみたいという事で来館。折角の機会なので、岡田氏の最近の介護の技もいろいろ見せてもらった。
最近、医学書院からDVD付きの著書『古武術介護実践編』を刊行。その技術の確かさと解説の巧みさで、ますます引っ張りだこの岡田氏だけに、「添え立ち」も新しい工夫がみられ、その他にも実によく組み立てられた技術をいくつも体験することが出来て、大変参考になった。『古武術介護実践編』は、実際の障害者の方もモデルとして登場しており、岡田氏の妥協を許さない姿勢には感服させられる。
それにしても岡田氏の話術と、相手の立場を考え、相手の面目を潰すようなことはしない配慮の凄さには舌を巻く。「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」という諺は、岡田氏のような人のためにある言葉だろう。この諺は嫌いな人もいるようだが、とうてい誰にでも真似の出来ることではない。私のように、つい毒舌が過ぎるような人間に学ばれながら、その部分はキレイに濾過して独自のスタイルを築き上げられた岡田氏には頭が下がる。
今後、ソフトに、しかも着実にこの技術を広く世に紹介し、少しでも体を壊す人が減れば何よりである。そのためには、自分自身の手柄を言い立てず、陰の立役者的な立場を志向されて活動されている(なかなか、そうもいかないだろうが)岡田氏が果たされる役割は大きなものがあると思う。御健闘を心から祈りたい。
以上1日分/掲載日 平成21年10月10日(土)
13日はパルシティ江東で公開の音楽家向けの講座を行なう。音楽家向けの講座は、なぜかいつも雨が降るが、この日は珍しくよく晴れて、日中は季節外れのアブラゼミさえ鳴いていた。
音楽家と対象を限定した講座だから、参加者の大部分は楽器演奏者なのだが、どういう訳か直接武術に関係のない人達を対象とした講座では、自分でも思いがけない事を話し始めたり、気づく事があったりして興味深い。恐らくは話をしていた私自身が、参加者の誰よりも熱心に聴いていたと思う。
この日も「腕の出発が胸鎖関節にある」という話をして、この話自体はずっと以前から時折話していた事なのだが、話しながら解説しているうちに、私自身いままでにないほど「ああ、そうなんだ」という実感があった。
その他にも安易な体の使い方で、いくら量を重ねても、それが本格的に体を使った上達にとって、如何に大きな阻害要素になっているかという説明の例として、骨折した時、曲がったままであろうと、取り敢えず骨を繋ごうとする働きと、本格的に骨をちゃんと修復しようとする働きが体の中で葛藤し、せめぎあっているという例えは、話している自分自身、身につまされる思いで聞いていた。
このような熱い展開は、ただ何となく興味があって参加される受講者が多い、一般向けの講座よりも、具体的に切実な質問や課題を持って参加される、このような専門家向けの講座だからこそ起こるのだろう。
今月は20日に読売文化センター自由が丘、28日は横浜ランドマークのNHK文化センターと、いわゆるカルチャーセンターの講座は2つありますが、そうした場所にも専門的な課題を持って質問される方が参加して下さる事を願っています。
また10月31日、11月1日と弘前に参ります。1日は日本内観学会主宰の公開トークですが、31日も少し稽古会をすることになりそうです。詳しくは弘前の講習会の世話人の小山氏にお尋ね下さい。
以上1日分/掲載日 平成21年10月15日(木)
まったくギリギリ一杯で活動している状態なのに、なぜかその上時間を取られることが追い打ちをかけてくる。今日は配電盤の工事。たしかに築30年以上にもなる木造家屋の配電盤は、もうずいぶん旧式。「電気の事故防止のために」と言われると着工せざるを得ない。
また、この工事に踏み切ったのも200Vの電圧に変えられるというのも魅力だったからだ。「そうなれば馬力のある工作機械やベルトサンダーも入れられるし」と、つい思ってしまう。もっとも、そうした工作機械を作動させて物作りをする時間が取れるかどうかは疑問だが、まあ、それが可能となるだけでも気持ちが違う。
これは、ちょうど私のような鍛冶好きな者がミルシート(鋼材の成分表)を見ているだけで幸せな気分に浸れるのと同じようなものだろう。鋼材の中のカーボン量や、僅かに添加されているバナジウムの量などで出来上がった物の硬度、靭性などをあれこれ想像するのは、この道に入った者でなければ分からない楽しみである。
まあ、いつか、いつかはいろいろ作りたいと思うことは生きる意欲に繋がってくるし、面倒ではあるが工事を依頼してよかったと思っている。
昨日は久しぶりに名越康文氏と身体教育研究所で野口裕之先生のお話を伺う。野口先生の生命観、身体観は他に類例がないほど飛び抜けたものだが、昨夜はそういう野口裕之理論(これを理論と言えるかどうかも疑問だが)を聴いて三十年以上の私も、息を呑むほど凄かった。
単なる奇抜な発想なら、そうした方面に才能のある作家にも可能だろうが、数多くのナマ身の身体と精神に向き合って数十年を過ごした人物から発せられる心の発現と身体の関連は、裏がとれての話だから「凄い」のひとこと。また、父君「野口晴哉」に関する論評も余人からは決して聞くことが出来ない大変ユニークなもの。「ああ、この人には高梯子を掛けても及ばない」とつくづく思う。
私の身体の方も最近の技の進展に関連してか、赤ん坊の頃の古い頭部の打撲の痕跡が浮き出してきたようだから、またいろいろ変化があることだろう。最近の技の進展状態は変化が早く、うまく書けないが、ご関心のあるかたは講座などにどうぞ!
自由が丘の、よみうり文化センターは、ほぼ満席のようですが、28日のNHKランドマークは告知を私がすっかり忘れていたので、まだまだ空いているようです。
以上1日分/掲載日 平成21年10月20日(火)
追悼 森文夫師範
今月は珍しく月末まで泊りがけで出かけることがないが、都内あちこちと出かけ、特に今週は20日の火曜日から4日連続出かけて、そのうち3日間は帰りが終電。後の1日が終電の1つ前という忙しさだった。
そして、昨夜も終電で帰ると、仙台の稽古会でいつも私が何かと世話になっている伊藤智之氏からの伝言が残されていて、「遅くなっても今夜中に電話を頂きたい」との事。電車が遅れて帰宅したのは午前1時30分になっていたが、どうもただならぬ様子なので電話を入れる。
伊藤氏の電話番号を入力しながら、「この時間に、どうしても連絡したい事といえば、何か非常事態が起こったのだろうが、いったい何だろう」と思い、いくつか予想される事を思い浮かべたが、何とも判断がつかないうちに伊藤氏の声が電話から伝わってくる。「じつは」と沈んだ伊藤氏の声に20パーセントぐらいの確率だった予想の一つが急激に大きくなる。「森先生が…」の声。「ああ、何ということだろう…」と思う一方で、「あの、私よりも確か一つ年下だった人が…」という信じられぬ思いが同時に湧き起こり、しばらくは頭の中が混乱してしまった。
しかし、事実は事実である。今から17年前に初めて私の道場に来館され、その年の夏、私が初めて仙台に行った折、稽古会を開いて頂いた森文夫合気道師範が、昨日2009年の10月23日午後5時過ぎ、逝去されたのである。
驚いた。私がよく知っている人の逝去の報に接すれば驚かない事の方が少ないが、驚くといっても多くは「ああ、そうだったのか」と、どこか受け入れることが出来る場合が多いが、森師範の突然の訃報は、どこかで「どうしても信じられない」という思いを拭うことが出来ない。これは、森師範に世話人をして頂いた仙台の稽古会が、常連のメンバーも長く続いている方は15年以上と安定していただけに、何かずっとこれから先も長く続くような気がしていたからだろう。つくづくと人の命の儚さが身体じゅうに染み渡ってくる。
しかし、いつまでも繰り言を言うのは故人を迷わすことになってしまう。亡くなった方というのは、その方にしか出来ない力を発揮されるもので、故人に縁のあった方の病が急に良くなったり、トラブルが突然解決したり…ということが少なくない。森師範も、きっと何人もの方々を救われるだろう。
それにしても森師範にはお世話になった。そもそも私が仙台に行ってみようと思ったのは、私が最も関心を持っている江戸時代の剣客松林左馬助の子孫の方を尋ねたいと思った事だが、その事で初めて仙台にうかがった時も随分とお世話になった。そして、何よりも私にとって忘れがたいのは、私が現在も最も愛読している武術書『願立剣術物語』を、八戸市立図書館に行って探し出し、コピーをとって送って下さった事である。その時の事を森師範は、私が中島章夫氏と書いた『縁の森』の注釈のなかで次のように書かれていた。
『願立剣術物語』を見つけた時…
「平成五年十二月二日。出張の足をのばし、行ってみた八戸市立図書館は改装工事中であり、正面玄関は閉まっていました。帰りかけましたが、とにかく話だけでもしていこうと横の通用門から中に入ると、応対してくれた司書の方が親切な人で、古文書に埋めつくされた部屋に案内してくださり、調べにかかってくださいました。
それから数十分後、司書の方が虫食いだらけの薄い一冊を抜き出しました。
『あった』という私の声がよほど大きかったのか、階下の部屋から笑い声が返ってきました」
これを読み、つい往時を思い出して『縁の森』を拾い読みしながら、この追悼文を書いているうちに夜が明けた。
なお、思い出は尽きないが、今は心からお世話になった事に感謝し、御冥福をお祈りしたい。
以上1日分/掲載日 平成21年10月24日(土)