HOME 映像 随感録 活動予定 告知板 著書 掲載記録 技と術理 交遊録 リンク集 お問合せ Twitter メルマガ English
2002年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2001年 2005年 2009年 2013年
2002年 2006年 2010年 2014年
2003年 2007年 2011年 2016年
2004年 2008年 2012年

2002年11月1日(金)

 昨日は、この7月逗子でお会いし私の剣入箱をお願いした木彫彩漆工芸家の渡部誠一氏にお目にかかり、お願いしておいた箱を受け取らせて戴いた。渡部氏の事については既にこの随感録で触れたが、とにかく今の時代これほどの思いを込めて、これほどの技術で作品に取り組む人がいたのか、ということが何よりの驚きであった。7月にお目にかかった時、私が手から離せなくなった、あの木ノ葉の作品の見事さからいって、箱はどのように仕上がっているのか楽しみというより怖いような思いで拝見させていただいた。

 第1印象は「エッ」であり、次に思ったことは「ワァーッ、これは今の私には分に過ぎたものだ」という思いだった。この作品がどのようなものかは、遠からず私のホームページとリンクしている 渡部氏のホームページにその写真が載ると思うが、荒々しい木を斧で断ち割った姿そのままで、内側は剣の載る台は湖面のように漆を重ね塗りし、蓋の方は金で梅花が描かれている。これは気に入って愛蔵するというのは余りに勁い(つよい)。勁すぎる。気楽に座右に置くという訳にはとてもいかない。私のものとして手許に置くとしたら、その意味はこれに位負けしないように自らを研いでゆくため、という理由ぐらいしか思い浮かばないだろう。

 「もしお気に召さなかったら、どうかそうおっしゃって下さい」と渡部氏は言われるが、気に入るも入らぬもこれほどのものを目の前に置かれてはどう対応すべきか私の方がうろたえてしまう。もちろん納めさせて戴いたが、さてこれからが大変だ。

 大変といえば、カード破産状態に似た私の持ち時間の無さは悲惨なほど。今日も数々の依頼の手紙や書きかけの原稿を整理して片付け中に時間切れで、コンピューター関連では広く知られているF社の方が社内の研修講師の御依頼に来られ、その後1時間と経たぬうちにゴルフ雑誌の取材で10人近い人々がみえ、様々な質問を戴き私自身もいくつか思いがけぬ気づきがあった。とはいうもののお蔭で本日仙台大学に発送するはずの荷物が出せず、その上手紙やFAXで依頼だけは確実に増えたという1日だった。

以上1日分/掲載日 平成14年11月3日(水)

2002年11月6日(水)

 11月になったと思ったら、もう1週間になろうとしている。この間先月の終わりにあった仙台での稽古会の後、2週続けて行く事になった東北の山々は紅葉が始まりはじめていて、今年は冷え込みが早かったせいか、始まりとはいえ木によってはひどく鮮やかだった。だが、その紅葉も碌に楽しむ暇がない。2日は父の友人の縁でW大のラグビー部員4人が来館。稽古会の後、タックルやらタックルの躱し方をいろいろ実演しているうち、3時間もたってしまった。まあ3時間の間繰り返しいろいろやって、この4人からの質問が途切れなかったというのは、彼らにしてみれば興味が尽きなかったという事だったのだと思う。私も忙しさで稽古がこのところ疎かになっていると思うから、ついついやってしまう。

 しかし、前日のゴルフ誌の取材といい、この日の稽古といい、持ち時間のないなかの大幅延長は翌日にまで響く。3日は10時4分発の東北新幹線に乗る予定だったのだが、前夜いろいろやって午前3時頃まで起きていたから朝の慌てようは一通りではなかった。この日は、体育の専門大学である仙台大学の学園祭での実演と解説の講座のため仙台へ。仙台駅には仙台での私の稽古会の常連の中でもひときわ稽古熱心なS氏とYさんカップルの出迎え受け、S氏の車で柴田町の仙台大学へ。今回の講座の世話人をして下さった中房先生やバスケットボール部の児玉先生、陸上部の横川先生に挨拶をする。受講者はバスケットボール部や空手部の学生諸氏。あまり質問が出ないと思っていたが、終わった後いろいろと体験を希望する部員が多かったから関心はかなりあったようだった。その後、児玉先生にS氏、Yさんらと共に夕食を御馳走になる。食事の後、私を炭焼きの佐藤家まで送って下さる米沢のK氏の車に乗り込み、山形県境近くの佐藤家へ着いたのは9時半をまわっていた。疲れてはいたが、保存食の仕込みをしていた円さんと話しているうち午前2時をまわってしまった。

 翌日は円さんの御両親姉妹一家でのバーベキューとの事。一緒に参加させて戴いたが、流石に持ち時間のなさが気になって、ちょうど佐藤家に私を訪ねて来られたK氏(先週高畠でお会いした方)の車で、山形新幹線の高畠駅まで送って戴き、予定より1日早く帰宅した。帰ってみると、内田樹先生より『期間限定の思想』が届いていたので御礼を電話で申し上げる。10分のつもりがついつい話して30分。

 明けて5日、PHP研究所の太田氏から電話。この日ほぼ全国の主要な書店に並ぶことになるだろうという文庫版の『武術の新・人間学』が、刊行直後ともいえるこの時点で2刷が決定したとの知らせ。まあ最近私の事が話題になっているようだから、11月中に2刷はあるかなと思っていたが、まさか書店に並びきっているかどうかという時期に2刷とは驚いた。この日も電話、電話、電話・・・。これはよほど日程の段取りをよくしないと本当に時間破産になりそうだ。しかし、この段取りに忠実というのが、私はとにかく苦手。思いついてその気になったものを取りあえずやってゆくという私のスタイルは容易には変えられそうもない。

 そして明けて今日6日は、様々な電話の中に山暮らしのために体を何とかしたいという人からの相談などもあり、事が事だけについ話にのめり込んでしまった。また昨日ブルガリアから戻られた日本の射撃チームの藤井監督からもお電話を戴いたが、早速に射撃場に手裏剣術の稽古用に剣止めの材木をトラック1台分運び込みましたの知らせを聞き、その対応の早さにあらためて舌を巻いた。

 現代のスポーツ界のトップレベルの指導者の中で、藤井監督ほど私に体の使い方の主なところを1度で理解し、強い関心を持ち続けて下さる方もいないと思っていたが、その関心の高さをあらためて実感した。この次高畠に伺うのが本当に楽しみである。

以上1日分/掲載日 平成14年11月8日(金)

2002年11月11日(月)

 人生53歳にして私自身の自己管理能力のなさにあらためて呆れる思い。とにかく、もう僅か原稿用紙数枚程度の原稿すら受ける余裕はないはずなのに、今日も又成り行きで2つ仕事を引き受けてしまった。依頼主が感じが悪ければ断るのは簡単だが、感じが良かったり話しが通りそうだと、つい話してしまい、なし崩しに引き受けた形になってしまう。これが「いずれ、そのうちに・・」というものならまだいいが、殆どが期限付きである。(そういえば、内田樹先生の『期間限定の思想』は相変わらず見事な筆の運びだった。)内田先生のように、今年の大晦日をもって専門研究以外の原稿は原則として書かないという事にしてしまえば、もっと私もやりたい事が出来るのだが、原稿を書くのも私の仕事のうちだから止める訳にはいかない。というか、この不況下に断るのに苦労するほど仕事があるというのはありがたいことには違いないのだが・・・。

 しかし、過ぎたるは及ばざるが如しで、私の精神衛生上はこの依頼の数の多さは正直負担である。なぜ断固として断れないのか、と自分で自分を観察してみる。「断って偉そうに思われたくないのか」(確かにそれもあるかも知れない)「話の通りそうな人と話していると、その中にいろいろ発見がある」(それもある)「折角の仕事だ。断るなんて勿体ない」(それもある)しかし、限界はとっくに越している。

 そうしたなか、昨日田中聡氏から、来年1月頃刊行予定の原稿を預かる。読み出すと、その筆の見事さに止まらなくなってしまった。内容は私の事である。私の武術の技の解説や生い立ちやらが書かれているのだが、まるで他人の人生を読むように引き込まれてしまった。以前から田中氏の文才はただならぬものがあると思っていたが、8年ほどの年月をかけて私を観察して来られたその観察力の見事さに脱帽した。もちろん過分な評価はあるのだが、文章が見事なので素材よりその料理法の見事さに感心してしまい、我がことながら、あまり面映くも恥ずかしくもなかったから妙なものである。

 田中氏の発刊が決まれば、又この告知板でお知らせしたいと思うが、とにかく唸らされた。

以上1日分/掲載日 平成14年11月11日(月)

2002年11月11日(月)

 「人を忘れる、月日を忘れる、財布を忘れる、道を忘れる、家を忘れる、電車自動車に物を忘れる、買い物をして釣り銭を忘れる、1度家を出たが最後、忘れることを忘れた無事な日がない」とは、私が明治以後の武の先達として最も深く尊敬している無影心月流の流祖、梅路見鸞老師のエッセイ『忘々録』の書き出し部分であるが、私も昼食にと置いてあった味噌汁を温め直そうとして、数分前に確認した筈なのに、飯鍋の方を火にかけてしまったり、ヤカンの湯を沸かさねばと思いながら、自分のやらなければならない様々な事の処置を考えているうち、風呂に火を点けて慌てて消したり、池袋の講座の日を1週直前まで間違えていたり、外出するのに持っていくべき必要なものを5つも6つも忘れて出たりと、最近ただならぬ忙しさのお蔭か、こと忘れることに関しては、梅路老師なみになってきたと思えるほど。

 しかし忙しさの為、稽古時間が削られているのは非常に問題である。それは稽古会の常連何人かと手を合わせてみて、その成長進展を肌で感じるだけに、一層切実、何としても集中出来る稽古時間は確保しなければと思う。今までは時間が無い無いとは言っていても、ちょっと稽古を始めれば、1時間ぐらいはあっという間に経ってしまう事が多かったが、その稽古時間にFAXは来る、電話は来る。それもすぐそれに対応しなければならない事、忘れていた急用まで思い出されたりで、そのうち眠気に誘われ、翌日の予定の混み具合を思って寝てしまうという有様だった。

 しかし昨日名古屋の東海体育学会へ行ってきて、私の動きに対する今までにない関心の高さを肌で感じ、やはり稽古をせねばと思い、これからは、何とか時間を作りたいと思っている。それにしても名古屋までI書店の編集者が泊まりがけで本のための原稿の録音どりで同行といった有様。とにかく忙しいなりに何とか生活のサイクルをつくらねば・・。

 名古屋大の山本先生、桐朋の長谷川先生、豊田市のK氏、今回は大変お世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

以上1日分/掲載日 平成14年11月12日(火)

2002年11月17日(日)

 早いもので母を喪してから1年経った。14日の命日は、その1周忌の法事。山積みの原稿と法事の準備やら何やらで、11日の月曜日、朝日カルチャーセンターで稽古して以来、丸々4日間殆ど稽古らしい稽古はやらなかった。今まで怪我や病気で4,5日稽古をしなかったことはあったが、そうした体の不調によらず、丸々4日間も稽古をしなかったというのは私にとっては極めて稀なことである。

 「ああ、これはまずいなあ」と思っていたところ、16日朝起きると腰の調子がおかしい。別に腰痛持ちではない私は、その時スグに身体が稽古不足を訴えたのだという事を悟った。そして、この日は午後から久しぶりの稽古。何か身体が勘を忘れている感じがしたが、逆に3日と空けることなく稽古をしていると、何かその前の稽古の感覚に積み重ねも出来るが、逆にいうと、その連続がマンネリ化したものを引きずっていたりもする。その点、久しぶりだと新鮮で思いがけぬ発見もあるから、何がプラスになるかわからないと思った。(ただ、身体のためには確かに毎日やった方がいい)

 ただ、この土曜の稽古でも不足だったのか、今日日曜日も、始まる前に変に腰にヒキツリ症状。しかし今日は随分久しぶりに日曜日の常連稽古の面々と稽古が出来、稽古不足を訴えていた腰もようやく満足したようだ。その上、久しぶりに吉田氏らと、日本と中国の武術の腰の構えや、刀を両手で持つか片手で持つかの違いなとについて、手応えのある話が出来たことも私の精神衛生上よかった。

 さて、今週は明日の富士通を皮切りに20日の葉山、21日からの関西と、続々予定がつまっている。忙しい、忙しいなどと言うよりも、それらの御縁で、また新たな世界を切り拓かせてもらえることに感謝しよう。

 新しいといえば、神戸女学院大の内田樹先生から続々と新刊の贈呈を受ける。『期間限定の思想』(晶文社)、『女は何を欲望するか?』(径書房)。相変わらず、そのユーモアに包まれた論の展開の見事さには脱帽させられる。

 また、ここ何年も間が空いた『剣の精神誌』の5刷が出来たとの事で、今日送られてきた。当初は増補改訂の予定であったが、1年経っても私の原稿が出来ず、増補なしの若干の校正のみでの増刷となる。この本は増補改訂を見送り、まったく新たに続編をつくることにする予定だが、問題はいつ書き上がるかである。U氏という得難い協力者からの助力を得られることになったので、今までよりは刊行にも望みが出てきたが、単行本の優先順位では5〜6番目。書き上げる情熱も資料もあるが、問題は時間だ。ただ、このところ、ずっと対話やテープ起こしての本づくりばかりなので、じっくりと腰を据えたものをやりたい気持ちは十二分にあり、私の中でその続編執筆への切実さを高めたいと思っている。

以上1日分/掲載日 平成14年11月19日(火)

2002年11月21日(木)

 諸用がたまっているが、大阪の名越康文氏からのお誘いもあり、朝日カルチャーセンターでの講座の1日前に大阪入りし、現在進行中の、作家の多田容子女史との共著の打合せを多田女史と梅田駅近くのホテルの喫茶店で行ない、夜は久しぶりにカルメン・マキライブへ行く。最近のマキさんの様子は、名越氏から噂は聞いていたが、その歌というか湧き上がる声の迫力は、今まで聞いた中で最も凄まじかった。

 2ヶ月前の9月、中国武術家のH師の手を持たせて戴いた時、「ウワーッ、何だこれ、人じゃないなあ」と思ったが、21日の夜、久しぶりに聞いた歌手カルメンマキの声も、とても人が出しているとは思えぬほどで息が止まりそうだった。

 8年前、信州で初めてマキさんの歌に接した時の衝撃は大変なものだったが、8年経って当時よりはずっと冷静に聴ける筈なのだが、迫力というか凄さは今の方が圧倒的にある。現在はテレビに出るなどのメジャー志向には背を向けているマキさんだが、ライブハウスで間近に彼女の歌を聴いたら、たまげる人は随分たくさんいると思う。畏友の益々の深化を祈りたい。

 そういえば、このマキさんと名越氏と私と3人で書いた『スプリット』(新曜社刊)は、人によっては相当の影響を与えたようで、この折も来合わせていた見知らぬ人から声をかけられた。私にとっても自分自身の内側をあそこまで深く掘り下げた本は他にはない。在庫も残り少なく、注文の入り方が今のままでは重版は難しいかも知れないとの事なので、御関心のある方はお早めにどうぞ。

以上1日分/掲載日 平成14年11月24日(日)

2002年11月24日(日)

 22日と23日連日、岡山の内家武学研究会の光岡英稔氏と2人で講師になって、朝日カルチャーセンターと難波のクボタの武道場で講座を行なったが、どちらも満員札止め状況。

 2日間一緒に講師を務めてあらためて感じた事は、今後の光岡氏の向上の可能性である。光岡氏は光岡氏に触れた多くの人を、冗談のようにフッ飛ばしはしても、自身の未熟さを痛感している様子をハッキリと感じとることが出来た。このあたりが自分自身を「大した者」だと思い込んでいる、いわば出来上がってしまった達人と光岡氏の違う所で、それは目指している目標が段違いだからであろう。当然のことながら、その技の精妙さと利き方は日に月に磨かれてゆくことになると思う。御縁のあったことを深く感謝している。

以上1日分/掲載日 平成14年11月24日(日)

2002年11月28日(木)

 何らかの形で世に出ると、いろいろなトラブルは起こりがちなものだ。現在出ている『週刊ゴルフダイジェスト』誌の記事の中に、巨人の桑田投手と私の事が書かれているのだが、そこに事実とは全く違った、作られたエピソードが載っていて驚いた。それは桑田氏に見せた牽制球のフォームの事である。これは桑田氏が初めて私の道場を訪れた200年の3月7日、私が何か桑田氏の参考になるものはないかと考え、その時抜刀術の逆手抜飛刀打応用として、その場で思いついたものなのだが、記事の中ではそれ以前に私がこのフォームで牽制球を投げるところを、この記事を書いたライターに見せたことになっている。その他にも「何だかな〜」と思わざるを得ないところがいくつもある。

 ただでさえ忙しい中にこんなことがあると本当に消耗する。

以上1日分/掲載日 平成14年11月28日(木)

2002年11月28日(木)

 今日は、夕方からあった都内の稽古会へ行ったところ、何人もの人達から私が載った『週刊ゴルフダイジェスト』の記事について、「あれ、先生ゲラ見てないでしょう。先生だったら絶対に使わない表現が、先生の発言として出てましたから・・」といった意味の事を言われ、さすがに私と身近で接している人達の観察眼は確かだと思った。

 このことに関して、私と一緒に『縁の森』を書いた、恵比寿稽古会の代表者である中島章夫氏が、このホームページとリンクしている恵比寿稽古会のホームページ上で、私の武術に対する中島氏なりの回想を書いてみたいとのことだったので、御関心のある方は、そちらを御覧いただきたい。

 それにしても、私自身以外で、私や私の会のことについて解説や感想を書いて下さる方が、最近何人も出現中である。そして、その代表格の御1人が神戸女学院大学の内田樹先生。内田先生のホームページに載っていた、先日の私の関西での様子など私のホームページより何倍も詳しい。ただ、あまりに過分に私を評価して下さるのを読むのはさすがに気がひけるが・・。

 しかし、まあ私が忙しかろうが何だろうが、まるで有無を言わさぬブルドーザーのように日が過ぎてゆく。今日もかなり前から多少話があって、その後無期延期となっていたような本や雑誌の企画が2つ、又々具体化して私に覆いかぶさってきた。しかし、まあホームページ上に載っていた神戸女学院の内田樹先生の背負われている企画に比べれば、私などはまだまだ甘いものだと思ったためなのか、あるいは、どうせ忙しいんだからという居直り気分のせいなのか、何とも判別がつかないが、昨日名越氏から届いたゴルフセット(名越氏の亡くなられた父君のもの)の中のクラブを取り出して、最近何かと縁のあったゴルフについて考えてみたが、やはりどうもあまり性に合わないのか本気になれない。そこで、これを武術の一種として捉え(投石器の一種としてという事)、あらためて考えてみたところ、先日から薄々感じはじめていた現在のゴルファーのボールの打ち方に根本的問題があることをハッキリと感じ取ることが出来た。

 その問題点とは、ボールをクラブで打つ時ボールを見ているという事である。つまり武術としてゴルフボールを狙った所に当てるというふうに考えた場合、視線はその当てるべき目標物を最初から見るべきで、ボールを見るのはおかしいという事である。抜刀術で納刀する時、いちいち鯉口は見たりなどしないし、大工が鑿を使うにしても、見るのは刃先でカツラのある頭を見て玄翁を使うのは全くの素人以外には、いないはずである。ゴルフにおいても、ボールが飛ぶべき方向を見ていてこそ、身体感覚としての微妙さは養われるはずだと思うのである。こんな事を言うと、ゴルフファンから目をむかれそうだが、以上述べたような、ゴルフにはまるで無知な恐いもの知らずの私の独断と偏見的立場からの感想を言えば、タイガー・ウッズもデュパルもまだまだ素人ということになる。

 実は少し前に、私に本格的にゴルフの研究に取り組んで欲しいという依頼があるところから来たのだが、私のこのような横紙破りな意見を聞いたらさすがに二の足を踏まれるのではないだろうか。まあ、その方が現在の私にはありがたいが、どうもこのところ次々と予想だにせぬことが起きてきているので、余計な思い量りをするのは止めにしておくとしよう。

以上1日分/掲載日 平成14年11月30日(土)

このページの上へ戻る