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2009年12月4日(金)

 11月27日から九州に向かい、佐世保、熊本、人吉とまわって、12月1日、羽田空港から綾瀬の東京武道館へ行き、講習会を行って帰宅した。
 肋骨を痛め、朝起き上がるのも大変だった19日頃は、「この九州での日程がどれほど大変でも止めるわけにはいかない」と、かなり悲愴な決心をしていたのだが、案に相違して綾瀬で講習会を終わった後も、常連の人達といろいろと技の話をしながら食事をするほどのゆとりがあった。
 ただ、体の痛みは大幅に消えたが、その代償でもあるかのように、ネオニコチノイドの農薬でニホンミツバチも消えつつあるような心の痛む事がいくつもある。しかし、現代社会で人間が生きているというのはそういう事と向き合って、何とかして行かなければならないという事でもあるのだろう。
 そうした、社会を少しでも何とかしたいという思いもあって、人間が学ぶ、学問をするという事の意味を根底からみつめ直したいと、現在、東大の数学科4年の森田真生氏と"この日の学校"を始めたのである。(森田氏のプロフィールは8月28日の随感録をご覧頂きたい)
 12月2日は、1月に行なう"この日の学校イン名古屋"の打ち合わせのため、名古屋の世話人M女史と森田氏が来館。それに森田氏に紹介したいと思っていたK氏も同席。森田氏とは10月の末に会って、「排中立」のない数学の話の説明を綾瀬に向かう電車の中で聞いて以来、約40日ぶりに会ったのだが、体格は変わっていない筈なのに、明らかにひとまわり大きく見える。
 この一ヶ月の間、何度かメールをもらい、電話でも話をしていて唸らされる事も度々あったが、いざ会ってみて何とも形容しがたいオーラがある。人間がその能力と力量を日々伸ばしつつある時というのは、こういうものかとつくづく思った。
 ここに、その森田氏の進展を物語る彼からのメールをいくつか引用してみたい。


10月21日
甲野先生

今日の綾瀬までの車中の会話は非常に楽しく、本当にあっという間に時間が過ぎ去ってしまいました。
ことばというのは不思議なもので、私の発したことばが先生の中に受け入れられ、そのとき私のことばが先生のなかで響く「音」に私は耳を澄ませ、私はその音色に導かれるようにして、また次のことばを発するのです。

私は、私のことばが先生の中で生み出す音を通して先生を知り、またその音色を通して私自身のことばを知るのです。

ですから、今日の私が、先生でない別の方と、同じ時間同じ電車の中で、同じように会話をはじめたとしても、おそらくまったく違った展開になったでしょう。
そうしてみると、今日の対話の間、果たして「わたしがしゃべっていた」ということが正しいのかどうか分からなくなってしまいます。

それはさておき、今日は「排中律のない数学」の話で思いのほか盛り上がりましたね。
排中律とは「任意の命題は真か偽かのいずれかである」という論理学における公理のひとつです。

この公理を仮定した論理学は「古典論理」と呼ばれ、それに対して排中律を仮定しない論理を「直感論理」と言います。
直感論理は20世紀初頭、ブラウアーを中心とする数学者により盛んに研究されました。

私が先生にお話をさせていただいたのは、論理学における排中律の否定という話ではなく、幾何学における排中律の否定(いわば幾何学における直観主義)という話でした。これは現代数学の「層」という概念に結実しています。

例えば、2という数字を考えてみましょう。
「2という数字はどの程度2か??」
という問いには、どのような意味があるでしょう。

普通に考えると、この問いにはあまり意味があるようには思えません。

2という数字はあくまで2であり、3という数字はあくまで2という数字ではない。
どの数字も、2であるか、2でないかのいずれかである。
これが排中律のある世界です。

それでは、
「ある程度は数字の2だけど、完全に2というわけではない」
という数を考えるにはどうしたらよいでしょうか。

それを可能にするのが「層」という概念です。

ここで立ち入って層の定義を説明することはできませんが、層の概念を理解していただく上で、非常に素晴らしい芸術作品があります。

以前東京都現代美術館で開催されていた池田亮司「+/-」展で私がたまたま出会った作品なのですが、それがどんなものであったか、ここで簡単にご説明いたしましょう。

この作品は、インスタレーション形式の作品で、展示室が1階と2階に分かれています。
1階は暗い部屋の中のあちこちにプロジェクタで投影された映像作品が流れています。
一方2階は明るい真っ白の部屋で、何もありません。
ただ、部屋中を歩き回ると、各点各点で、違った音が聞こえてくるのです。

1階はいわば「目で見た世界」、2階は「目を閉じた世界」なのです。

1階では、どの場所に立っていても、あちこちに投影されているプロジェクタのスクリーンが目に入り、たちどころにして「大局的」な情報が目に飛び込んできます。
視覚というのは五感の中でも、もともと「大局的」な情報の取得に秀でた感覚なのです。

一方、2階は真っ白の部屋ですから、大局的な情報はなにも得られません。
しかし、一歩動くごとに違う音が聞こえる。
そういう意味で「局所的」な情報が、空間の各点に宿っているのです。

これが「層」の概念の肝です。

つまり、空間というのは、たんにのっぺりと広がった大局的な繋がりではなくて、各点の上に局所的な情報が乗っかっているような豊かな構造を持っている。
それが「層」のアイディアなのです。

つまり、古典的な空間が「目で見た世界」に対応しているのに対して、層が描き出す空間の世界は「目を閉じたときに見える世界」に対応しているということも言えるでしょう。

面白いことに、この層の世界、つまり「目を閉じたときに見える世界」が、論理学で言えば「排中律を除外した論理の世界」に対応しているのです。

これは非常に興味深い対応ですね。

甲野先生の技は「あちらがたてばこちらがたたず」という排中律の世界を否定し、「あちらもたてるし、こちらもたてる」という道を進んでおられるようです。
その「あちらもたてるし、こちらもたてる」という世界が、幾何学的には層の世界、すなわち「目を閉じたときに見える世界」に対応しているのです。

そうしてみると、物理学的に先生の技を説明しようとすることの限界も、自ずからはっきりとしてきます。
物理というのは、元来視覚的な学問ですから、「目で見える世界」を記述しようという訳です。

しかし、目で見える世界は、所詮は排中律の支配する世界ですから、その中で先生の技を説明しようとしたところで、どうしても無理を来してしまうわけです。

先生の技を理解するためには、まず目を閉じてみよ。

そう数学は私たちに教えているのではないでしょうか。


10月22日
甲野先生

さて、昨日のお手紙の続きです。

私はファッションに関して決して詳しいわけではないのですが、現在のルームメイトがファッションデザイナーであるため、時折ファッション業界の方と出会う機会に恵まれています。その中で一人、私が敬愛する日本人アーティストがいます。

彼は山縣良和さんという若手の日本人アーティストで、セントマーチンというイギリスにある世界最高峰のファッション大学を首席で卒業しています。(http://www.writtenafterwards.com/
その彼の卒業制作が非常に面白いのです。

セントマーチンというのは、ファッションデザイナーを目指す世界中のファッションエリートが結集する大学ですから、当然卒業制作も非常にレベルが高く、まるでパリコレのようなショーが展開されるのです。
美しいモデルが、いかにもかっこいい服を来て歩いている、というよくテレビなどでも見かけるようなシーンが次から次へと展開されるわけです。

ところが山縣氏のショーはその中にあって、まったく違った様相を呈していました。
なんといっても、モデルの女性がみな決してスタイルがいいとは言えない「ふとっちょさん」たちで、しかも彼女たちに裸のおじさんのかっこうをした着ぐるみを着せて歩かせたのです。
さらに、審査員席の横には、審査員の先生方にそっくりな着ぐるみを着せたモデルを座らせたのです。

このショーのコンセプトが「裸の王様のストーリーの続き」ということで、
どういう設定かといいますと、みなさんよくご存知の裸の王様が、裸のまま大衆の前に姿を表したところ、
それを見たみんなが「裸ってかっこいいじゃん!」ってなって、裸の王様が流行っちゃった。
という話し。

これには私は痛く感動しました。

一見すると、ただの奇を衒った安っぽいパフォーマンスのようでもありますが、私はこの作品にひとつの天才的なセンスを感じたのです。

「裸の王様」というのは、あまりにもよく知られたお話で、ほとんど知らない人がいないといってもいいでしょう。
「裸の王様」と聞いたら、「ああ、あの話しね。」と誰もが思い、そこで話しは片付いてしまいます。
つまり、みな「裸の王様」なんて分かりきっている、と思っているわけです。

それは、裸の王様がすでにストーリーとして完結しており、それ以上語られるべきなにもない。
というよりはむしろ、あんなに完結しているストーリーについて、これ以上語り「得ない」と思われるわけです。

裸の王様は、すでに物語として終了しており、「この先は行き止まり」となっているわけです。

ところが山縣氏の作品は、「この先は行き止まり、の先」を描いているのです。
誰が「裸の王様の話しに、続きがあり得る」なんて考えたことがあるでしょう。
それも「裸が流行っちゃった」という展開により、物語全体の意味合いまでもが根本的に転覆してしまうのです。

これは数学における大きな理論の進展に非常に似ています。

いい数学というのはどういうところから生まれるのかといいますと、それは必ずtrivial(=自明)と思われていたところから生まれるのです。つまり自明と思われていたことが、実は自明ではない!と宣言したところに、新しい豊かな数学の命が芽生えるのです。

例えば1+1=2であるとか、数字の2はあくまで2であって、ちょっと2だけどちょっと2じゃないなんてありえない、だとか、そうした「自明なこと」が私たちの身の回りにはあふれています。
自明なこと、というのは言い換えれば、「すでに物語として終了している場所」ということになります。
これ以上語られるべきなにもない。なぜならばすべてが明らかだから。というわけです。

ところが数学は、そうした「自明」をとことん疑ってかかります。
そうして自明がやはり自明ではなかったことが明らかにされるとき、新しい数学がはじまるのです。

ですから数学においても、「この先は行き止まり、の先」を描き出すことこそが真の創造を意味するわけです。

このように考えてきますと、真のエリートとは「この先は行き止まり、の先」を描き出すような人物であるということが言えるように思えます。

現代社会において「エリート」と言ってもてはやされているのは「この先は栄光の道」をただ進むだけ、の人材であるようにも思われます。

しかし、「この先」が描かれている道を着実に進むというのであれば、真のエリートでなくてもできるはずです。
一方で、「この先」があるとはとても思えないような道の、先。
それを描き出すというのは、ものすごく困難な作業であり、極めて創造的な作業なのです。

私は数学を通じて「この先は行き止まり、の先」を次々に描き出して行きたいと思っています。

そうして、少しずつ私たちが暗黙のうちにかけられている様々な「暗示」を解いていきたいと思うのです。


11月10日
先日の先生の「消す」という話しを伺って以来、わたしのなかでもいろいろと変化が起きつつあります。

私は最近「数学と音楽」ということについていろいろと考えを巡らせております。
そして近頃、沈黙こそが究極の音楽なのではないかという気がしています。
「沈黙」とここで言うのは、「音を出さない」という意味での消極的な沈黙ではなくて、なにかもっと積極的な意味での沈黙です。

音を出す(これには普通の意味での音楽の演奏、あるいはことばを発するという意味での「語り」ということも含まれますが)、
という行為の極限には音のない沈黙があり、その極限たる沈黙こそが数学の目指すところであるように思えてならないのです。

つまり、数学は沈黙を演奏するのです。
(沈黙の中でこそ、人の聴覚はもっとも鋭く機能するのですよね。)

まだうまくまとまりませんが、「数学は沈黙の演奏である」という視点は、
私のなかでひとつの大きな気付きになりそうです。
これについて、時間を見つけてお手紙にまとめたいと思っています。


 いま引用した森田氏からのメールを読んで頂いても明らかだと思うが、森田氏は理系・文系といった枠を越えて、まったく新しいジャンルの学問を創造する可能性のある人材で、昨日同席したK氏も、森田氏が一足先に帰宅した後、「ちょっと凄すぎますね。あれでは普通の大学教授じゃとても森田さんの足元にも及ばないでしょう」と大きな溜息をついていた。(私もK氏と出会って7,8年になるが、半ば放心したようなK氏の顔を初めて見た)
 とにかく森田氏は、その場にいる人間を、何故か理由は分からなくても、そのままにはしておかない情熱の火を点ける不思議な力があり、森田氏と空間を共有しているだけで不思議な爽快感が湧いてくる。

 "この日の学校"は、今月12日、名越康文・名越クリニック院長をゲストに迎えて福岡で2度目を、そして翌日はやはり2度目となる福山で行います。現代の、よほど想像力の豊かな作家でも思いつかないような、学問を「人間が生きる意味とは何か」を問うために真向まともに追求している青年、森田真生氏。
 その森田氏から私が話を引き出す"この日の学校"は、多少なりとも本気になって、これからの時代を考え、社会を考え、教育を考えている方々には少なからぬインパクトがあると思います。
 福山の方は、まだかなり余裕があるようですので、御関心のある方は他の用件をキャンセルしてもお出かけ下さい。きっと得るものがあると思います。

 肋骨を痛め、身動きが取れない中、ようやく関西、北陸、名古屋と出かけ、2日おいてすぐ九州をまわり、帰ってすぐ"この日の学校"の打ち合わせがあったため、山積みする用件は前例ないまでに達し、しかも公研の3万字近いインタビュー原稿を半分にする校正と、『週刊文春』の「新・家の履歴書」のきわめて期日が迫った校正が入ったため、本当に時間がなく、いつもなら必ず返信しているメールの類も、その殆どが手付かずになっています。これで5日は長野に出かけ、6日は長野で講習会となり、殆ど一息もつけませんので御返事をお待ちの方はしばらくお時間下さい。もし特にお急ぎの方があれば、再度のメールよりも催促のお電話を下さるようお願い致します。

以上1日分/掲載日 平成21年12月4日(金)


2009年12月10日(木)

 気づけばすでに師走も中旬に入っている。夏以後、とにかく何とかその日その日を送ってきたような印象のため、日が暮れるのがずいぶん早くなっているにも拘らず、「ああ、いつからアオマツムシの声を聞かなくなったかなあ」と、季節の移り変わりもあまり感じないまま、ここ数ヶ月を送ってきたような気がする。
 断片的には、いくつも印象に残る記憶があったが、なぜか夏以後は、その記憶が非常に圧縮されている。その理由のひとつは私の技の進展がいままでにない形をとっているからかも知れない。8月の下旬に「ハネ釣り」から主として当時の剣の使い方に大きな違和感を得て、そこから展開してきたのだが、10月の終わりに「消す」という事に気付き、そこから11月半ば「縮小して小人化する」感覚を得て、さらに今は、この感覚を踏まえて「後ろ足の居つきの消し方」から前後両足の踏み方の特殊な工夫によって、体幹の力をいままで気づかなかった方法で発揮させることに目を開きつつある。まだ、ほんのとばくちだが、その技の利き方は、私自身いままで経験したことがない異質なもの。
 「足を踏ん張らない」「居つかせない」という事は、すでにずっと以前から散々言ってきた事であるが、一口に「居つかせない」と言っても、その「居つかせない」という事にも何段階ものレベルがあるということにあらためて気づかされる。
 この新しく気づいた居つかない動きからの技に御関心のある方は、13日に福山で行なわれる「この日の学校」の時、少し解説と演武をしたいと思うのでお越し下さい。
 ただ、この新しく気づいた技の術理は、手や肩などを「消す」といった感覚を通して気づいた事なので、かつての「井桁崩し」の時のような物理的解説は何ともしにくい。それでも来年は久しぶりに何とか術理の解説本を出したいと考えているので、刊行の折は、今までと、今からの、私の技と術理に関心のある方は御購読頂きたい。
 それにしても今年の一年は本当に早かった。来年はもっと早くなるかもしれない。ただ、現在の政治の迷走を見ていると、「本当に歴史は繰り返すのだなあ」と思う。とにかく、いろいろな事がマズイ方向へと流れていっている。もっとも何か大きな出来事に直面しないと日本中が大きく変わらないから、それはそれで仕方がない事なのかもしれない。とにかく来年は日本の社会全体がさまざまな困難と向き合わなければならないキツイ年となるだろう。

 明日の池袋コミュニティカレッジの講座は、私がどうしても都合がつかないため、甲野陽紀が代わりを務めます。ただ陽紀は私が20年ほどかかったところを2年ほどで追いついてきて、私も考え付かないような、身体を巧妙に使った技法などを一人で開発しておりますので、私の代理というより別の流派のような新鮮な思いをされる方の方が、むしろ多いと思います。技の原理は私と共通する部分もありますが、むしろ全く別と考えられた方が理解しやすいかもしれません。陽紀の技と術理に御関心が出た方は、朝日カルチャーセンターなどでも陽紀は講座を持っておりますので、そちらにもどうぞ。

以上1日分/掲載日 平成21年12月11日(金)


2009年12月15日(火)

 12月12日博多、13日福山と、「この日の学校」の2回目をそれぞれ開催した。
 12日は名越康文、名越クリニック院長をゲストに迎えて、午前、午後と行なったが、特に午前中にあった主として中学生の母親を対象にした講座では、あらためて名越氏が並みの精神科医ではない事を思い知らされた。
 また13日に福山であった「この日の学校」は、これこそが「この日の学校」だと思わされる展開となった。福山は場の力かスタッフの魔力か、本当に驚くようなことがよく起こるが、今回は受講生として来られていて、結果としてサプライズゲストとなられたK住職のお話には全員感銘を受けた。「この日の学校」が講師も含め、全員の学びの場になるという事が単なるキャッチフレーズではなく、文字通りこの日実現された。
 この随感録で、福山の「この日の学校」に関して、「他の用事をキャンセルしてでも来られたらきっと何か得るところがあると思います」と呼びかけておいたが、現にその呼びかけに応じて、すでに入っていた予定をキャンセルして参加された方が「参加して本当によかった」と感想を言って下さったが、特に福山城の月見櫓で行なわれた懇親会まで参加して下さった方々は、一人の例外もなく「来てよかった」と思って下さったと思うし、大満足して下さった方も少なくなかったと思う。音楽とか演劇とかの演奏会や公演でもなく、数学の話を中心とした講演会で、このような事が起こるというのは、森田真生という若者の、現代では奇蹟と思えるほどの感性と魅力が際立っているからだと思う。それが、その場に集まっている人達のなかの、最も光る部分を自然と引き出すように働くのだろう。
 それにしても、このような舞台づくりをして下さった岡崎和江女史をはじめとする福山のスタッフの方々の情熱と行動力には頭が下がる。あらためてこの場を借りて御礼を申し上げたい。
 また、「この日の学校」という企画を思いついたのは福岡のセイント・クロスの大塚聖氏が、普通なら無謀とおもえるような「数学を心の学問として深めて行きたい」という森田氏を、何とか世に出したいという私の要請に、何の躊躇も、ためらいもなく受け入れる場を考えて下さったからだと思う。
 あの折、僅かでも大塚氏にためらいがあれば、将来何らかの形で森田氏は世に出るにしても、今回の博多、福山での「この日の学校」の感動と気づきはなかったわけで、大塚氏のセンスと行動力には頭が下がる。
 また、「この日の学校」に関連して、博多ではごく少人数の稽古会を行なったのだが、九州でも名を知られたラグビーコーチやフルコン系の空手の方などが参加して下さり、ラグビーコーチの方の「しっかりとラグビーボールを抱えている相手から、どうやったらボールを奪う事が出来るだろうか?」という質問を受けて、私自身も予想以上の強力な奪い取り方をその場で考え出し驚かれた。
 さらに、九州に出かける直前に陽紀から教わった陽紀創案の、いわゆる体育坐りのように尻を床につけ、両足を前に膝を抱えるような形で座っている相手を、静かに力むことなく立たせる動き(陽紀は「グーパー引き」と呼んでいる)は、多くの人の興味を惹いた。そして、これを応用した、相手の腹部辺りにあるこちらの手を相手に触れられた状態から、相手の肩、あるいは奥襟までスーッと上げる動きが、12日の夜、福山のホテルで森田氏相手に出来始めた。しかし、これは、いままで一度も感じたことのない奇妙な出来方。久しぶりにテンセグリティ構造の意味をあらためて思い出したが、単にこれは構造的に合理的に体を動かすという事ではなく、「身体を消す」感覚で何かが育ってきて、その何かが育ってきたために見えてきたように思う。

 この動きをはじめ、私の新しい技や術理に御関心のある方は、20日に京都で今年最後の公開講習会がありますので、そちらにお越し下さい。

以上1日分/掲載日 平成21年12月15日(火)


2009年12月17日(木)

 昨日は品川で養老孟司先生主宰の忘年会。昨年と同じ場所、メンバーも参加者の半分にあたる、4人は同じ顔ぶれだった。昨年、私は長野の講習会を終えて駆けつけたので少し遅刻したが、今回は定刻5分前に到着。すでに養老先生と加藤典洋早大教授、それに新潮社のA女史、G氏と4人が到着されていた。その後、程なく名越康文、植島啓司、池田清彦の諸氏が揃って忘年会が始まる。
 今回は皆さんに佐世保で、この度発足した「ミツバチたすけ隊」−−ミツバチたすけ隊はネオニコチノイド系農薬の使用に反対します−−の、チラシを配って協力を要請。普段は本気なのか冗談なのか区別のつきにくい発言で、この夜の忘年会も抱腹絶倒の話題の中心だった池田清彦先生も、筋金入りの虫好きな教授なだけに、この話題の時だけは「いやあ、確かに赤トンボもずいぶん減ったしねえ。やっぱり農薬の影響なんだろうねぇー」と真顔で相槌をうたれていた。

 この「ミツバチたすけ隊」に関する情報は、告知板でも紹介することにしていますので、是非多くの方々に関心を持って頂き、すでにフランスなどヨーロッパ諸国では禁止されている、この農薬の即時禁止にご協力を、お願い致します。

以上1日分/掲載日 平成21年12月17日(木)


2009年12月19日(土)

 今日は大阪のK高校で、講演と講習会。
 私の技は8月末の福山での気付き以来、様々に変転してきたが、ここにきて、また、大きく変化。 「こんな働きが身体の中に隠されていたのか!」と、目の覚める思いを久しぶりにした。明日は京都の講習会。
 今日、明日でまた、さまざまに検討検証しようと思う。

ご関心のある方は、明日の京都講習会にどうぞ。

以上1日分/掲載日 平成21年12月19日(土)


2009年12月22日(火)

 今年最後の公開講習会は、昨日京都で行なったが、講習会とその後の打ち上げで新しい技と術理がいくつも見つかり、打ち上げまで参加して下さった方々は満足そうで、私も疲れを忘れたが、講習会だけに参加して下さった方のなかにも「暮れの忙しいなか時間つくって来て良かったです」と、わざわざ言って下さった方もあった。
 それにしても約1年半前、30年間馴染んできた、左右両手をあけた刀の柄の持ち方を(一般の剣道でも、これが唯一無二の持ち方となっているが)、江戸時代以前の常識的(と思われる)左右の手を寄せた持ち方に一晩で変えた時、我ながら「よくもまあ僅かな時間で大改変出来たものだ」と驚いたが、今回、18日頃から気づき始めた体の浮きや沈みの大改変も、我が事ながら、そのあまりの変化ぶりに「ついていけるかなあ」と、まるで人事のように思う。
 その上、京都の稽古会の打ち上げが終わってから、約半年間すっかり御無沙汰をしていた京都大学の小嶋泉先生の御好意に甘え、小嶋先生宅に伺って泊めて頂き、深夜までいろいろお話を伺い、さらに今日22日も陽が少し傾きかけるまで、ずっと話を伺う。物理学を通して根本的なこの世界の原理や社会の在り様について、ここまで真面目に真剣に考えられている方が存在するのだとあらためて感銘を受ける。
 今回2泊3日の旅だったが、初日の19日も北野高校でいろいろな方と語り、ホテルでも何人もの方々と話し、先月、約10年ぶりに会った旧知のS女史から「この日の学校イン大阪」の要請も受け、非常に内容の濃い旅だった。「事実は小説よりも奇なり」という事を、いままで何度も味わったが、あらためて私自身の一生の奇妙さに、フトおかしみがこみ上げて来て、京都駅で「のぞみ」の発車時間までの間、いままでの主な人との出会いを何という事もなく思い出していると、見覚えのある方に声をかけられる。
 咄嗟にどなたか思い出せないでいると、「ヒデの母です。岡山の…」と名乗られ、「あっ」と声が出たほどその奇遇に驚いた。何しろその方は、いま何気なく思い返していた私の人生にとって得がたい出会いの人物の一人である、意拳の光岡英稔師の母堂で、現在はハワイ在住の方だからである。手許にちょうど買ったばかりの『週刊文春』(私が「新・家の履歴書」に出ている)があったので、とにかくそれを差し上げて御挨拶を返した。 光岡師も幼少時、カリフォルニアのひどく不便な山の中で生活されていたというから、武蔵野の雑木林の中で、雨が降れば家じゅう雨漏りだらけのあばら家で暮らしていた私の幼少期の事が書いてある、この「家の履歴書」には共感されるところがあるのではないかと思う。光岡師も私も幼い頃、武術に関心はあったが、自分が大人になった時、まさかこのような武術を専門とする世界に生きていようとはまったく思ってもいなかったと思う。 このような事がいろいろとあったからかもしれないが、京都から帰って東京駅でフト夜空を見上げると、ついこの間見た印象と、随分と久しぶりに見たような印象とがダブって、いままでに感じた事のない非常に不思議な思いをした。

以上1日分/掲載日 平成21年12月22日(火)


2009年12月26日(土)

 気がつけば、すでに暮れも27日。12月は長野から始まり、次に福岡、福山、そして大阪、京都と、毎週末出かけて、今週はようやく自宅にいられる日が続いているが、留守中に溜まっていた用件の整理と片付けをしていても、さらに上積みされる日々の郵便物や宅配便、そして電話にメールの数々と取り組んでいるうちに、たちまち一日が終わる。しかも、この暮れにきて、いままでにない技の転開(「てんかい」は、本来「展開」と書くのだが、今は何だか転開の字を当てた方が状況をよく表しているような気がする)。
 とにかく今月の中旬頃から、短期間でこれほど剣術から体術、打剣に至るまで変化した事は、今までの記憶にない。来年は久しぶりに術理の解説本を出そうと、いままでの経過をある程度書き始めてはいたのだが、今現在、起きている事と、これからの事を一体どう書こうかと、やや呆然としている。そのため、今年の暮れは例年以上に多くの方々からいろいろと頂いたが、その御礼も殆ど言えていない。

 誠に申し訳ありませんが、私の場合、技の研究の優先順位は他の用件に比べ、際立って高くしてありますので(そうでもしておかないと、様々な事務的用件や雑用のため、稽古研究にまったく時間が割けなくなる恐れがありますから)、その技の進展状況が動き出すと、どうしても様々な用件を犠牲にせざるを得ないのです。(といっても、1日3時間から長くても5時間くらいですが)
 そのような訳で、本来御礼や御挨拶を申し上げねばならない方々にも、今年は殆ど御礼を申し上げておりません。誠に申し訳ありませんが、御礼は私の進展した技の御報告で代えさせて頂きたいと思います。
 この事、どうか御容赦下さい。また、年賀状にも手がまわりませんので、併せて御海容を頂きたいと思います。

以上1日分/掲載日 平成21年12月27日(日)


2009年12月30日(水)

 27日は小金井で今年最後の稽古会。会場も広いところではなかったので、広く告知はしなかったが、どこでどう知られたのか、俳優の榎木孝明氏まで来られて予想以上に多くの方々が参加された。稽古会は3時から5時だったが、その後の打ち上げでも、ずっと技の検討と検証をしていて、新しい課題が見つかり(これは、私にも懐かしい「斬りの体捌き」への新たな取り組みである)、店は閉店したので近くの公園に場所を移して、さらに1時間半近く稽古をしたから、結局9時間ぐらいずっと稽古と研究をしていた事になる。そのためか、久しぶりに両足の太腿が筋肉痛になってしまった。これは稽古量というよりも、動き方が本質的に大きく変化したからだと思う。
 それにしても、事稽古となると、自分でも驚くほど情熱が続く。恐らくこの情熱がなくなったら、私の一生も終わる時なのだろう。
 しかし、この暮れにきて、これだけ稽古と研究にのめり込めるのは、新しい展開があったからである事は確かである。しかもそれが短時日の間に次々と変転してゆく。
 27日の大きな気づきの一つは、刀を持つ手之内が大きく変わったことである。
 それは、25日と26日にそのきっかけとなる気づきが育ってきていたが、何と言ったらいいか、刀を持つ手之内が何とも名状しがたい葛藤を感じるような、指全体がその葛藤にもがいているような持ち方で、勿論いわゆる「茶巾絞りに持つ」などという持ち方とは程遠く、古の諸流派の伝書等にもいまの私の太刀の持ち方のヒントになるようなものは思い出せない。
 ただ、いま、こうした柄の持ち方に気づいてから思い返せば、古伝書にみられる「紅縮の手之内」とは一体どのようなものだったのかと興味はそそられるし、夢想願立の絵伝書のなかにある、両手の指同士が接するような最も不可思議な太刀の持ち方の手之内なども気になるところである。
 それにしても古来から「手之内」が大事だとよく言われるが、「こんな事で、こんなにも変わるのか」と驚くほど太刀行きが速くなった。しかも、その手之内と、何とも表現しづらい微妙かつ否定しようもない精神状態とのリンクは、人間という存在の不思議さを益々感じさせてくれる。これは、この先またどれほど変転に変転を重ねていくか分からない。
 いったい一年後、私は何をどう説いているだろうか。
 しかし、有難いのは、これほど変化変転し、くるくると説くところが変わっているのに、ますます熱心に私の技を学ぼう(というか技を体験したい)と情熱をもって来て下さる講座や稽古会の常連の方々が、次第に多くなってきている事である。
 確かに、変化する度に技の利き方は上がっているから、技を受けられる人達も情熱的になるのかもしれないが、段位も級位も指導員という役職がつくわけでもない私の稽古会に常連として来て下さる方々は、純粋に技の研究をしたいということ以外の思いは殆どないようである。
 それだけに、私の技への抵抗もキツくなり、いやでも私も技を進ませるしかない。そうした方々に助けられ、今年も思いがけない進展があったし、来年の研究も希望が持てるわけである。ここで、このような技の研究に情熱をもって私の講座や稽古会を支えて下さった方々、また各地で私の講習会を開いて下さった世話人の方々や、著作などでお世話になった方々に、あらためて御礼を申し上げたい。

 皆様、来年は寅年で荒れる年と言われておりますが、「雨降って地固まる」のことわざのように、荒れる働きを根本的な組み換えの好機と捉えて、佳い年となるように乗り切って下さい。

以上1日分/掲載日 平成21年12月30日(水)


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