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2005年2月4日(金)

 熱も出さず、汗もかかず、無理やり風邪を抑え込んだせいか、鼻水も止まったが、どうも体がスッキリしない。
 3日は片づけと名簿整理にアルバイトの人まで頼んだのに、2人して呆れるほど仕事が捗らなかった。勿論、依頼原稿も校正も一行も出来ずじまい。そこへ献本の礼の手紙も含め、郵便物やFAXは次々来るし、既に始まっている企画の打ち合わせの連絡が頻繁に入る。まるで嵐の中、船中になだれ込んでくる水を、船が沈没しないように必死で汲み出しているありさま。そのため、やりかけの緊急の用件がとうとう3割出来なくなってきた。「お忙しい事とは思いますが」という枕詞で用件を頼まれても、出来ないものはどうにも出来ない。
 数日前、1時間くらいでも無駄に時間を過ごした事が、財布でもなくしたような気持ちになってくるという事は、さすがに今まではなかったから、私の今の忙しさは、私の性格との兼ね合いから見て完全に限界を突破している。4月からの休業は早めることはあっても遅くすることは決してしないようにしよう。
 片づかない理由は何件もの依頼や進行中の企画の書類を整理しているうち、連想ゲームのように次々とやりかけの事、やらなければならない事を思い出して、あれをやったりこれをやったりとしているうちに何が何だか分からなくなってしまいそうになるからである。
 そうしたなか、1日は筑波大学付属盲学校で講座。2日はNHKの『福祉ネットワーク』の収録(これは2月16日教育テレビで夜8時から放映)。今日4日は蔵前の会を終ってすぐ大阪にそのまま入り、5日は合気道関係の方々からのお招きで山口県へ向かう予定。(ここまで書いてから蔵前の会に臨む)
 この随感録の前半は蔵前に向かう途中に書いていたので気がたっていたが、蔵前で久しぶりに体を動かすと、ずいぶんと気分が良くなって、いま大阪に向かう21時18分東京発の最終の"のぞみ"の車中では、かなり落ち着いてこれを書いていられる。
 蔵前では、高橋氏相手に「柄の取れた柄杓(コエビシャクとは、かつての日本では当たり前だった汲み取り式トイレで使ったもの。汚い表現で申し訳ないが、その柄が取れているという事は『手のつけようがない』という譬えで、禅の方で使う表現のひとつ)に柄をつける」という技を試みる。
 これは、いわゆる小手返しなどで、相手が手首を固めて頑張り、技にかからないように守りを固めた時、その守りを固めるという働きを逆利用して、瞬間にマネキンと化した相手を投げ崩すもの。ただ、手で投げようとすると時間がかかるし、方向が探知されやすく思い切り頑張られるので、相手の腕とこちらの腕を共に柄と化し、体幹を巨大な手として投げ崩す。それだけにチャンスはきわめて短い時間(私の感覚では0.1秒くらい)しかないので、やはり足裏の垂直離陸で縦方向のアソビを取り、抜刀納刀の体で横方向のアソビを取らないと、相手に技を作用させる時間がかかりすぎてしまう。「弛めず、固めず」「浮かず、沈まず」の、アソビはないが硬くはないという微妙感覚が重要。
 しかし、こうした技の感覚を科学的に表現することはつくづく難しいと思う。

以上1日分/掲載日 平成17年2月5日(土)


2005年2月9日(水)

 2月4日の夜から始まった旅は体調は決して良くなかったが、各地で熱心な方々に、いろいろと手厚くして頂いたせいか、連日深夜まで体に無理をかけた割りには、体調も大きく崩れることなく何とか持った。ただ、さすがに体に余裕がなかったせいか、新しい技の気づきは少なかった。とはいえ、最後に岡山で光岡師と、いろいろと話す機会があり、その上、少し手も合わせさせて頂き、新しい動きの芽を感じることは出来た。
 この間、私は満56歳となり、その翌日、『武学探究』が2刷に入るという知らせを冬弓舎の内浦氏から受けた。社長、従業員含めて1人という京都の小さな出版社で出した、きわめて専門性の強い本が刊行1週間で2刷というのは、現代のような本の売れない時代にあって珍しいことのようだ。
 新潮社の『身体から革命を起こす』も、既に3刷に入り、昨日辺りから2刷が市場に出たようだが、先週までは売り切れていたところがかなりあったようだ。ただ、この2刷もそう多く刷っていないから、3刷が出来るまでの間、また在庫切れの書店が出るかもしれない。この本に関しては、献本させて頂いた方々から、今まで私が出した本ではみられなかったようなお礼の手紙や電話を頂くことが多いが、これは明らかに田中聡氏の筆力のためだろう。あらためて御縁のあったことに深く感謝したい。
 それから、この本の企画の指揮をとって頂いた新潮社の足立真穂女史の企画力と情熱にも…。足立女史の包み込むようなカルガモさん的(名越氏の『キャラッ8』でいえば)情熱と集中力。そして面倒見の良さは、本の刊行後も編集者の域を超えて続いており、本の売り上げ増大に努力を惜しまれないようだ。ありがたい事だが、「まあ、ほどほどにお願いします」とも言いたいところもある。何しろ4月からは休業に入るのだから…。
 しかし、そうした私の声も耳に入っているのか、いないのか、先月末は車の雑誌『エンジン』誌に私をつないだり、来週は赤瀬川原平氏、東海林さだお氏らとの鼎談などの話を次々に持ち込まれる。更に数日前には月刊『プレイボーイ』のインタビューまで引き受けて、私の日程を考えた上で場所や時間の段取りを抜かりなくされては、やらないわけにもいかない。(さすが養老先生の信頼厚い編集者だけの事はある)
 家に帰ると、誕生日のプレゼントに姉から昭和48年に刊行された加藤周一著『幻想薔薇都市』(まぼろしのばらのまちにて)が届いていた。20代の私にとって、息を呑むよほどにまぶしく遠かった文章。特に最終章の「雁信」の最後、「めずらしく空に一刷けの高い雲があって、ここでは稀な夕焼けに染っています。日本の、京都の…」の一連の流れは、合気道の稽古に明け暮れていた当時の自分を、フトたまらない懐かしさで呼び返してくる。
 当時は金もなく、将来への漠然とした、どうにも重苦しい不安に常に苛まされてはいたが、稽古への情熱だけは人一倍あった。当時の自分を今の自分に引き合わせることができたら、どんなにか夢中になったかと思うが、こればかりは如何ともしがたい。ただ、そうした思いを掻き立てられるこの本の力にあらためて頭が下がった。

以上1日分/掲載日 平成17年2月10日(木)


2005年2月10日(木)

 片づかない。とにかく片づかない…。まるでトンネル崩落現場の復旧か沈没船引き上げの作業をしていたら、新たな崩落やオイルの流出など、思わぬ厄介なことが起こって作業が進まないことに似ている。
 2月に入って状況は悪化の一途を辿っている。とにかく片づけようと、いろいろな書類を手に取ると、次々とやりかけの事を思い出し、いっそう散らかったりする。片づけの進まないことにウンザリした事は、これまでに何度もあったが、あまりの片づかなさに背筋が冷たくなるような事は、ちょっと経験がない。
 このような事態ですので、私と具体的な期日の決まった約束をされている方は、再度、再々度の確認をお願いします。
 最近は書類の間から封も切っていない手紙を見つけることがよくあるような非常状態ですから…。

以上1日分/掲載日 平成17年2月11日(金)


2005年2月18日(金)

 ふと気づけば、3日に1度は書こうと思っていた随感録も、もう何日も間が空いてしまった。この間、本当にいろいろあった。もしも、この間のことを少し詳しく書いたとしたら小冊子1冊は出来るだろう。
 なにしろ10日には朝日カルチャーセンターであった名越康文氏の講座に出かけ、その後2人で身体教育研究所の野口裕之先生の許に伺い、そこで数々のお話を野口先生に聞かせて頂いて、あらためて人間の構造の不思議さを思った。テンセグリティー構造は、人体モデルだけでなく、人の運やら出会いやらとも関わっているような気がする。このバックミンスター・フラー博士創案のテンセグリティーに関しては、群大のS先生と日本に於けるテンセグリティーの総代理店ともいうべきシナジェティクス研究所の梶川泰司所長との縁結びをしたので、またまた予想の出来ない展開になりそうである。 しかし、名越ファンが遠く北海道からも朝日カルチャーセンターの講座に足を運んでいたのには驚いた。畏友名越医師は、これからますます注目の人となるだろう。

 13日は筑波大の高橋氏佳三氏の主宰する会で初めて稽古したが、谷川聡、浜口典子といった去年のアテネ・オリンピック出場選手が2人参加されるという今までになり展開。ここで三日月刈りという技を1つ創案。夜は介護の岡田氏宅に世話になり、14日は友部の茨城県教育研修センターで開かれた茨城県高等学校体育連盟研究大会へ高橋氏の車で行く。会場の体育館には200人を超す高校の体育の指導者の方々が集まられていた。同じような会は昨年山形であったが、いわゆる講演会で、約1/3ぐらいの人は寝ていたので、今回は私を囲む形で随時質問や実演を行なうことにしたのである。
 当初はやはり質問体験希望が少なかったが、私が相撲の指導者の方とやった後、高橋氏に代わってもらって、水を飲んで一息入れていると1人2人質問者があり、気づけば高橋氏を囲む輪と同じような輪になっていて、剣道あり、柔道あり、レスリングありで、それからは動き通しの喋り通しといういつもの稽古会スタイルとなった。会終了後も残られたレスリングや柔道の方々と、またいろいろと動き、その場で創った技もいくつかあった。
 今回は世話をして下さった方々が、私の意向をよく聞いて下さり、私としてもやりやすい形となった。芝田先生はじめ、いろいろとお世話をして下さった方々と、私のアシスタントとして入ってもらった高橋氏、望月氏にこの場でお礼を申し上げたい。
 また、今回は初めてアシスタントというか荷物持ちで長男を同行したが、思っていた以上に役に立ってくれたことは新しい発見だった。

 15日は池袋ジュンク堂で養老先生との公開対談。60人ほどの定員は申し込み受付の当日か翌日には満員になったらしい。その話から、私が顔を知っている人が半分くらいいるのではないかと思っていたが、顔を知っている人は1/3程度で少し安心した。(それでも、その比率は多すぎるとは思うが)養老先生との話となると、何かもう、ただ一緒にお話ししているだけで愉快という感じで、1時間半はたちまち経ってしまった。
 16日はNHKの「ようこそ先輩」の打ち合わせやら四国の守氏、大分の白石氏の来館やら何やらで、20人以上の人達が出たり入ったり…。また、この日は福祉ネットワークの放映があり、ホームページのカウンターが3000近くまで上がっていた。
 17日も来客。そして今日は赤瀬川原平氏らとの鼎談があるが、その前に雑誌のインビューがあり、又その前にも甥の演劇「ロマンの雲」を中目黒で観る予定が入っていて、本当に4月からの休業が待ち遠しい。

以上1日分/掲載日 平成17年2月18日(金)


2005年2月23日(水)

 21日にNHKテレビ『課外授業 ようこそ先輩』の第1回目の撮りがあり、2回目は明日24日。1回目は、まあまあ予想通りといえば予想通り。ただ、木造で冬は石炭ストーブを焚いていた教室で育った私としては、まるで浦島太郎状態になったほど設備の整った(「ようこそ先輩」制作スタッフの感想でも、「こんな設備の整った小学校は、ちょっと記憶にありません」とのこと)校舎にビックリした。
 ゲスト出演として来ていただいた方々は、昨年アテネオリンピックに出場されたバスケットボールの濱口典子選手、シュートの植松直哉選手、桐朋高校の長谷川智先生、そしてゲスト兼アシスタントとして高橋佳三氏、岡田慎一郎氏といった方々を迎え、アシスタントに長男も加わり大変にぎやかな撮影だった。
 2回目の撮影までの間も講座や稽古会が2つあり、ずっと止まっている本の企画、仮立舎本の第二部の部分と、PHPで出す予定の本の追加原稿が大変心苦しくなってきている。
 ただ、この忙しさでも、ここ一週間近くの間いろいろと技法上のことでの気づきがあるが、それらは皆テンセグリティ理論と深い関わりがある。
 19日は、酔っ払いが保護されるのを拒んで窓枠などにしがみついているのを簡単にはずす法などを案出したが、これは駅員や警備員といった人達が覚えられると便利だと思う。具体的には平蜘蛛返しの応用だが、平蜘蛛返し自体、きわめてテンセグリティ的であると最近考えはじめている。
 20日の千代田の会では剣術の影抜が一段と早くなった気がしたが、これはまさにテンセグリティの理論の応用。群大医学部のS先生が、武術の動きとテンセグリティの関係について大量のレポートを送って下さっているが、私も漸くその重要さに目覚めてきた。
 こうした一連のテンセグリティへの関心は、昨年秋テンセグリティの専門家であるシナジェティクス研究所の梶川泰司所長と韓氏意拳日本分館代表の光岡英稔師範が、たまたま松聲館で会った事がキッカケだった。話の流れで梶川所長からテンセグリティの解説を光岡師と共に聴くことが出来、2人共に関心を持ったが、光岡師の関心の持ち方はひととおりではなかった。その後、S先生に飛び火し、そうした事から私もあらためて取り組む気になったのだが、ここ最近俄かにいろいろな点で腑に落ちはじめている。21日の夜は梶川所長と小一時間電話で話し、また更に実感が深まった。光岡師およびS先生のセンスの良さにはあらためて頭が下がる。
 光岡師といえば、共著の『武学探究』の売れ行きが、ちょっと想像を遥かに越えている。八重洲ブックセンターでは売り出し直後の週では、地下1階の実用書売り場で第1位。「bk 1」や「セブンアンドワイ」といったところではジャンル別の「スポーツ部門」で第1位。ジュンク堂池袋店では2週間ほど前、全ジャンル総合でも28位だったとの事。ただ、「アマゾン」はなかなかコンタクトがとれず、在庫切れ状態なので、地方の方は「bk1」や「セブンアンドワイ」で購入して欲しいと版元の冬弓舎から連絡が入ったので、御関心のある方は、そのようにして頂きたい。
 この本に関しては(苦労して作っただけに思い出深いが)先日、身体教育研究所の野口裕之先生に予想外の過分なお褒めを頂き、これは嬉しかった。

 それにしても忙しさに追われ、出すべき手紙を出し忘れたり、かけるべき電話をかけ忘れている事が非常に多く、本当に申し訳ないと思っているが、なんとか御容赦頂きたい。
 それから、現に私と企画が進行中の方は、ゲラをFAXや郵送で送られた後、必ず電話で直接御確認頂きたい。先日もゲラのFAXを見た日が〆切日の翌日ということがありましたから。面会の予定も是非御確認をお願いします。

以上1日分/掲載日 平成17年2月23日(水)


2005年2月27日(日)

 ここ数日間の時間の流れは、どうもおかしい。24日は、まあ何とか無事に『課外授業・ようこそ先輩』の撮りが終ったのだが、その前後から技がテンセグリティを核に展開し、さらに"時間"について、あらためて気になって仕方がなくなってきている。
 時間は空間と共に世界を形成している根本的要素であり、私が武術に志した運命の定・不定への問いかけとも密接な関わりのあるものだが、何か漸く技との絡みで、ちゃんと気になってきたという気もする。ただ、モノがモノだけに、まだまだ手のつけ方がわからぬことだらけだ。いま技術的な事でわかってきたのはテンセグリティ構造をヒントに仙骨あたりの横のラインのつながりをつくりかけていること。
 ひとつの負荷がうまく全体に均等に散るようにするためには、強い負荷がかかっているところを減らすこと、負荷がぬけて弛んでいるところに適当な緊張をつくることだ。足裏の垂直離陸は縦方向のアソビを無くし適度な緊張をつくるが、横方向が難しい。そこを抜刀の体などで横方向をつないでいたのだが、三元同立で否定していた斜め部分はテンセグリティ的展開なら呑み込めるかもしれない。そして、これはずっと以前の四方輪的展開の時の膨張の概念とも通じている気もする。
 とにかく変化がめまぐるしく、来月あるいくつかの講座や稽古会ではどのような事を言っているか見当がつかなくなってきた。

 このような技と術理に関しては揺籃期ではありますが、いろいろと工夫研究されている方には、むしろヒントにして頂けることがあるかもしれません。
 私の動きをヒントにといえば、24日の朝、巨人軍の桑田投手から「今はとてもいい感じで投げています」というメールが届きました。一部スポーツ紙などには中国拳法の前後斬りなどというおかしな表現も出たようですが、直接桑田投手から私のところに来たメールでは、2月1日の朝に私のところでやっている三方斬りがいきなり早く出来るようになり、その日からピッチングも変わってきたとの事です。23日の紅白戦での活躍は、多くの人が知っていると思いますが、2回を投げてノーヒット・ノーラン、巨人の中軸打線を完全に抑えたようです。この桑田投手も、卓球の現・女子シングルスチャンピオンの平野早矢香選手も私の動きの解説をそれぞれの選手がうまく応用したことで、新しい体の使い方に気づいたようです。「御縁がある」というのは、こういうことだと思います。
 3月3日の蔵前3月6日の四国の講座は、まだ比較的空いているとの事ですので、御関心のある方はどうぞ…。

以上1日分/掲載日 平成17年2月27日(日)


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