2002年6月10日(月)
最近は忙しくなってきているとはいえ、「寸暇ない」という状況が10数日間も続いた例は、ちょっと記憶にない。その為、この『随感録』も今までで一番間が空いてしまった。
まず5月の終わりから6月初めにかけて、イベントをしない私の会で初めて講師を招いての講習会を行なった。
その後すぐの6月4日は全国の私立中学高校の先生の研修会での講演。
翌日は、雑誌『致知』で漢方のY先生との対談。
その翌日は出版社B社で企画中の本についての相談と、都内での稽古会。
そして1日おいて仙台での稽古会と、昨日まで諸々の用件と、その用件の準備と後始末に忙殺され、よほど重要な場合以外は手紙も原稿も書く暇がなかった。
昨日は仙台の稽古の後、東北の山中で炭を焼いている佐藤家に泊めてもらい、随分久しぶりに12時前に寝て、ぶっ通しで7時間ぐらいの睡眠をとることが出来たが、かなり疲労がたまっていたらしく、朝起きると体にむくみが残り、目の辺りは喧嘩の後のように腫れ上がっていた。
この2週間ほどの間、技の面でも他のことでも気づきやら何やら山のようにあったが、そのことについては又整理して段々に述べてゆくことにしたい。
以上1日分/掲載日 平成14年6月13日(木)
2002年6月26日(水)
体調がいまひとつ思わしくない上、種類がまったく違ういくつかの気になる用件を抱え、さらに講座や講演の準備・打合せが重なり、この『随感録』の執筆が間遠くなってしまった。
この6月に起ったこと気づいたことはじつに様々にあるのだが、書き出したらきりがないという思いもあり、どうもいまひとつ気乗りがしない。
精神的に低空飛行。19日、ある本の企画で編集者と会う。会う前は、この人と会うことで少し精神的に上向けるかと思っていたのだが(けっこう馴染みのある人だったので、取り繕うところがなかったからだろうが)、この人物がまた私以上に精神的に低空飛行で、悪い印象は少しもなかったのだが、一緒に波すれすれの低空飛行をした感じで苦笑い。
ただ、精神的に低空飛行だと、「人間にとって自然とは」という、私が武術に志した当初の本質的な問題についてどうしても考えてしまうから、私自身の気持としてはどこか落ち着くところもある。
まあ、これはこれでいいのだと私なりには納得しているが、本の企画がさっぱり進まないのは困ったものだ。
そうした気分の反映か、ここ最近、私が座って書き物をしている机のすぐそばにある本棚に入ったまま10年くらいも開いていなかった井上靖著『本覚坊遺文』に手が伸びた。
この本は『剣の精神誌』を書いた頃によく読んでいたものだが、あらためて約10年ぶりに読み直してみて、10年前とは違った新たな感慨があった。
特に印象に残ったのは、主人公である三井寺の本覚坊の師・千利休が語った形で出ている利休の師の紹鴎(武野紹鴎のこと)が「連歌の極みは枯れかじけて寒いというが茶の湯の果てもまたかくありたいものである……」という一節であった。
本の中では、秀吉の怒りをかって死を覚悟した利休の心境として、「死が客になったり亭主になったりしてくれています……」とあるが、私にはそうした個々人の生死よりも、もっと深い文明文化を発達させずにはおれないのだが、そのために自分自身も苦しむ人間の業そのものを直観的に感じている人間の発言のように思われてならなかった。
このような状態であるから、最近いろいろとあちこちから問い合わせや講演等の依頼があっても(勿論、それはそれでありがたいのだが)、そういう御要望の波にいまひとつ乗りきれないでいる。
ただそういう私のマイナー性があるからこそ、何がどうなのかはよくわからぬが「助かっている」ところがあるのかもしれない。
それでも28日は神戸女学院大学での講座。内田樹先生のお顔を見ることが出来ればまた元気になるかもしれない(内田先生は私と違い次々と著作を世に送られ、ここ一週間ほどの間にも『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)と『大人は愉しい―メル友おじさん交換日記』(冬弓舎)の2冊を送ってくださった。この場を借りて御礼申し上げたい。
そして30日は岡山でスペシャル稽古会(どうスペシャルなのかは来られた方にはわかるだろう。この稽古会の問い合せは四国稽古会の世話人である
守氏に御連絡いただきたい)。
以上1日分/掲載日 平成14年6月26日(水)
2002年6月27日(木)
気分が落ちていても打剣の工夫だけは格別。今日は今までの稽古で一番目を見開かされた思いがした。
今日は気温が低目で手之内がベタつかず、掌と剣との摩擦が少なくて滑りやすい為、剣の扱いが難しかったのだが、指をスッと伸ばしアソビをとって体のうねりを無くし、丁寧に剣を扱う感じでスーッと手を先行させ、すぐ腰中心に体全体で動きを発し、ほぼ同時に止め、これで発力。この時、腰が消えた感じが出ると体全体がフッとひとつになった感じで精神的にも別世界。
剣の飛びも、いわゆる「水を引き渡したような」飛びで、四間(約7.3m)の距離で杉の伐根の的に、ちょっと抜くのが困難なほど刺さる剣がしばしば出る。これほどの刺さりは以前二間ぐらいの距離なら出たが、四間では数百本に1本も出ないくらいだったから何とも感慨深かった。
以上1日分/掲載日 平成14年6月29日(土)