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30日は岡山での稽古会。私の縁で来られた方は、きっと驚かれ、深く印象に残る一日となったと思う。
そして明けての7月1日、かねてから一度は行きたいと思っていた大三島の大山祇神社へ。四国の守氏の案内で岡山から数人の人々と行く。日本の国宝や重要文化財指定の太刀や甲冑などの武具の実に8割がここに集まっているという、武事には殊のほか縁の深い社であるが、社殿に入り宝物の太刀や薙刀を観ていると、体にグンと感じてくるものがあった。
それにしても本当に日が瞬く間に経つ感じで、留守中いろいろな方からお手紙やお電話、贈り物等を頂いたが、帰京してほとんど間を措かず稽古会や横浜での体育の先生の講習会があり、その上今週もいくつか講座等があるため、その準備に忙殺され御礼も儘ならないありさまである(すぐに返事の要るものへは対応したつもりだが、ひょっとして思い違いをしているかも知れない。もし、この『随感録』を御覧になってお心当たりの方は申し訳ありませんが、再度の御連絡をお願い致します)。
技の方は、容器としての動きを止めて、中のエネルギーを出すことに関して、それを二段三段と続ける工夫(ここ数ヶ月ずっと考えてきた)が、3日の夜少し出来始めてきた気がして、4日、5日、6日、7日と稽古会や講座の折、試みているが、上手くいきかけた時は頭の中が空白状態となるので、一体その時何が起きているのかの把握が難しい。
ただ、岡山から訪ねて来られた総合格闘技の選手に興味を持ってもらった固め技やら背後への回り込み方の工夫、あるいはまず外されなかったというガードを外すことが出来たりという事もあり、また合気道経験者と試みた合気道の代表的な技に対する返し技の工夫などに、今までは全く思いつかなかった動きが生まれてきたから、自覚的には一体何がどうなっているのかよく分からないが何かが変わりつつあるようにも思う。
それにしても時代の空気の重さは応える。何もかも放って、水と樹木の綺麗なところで、今日を明日を生きるに必要なことと、自分の納得のいく稽古だけをして暮らせたらどんなにか心が晴れるか…などとつい思ってしまう。
そして昨夜も唸らされたことが2つほどあった。1つは、科学とジャズが似ているということ。つまり科学は計測方法が、ジャズは演奏方法があるだけだ、というお話であり、もう1つは、私の最新の技法研究に対してである。
私は、身体という殻を止めることで中のエネルギーを取り出す方法を2連続させることに関して、2だが1に感じるように、音にたとえれば2つの音が2つの音に聴こえず1つのふくらんだ、あるいは濁った音に聴こえるようにと、2つの独立した動きが1つに感じられるほどに、その動きと動きの間を狭くしてゆくことにより、今までとは明らかに違った動きをこの7月に入ってから創りつつあるが、このことを野口先生や同行の名越、岩渕両氏に話していた時、「それはモンクの世界ですね」と、突然野口先生が言われた。
驚いて、「モンクって、あのセロニアス・モンクですか?」と思わず聞き返すと、「そう、あのモンクです。モンクはごく普通のピアノを使って、絶対に彼以外は出すことの出来ない音を出した訳ですけど、その音は譬えていうと、いま甲野さんが言われたその世界だと思いますよ」「つまり1つの音を出しているのに、それは1つの音じゃないんですよ」
私は今まで何度も裕之先生の思いがけぬコメントに驚いたことがあったが、このコメントは今まで20年以上も伺ってきた数々の驚くべきコメントの中でも最大級の驚くべきひとことだった。そのひとことは、長く長く尾を引いて響き続ける鐘の音のように私の心の中に響いていった。
何故これほど私が驚いたかというと、かつて名越氏やカルメン・マキ女史と共著『スプリット』の原稿を書いていた時、モンクのCDを名越氏宅で聞いたことがあったのだが、その時、数十秒で私が「ワァー、もう止めて下さい」と音をあげたからである。とにかく聞いていて、とてもではないが居たたまれない状態になったからである。「な、何なんだ一体、この音は…」と、とにかく、その凄さだけは十二分に分かったが、とてもではないが、聴いていると体の内側が苦しくて、のたうちまわり、この音についていけない気がしたからである。
「よりによって、そのモンクと、これから私が追求してゆこうとしている術の世界がリンクしているとは???」一瞬にして疑問符が3つぐらい付いた気がしたが、その一瞬が過ぎると、逆に「ウーン、そうか、モンクかぁー」と妙に嬉しくなるほどの気持ちが私を襲ってきた。
これは、私が10数年前に中国武術の稽古の中にあると聞いた、きわめてゆっくり身体、手足を動かす動きをちょっと真似てやってきたところ、2〜3分で精神的におかしくなりそうなほどのストレスを感じたのに、最近では全くそのようなことなく動けるようになり、以前に比べ身体の割れの細かさが進んだ実感があったこととも何か関係があるように思ったからかも知れない。
つまり「今モンクを聴いたら、あの6年ほど以前とは違って聴こえるかも知れない」と思ったからである。はたして実際に聴いた時、どのような感じがするか分からないが、是非近いうちに聴いてみたいと思う。
それにしても精神的に低空飛行時に忙しいというのは諸々の用件が渋滞するため、少し精神的にアップした時の忙しさは、その忙しさで又精神的におかしくなりそうである。なにしろ、「ああ、あの人にも手紙を、この人には電話を、ああ、もう御礼を言うのが遅すぎたなぁ…」などと自分の身体が3つほど欲しくなるから。その忙しさとストレスのためか、昨日はまた左の白眼に出血。私自身の自覚症状はないが、会った相手をギョッとさせてしまう。
何とかもうちょっとスムーズに毎日を過せないかと思うが、これも人生の税金かも知れないと半ば諦めの心境である。