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2002年3月7日(木)

昨日は、来月末にあるトークのイベントの打ち合わせ等もあって、初めて葉山に行く。木々の多い葉山の町で、とても3月とは思えぬ気温のせいもあり、ほんの一時ではあったが寛いだ時間を持てたのは幸いだった。

ほんの一時、というのは、この日はその後夜7時から新宿百人町にある人間学研究所での講演を依頼されていたからである。これは昨年和光大学を退職された岩城正夫教授の教え子が、『縁の森』の共著者中島章夫氏であった縁による。しかも私が刃物の事に関して完全に脱帽した関根秀樹氏も同じく岩城先生の教え子で、今回の講演要請は直接には関根氏よりあった。
講演会場には岩城先生はじめ、この人間学研究所の名誉所長を務められている小原秀雄女子栄養大学名誉教授、所長を務められている柴田義松東京大学名誉教授等々、人間学研究所の関係者の方々、それに最近よく来られる桐朋高校・桐朋小学校の先生方、そして桐朋女子部の校長をされた浅井先生等々多くの先生方が私の話を聞きに来て下さっていた。

講演の後、小原先生から「甲野さんの研究姿勢こそ科学そのものですよ」とおっしゃっていただいたのはありがたかった。小原先生といえば、私が中学校の頃読んだ動物関係の本に解説を書いておられたその道の権威であり、まさか数十年後こんな形でお目にかかれるとは思わなかっただけに、いささか感無量であった。
講演会の後の打ち上げも和やかで、頭の固くない科学者の方々との交流は楽しかった。お世話になった佐竹幸一人間学研究所事務局長にはあらためて御礼を申し上げておきたい。

それにしてもやる事の多さは、我ながら頭がよく破綻しないなと思うほど。そうした忙しさの気分転換に、新しく依頼された仕事をついまた引き受けてしまうから忙しさは更に積み重なってしまう。私という人間はよほど業深く生まれついているのだなあと思う。そのためか、最近はある真言宗の住職の方から戴いた般若心経のテープを聴いていると、これにはまってどうしても何度も聴きたくなる。

以上1日分/掲載日  平成14年3月9日(土)


2002年3月14日(木)

術理の進展はその後も続いている。今は、実に妙な表現になるが「激しく止まる」ということに一つの関心が向いている。これは止まるまでの動きはごくゆっくりでもいいということで、たとえで言うと、ダムの放水口はどれぐらいの大きさが最も激しい水流となるか、という問題のようにも思う。
これら一連の気づきのキッカケとなった「動いているものを止めることでエネルギーを得る」という原理は、その後、意拳の開祖王郷斎(正しくは『郷』に草冠がつく)の一番弟子といわれている姚宗勲が「ブレーキの力」と呼んでいた栽拳の説明とか、既に多くの先人達がいろいろと説いていたことにあらためて気づいた。自分の中で自覚のない時は、これらの言葉に出会っても、ついつい字面だけを読み流してしまっていたのだろう。

それから最近大きなインパクトを受けたのは、整体協会身体教育研究所の野口裕之先生のお嬢さんの画かれた絵の個展案内ハガキを見た時である。以前からその絵のただならなさが気にはなっていたが、何というか、どのジャンルというような分類が不可能というか、絵そのものが他の何かを連想させない力を持っている。このハガキは9日に身体教育研究所へ名越康文氏らと伺った時に戴いてきたのだが、この個展が京都で開かれているというのが何とも残念だった。

最近は20代の若い人達の中に凄まじい才能を輝かせはじめている人物と出会う縁が開けてきているようで心弾むものがある(そういう人物はきっと30代にも10代にもいるだろう)。他の誰とも違うオリジナルの光でこれからの時代を拓いてゆく人達が、今後益々育ってきて欲しいと思う。
私もせめてそういう人達の話し相手は務まるように自分自身を研いでいきたいと思っている。

以上1日分/掲載日  平成14年3月14日(木)


2002年3月15日(金)

「中々に又里近くなりにけり あまりに山の奥を尋ねて」という古歌があったが(柔術や剣術の伝書にしばしば道歌として使われている)、「動きを止めることで、エネルギーだけを取り出す」という新しい術理を、ここ50日ばかりの間に展開し検討してきて、昨夜ふと「なんだ…以前にもこのことを考えてやっていたじゃないか」と思い出した。それは私が中島章夫氏と出した『縁の森』の中でも書いている「石光」である。『縁の森』の中でも言っているが、これは最初「逆流」とか「石火」という名前にしようかと考えていたもので、流れていた川を突然逆行させる事でアソビをとり、威力を出そうとしたものである。
ただ当時は「井桁術理」も出る前であり、全体的な身体の使い方の原理についての把握がまだ全く未成長であったので、゛止める゛ことでエネルギーだけが取り出せ、しかもそのエネルギーに刀を運んでもらって抜技を使うとか、体捌きに使うなどというところへはどうしても思いが及ばなかったのである。

それが昨日、桐朋の高校や短大、それに小学校の先生方がみえた折、剣道五段のH先生に打太刀を頼み、初めて真剣で抜技を使ってみた。この時まで竹刀や木刀では何度もやっていたが、真剣でやってみると私の統禦可能な限度を超える速さが出てしまった。一瞬、今自分が持った刀がどこに在るのか分からなくなり、「ひょっとして腕に斬り込んでしまったのではないか」と瞬間、背筋が冷たくなった。
とにかく、この止めることで発生する力というのは、ちょうど釘をハンマーで板に打っていて、釘の先端が硬い節に当たって入っていかなくなった時、釘の頭が強い力を受けて変形するような現象に近いことが起こっているように私には思われる。つまり、手は刀を操縦するだけで動力源としては使っていない感じなのである。この状況は別のたとえでいえば、薄く油が引かれている熱せられたフライパンに水滴を落とすと激しく弾き飛ぶような感じなのである。
ブレーキのかけ方が今後段々と分かってくれば、恐らくコントロール性も増し「ヒヤッ」とすることもなくなってくるだろうが、そうなったらきっと又次々と課題が現れることであろう。

昨日はまた、打剣が稽古の工夫如何によっては超高速站椿にもなり得るのではないかという気がしてきて、この方面も工夫を進めて行きたいと思っている。

以上1日分/掲載日  平成14年3月17日(日)


2002年3月19日(火)

SF MAIDのマークで、その世界では頂点の人といわれるカスタム・ナイフ・メーカー古川四郎氏との対談のため、昼少し前、相模湖駅にA社の編集者K女史と降りる。ここで待っていたカメラマンのF女史と合流、古川御夫妻の車に迎えられ近くのレストランで昼食の後、相模湖や丹沢や道志の山々が一望出来る御自宅で話をうかがう。
少し離れたところにある工房を見学させていただいた後、古川氏のお招きで高尾山近くの渓流にある風流な料亭で夕食をいただきながら閉店までいろいろなお話をうかがう。
なぜ西洋古典刃物職人なのかというお話や、ナイフである以上あくまでも切れ味にはこだわりたいという古川氏の鋼材選択の理由など、ナイフ雑誌等では知ることの出来ないお話をうかがうことが出来たのは幸いだった。興味のあることというのは恐ろしいもので11時間がたちまち過ぎた感じだった。
古川氏ならびに古川氏の奥様には、あらためて深く御礼を申し上げたい。

それにしても今年の桜の開花は早い。相模湖畔もすでに五分咲き以上。こんなに早かったのは私の記憶にあるかぎり初めてである。何だか波乱の多い年を暗示しているようで少し気になる。

以上1日分/掲載日  平成14年3月20日(水)


2002年3月25日(月)

諸々の用件が同時進行でいくつも動いている為、何か誰かと約束している用件を1つか2つ完全に見落としているような不安がある。新しい用件が入る度に予定表に必ず書き入れる事にしているのだが、電話で受けた直後に別の用件がキャッチホンで入り、更に全く別の用件が続いた時など最初の用件を思い出さないまま思考が別の方向へと展開することがあり、注意に注意を重ねているのだが、最近はそれでも不安がある。
最近特にダブルブッキング等をやっていないか不安なのは、2月初め以来展開してきている「容器を止めることで、なかのエネルギーを取り出す」という術理が更に幅広く展開してきて、稽古をする度にこの術理を個々の技へと応用する新たな発見があり、そのため気持ちがかなり技の研究の方にとられている気がするからである。
武術稽古研究会と名づけ、何よりも術理や技の研究を最優先にずっとやってきたのだから、これは当然のことなのだが、用件がこれだけ降ってくると私の処理能力もパンクしそうだ(それでも気分転換しようと新しい企画を入れているのだから我ながら呆れるが…)。
従って「私に何かの企画その他で仕事の依頼等、約束をしていただいた方はお手数をおかけしますが、1度確認のため御連絡をお願い致します」とここで申し上げておきたい。

以上のような状況の中でも、今述べた通り、稽古となると時間をとっているので、一昨日、昨日といくつか気づきがあった。
一昨日の気づきで一番印象に残ったのは、「座りの正面の斬り」。うまくこちらの容器としての体を止めるタイミングが合うと、後へドンと相手が突き飛ばされた形になる。
そして昨日は、相手の蹴り技に対しての新発見があった。蹴り技は手で払うと今までは手への負担が大きかったため、まともにぶつける形はとらないようにしていたのだが、容器としての肉体を止めて中身のエネルギーを出す動きの工夫を初めて蹴りに対して用いた結果、相手の蹴り足に触れる瞬間、手は止めるため、手へのショックは少なく、しかも相手は今までになく崩れるという現象が起こり始めた。まだまだ試み始めたばかりで不備な点は多々あるが、劃然とした利きの違いを感じることは確か。

こうした技の展開には、一昨日の稽古を最後に北陸に引っ越すK氏から折りにふれて聞くことが出来た物理、化学上の様々な話が潜在的に役に立っていたと思う。この場を借りて感謝の意を表したい。K氏はある大手機械工業メーカーの優秀な研究者であったが、生命現象の方により興味が出たようで、惜しまれつつ退職しこれから新たな道を切り拓いていくらしい。新たなチャレンジに向かうK氏の前途を祝し、これからも時折興味深い話を聞かせていただけるようお願いしておきたい。

最近はまた恵比寿稽古会常連のO氏から送られた『砂時計の七不思議』(中公新書)も技を考える上で興味深く、『王郷斎伝』(正しくは「郷」に草冠がつく)や『願立剣術物語』と並べながら様々に想いを膨らませている。

以上1日分/掲載日  平成14年3月27日(水)



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