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しかし、全く私の体調はどうなっているのか私自身にもよく分からない。この夜は私を呼んで下さった入江先生に車で送っていただいて、午前2時頃帰宅。取り敢えずの用事を済ませて寝たのが4時。
土曜の稽古には、先日仙台で世話になった藤田氏も私の忘れ物を届けがてら参加。体調は下降気味で、途中眠気を覚ましに顔を洗いに行ったほどだったが、藤田氏との雑談がキッカケで新たな技の展開に皆ノッテしまって、気づけば夜10時をまわっていた。稽古に来ていた人達とお茶を飲んで団子などをつまんだだけだったが、食欲は殆どなく、小松菜を湯で洗ったものだけを食べた。
こんな事ではどうなることかと思ったが、2日は内家拳のH先生の講習会ではよく動けたし、懇親会も体調を気にする事なく参加出来たのだから、我が身の事ながら不可解としか言い様がない。
31日の前日は、この北京在住のH先生をお招きしていろいろと動きを見せていただく。M氏、K氏という中国武術練達の士もお招きした上、K選手も参加という濃い空間となった。
その前29日は藤沢の朝日カルチャーセンターで初めての講座。熱心な方が多く、その熱意に圧倒されるほどだった。そして、その前々日27日は、山形から新宿の朝日カルチャーセンターへ直行した日であった。
この日の前日26日は仙台の稽古会から休みなく山形へ移って、動きっぱなしに喋りっぱなし。その上午前3時過ぎに寝たから27日は昼近くまで寝ているつもりだったのに、山荘風のK氏宅の御自宅の素敵さと雪景色に誘われ、ついつい7時過ぎに起き出したまま再び寝る機会を逸して、10時過ぎには前日80人近い人が集まったデジタル・スポーツセンターへ。
前日は、サッカー、野球、卓球、ゴルフ、ハンドボール、剣道、レスリング等々、様々なスポーツ関係の方々が集まられ、何だか質問に答えて各種スポーツのルール内でいろいろな動きを試みているうち、たちまち時間になってしまった。もっとも、この日一番感激したのは、この講座の前、このスポーツセンターの奥に手裏剣術で長距離が打てる場所を提供して戴いたこと。ここで久しぶりに8間(約14.5メートル)の遠間を打つ。6間(約11メートル)を越えると、現在の私の力量ではどうしてもうねり系のピッチング的な動きが強くなってくるが、7〜8間という遠間を直打法の剣が飛ぶ様は、まるで意志のある生き物が飛行しているようで、何度試みても不思議な感動がある。このような場所を提供して下さった射撃の藤井優監督には本当に大感謝である。
ただ普段は全く稽古できない遠間を感激のあまりやり過ぎたせいか、右肩が次第に上がらなくなってきて、あらためて打剣の体の使い方を考えさせられた。
まあ、こうした感激があったせいもあるだろうが、とにかくきわめて体調悪くスタートした東北への旅は、仙台で少し持ち直し、そのまま何とか山形に入っても調子が落ちなかったのである。
80人ほど集まった26日の講座の翌日は、藤井監督の御質問に答えて、射撃の時の姿勢など私の意見をお話ししたりして、3時過ぎには米沢から新幹線で帰京。そのまま新宿の朝日カルチャーセンターで約50人の人達を前に講座。ただ、ここの講座は稽古会の形式だから、また話しっぱなしの動きっぱなし。何しろ質問者が多く活発で全く休むヒマもない。中にはカバディというインドの国技の選手も混じっていて、初めてそのルールを聞きながら「私ならこうします」というカバディ用の技をその場で作る。終われば、『古武術からの発想』を文庫化した見本本を届けにPHPの太田編集員が私を待ち受けていて、駅まで歩きながら、発送などの打合せ。ようやく倒れずに旅行が終わって、28日はさすがに半日は寝ているだろうと思ったが、5時間ほど寝ただけで何故かたまっていた用件に取りかかれた。3日前の不調をどうやって乗り越えたのか理由は結局分からない。ただ、山形で御馳走になった食事は、どれも入念な手の入ったもので、これが体調回復にかなり役に立ったような気はする。
いずれにしても、山形では藤井監督はじめ所員の足立女史、今回の企画で一番お世話になったバランスボードのメーカー「マルミツ」の小関氏、又今回も泊めて頂いたK氏御夫妻には、手厚くおもてなし頂き深く感謝している次第である。この場を借りてあらためて御礼を申し上げたい。
体調はまあまあだが、ちょっと何か食べるともうそれで食欲が殆どなくなるから、体の中では何か異常が起きているのかもしれない。まあ何か病名がつく状況となったら、それを大義名分にして休むつもりなので、何事も成り行きを愛してゆこうという野口裕之流で私も行くつもりである。
しかし、それにしても今日2月5日は書店によっては私の本3冊が同時に店頭に並んだらしい。1冊は『古武術に学ぶ身体操法』(岩波アクティブ新書−岩波書店)。残り2つは『古武術の発見』(光文社)、『古武術からの発想』(PHP研究所)。岩波の本は約3年半ぶりの書き下ろし。豊田市の栢野忠夫氏(運動脳力開発研究所)に話を引き出して頂いたもの。大急ぎで作ったので、いろいろ書き落とした点も多いが、ある程度は近況が語れたと思う。ただタイトルは私の案が通らなかったので、いまだにこの本の書名が人に尋ねられてもすぐ言えずに困っている。今日、多くの書店の店頭に出たらしいが、午後には2刷決定したというから要望はかなりあったのかもしれない。桑田投手の事などについても或る程度まとめて書いたのは、これとやはり昨日出た『古武術の発見』の増補分の所ぐらいだから、「ねじらない、うねらない、タメない」という動きの理論に関心や疑問を持っている方には参考になると思う。
『古武術の発見』は、10年前養老先生と出させて戴いたカッパサイエンスの文庫化。新書版を文庫化とは思ってもみなかったが、文庫担当の編集者小野氏のノセ上手に乗って、単なる新書の文庫化では読者に申し訳ないと1章分に当たる39ページも追加原稿を書いてしまったので校正が大変だった。しかし、まあそのため近況はかなり盛り込めたので、養老先生のお話しも読めるし、買って後悔される方は少ないと思う。
『古武術からの発想』は、私にとって精神的に一番キツイ時期の本で、それだけにかなり言っている事が過激かもしれない。ただこの本は畏友名越康文氏に解説を書いて戴いたので、名越氏の人柄を知る上では参考になると思う。
いずれにしても今回出た3冊の中で、このPHPの本は関心を持って下さる方とそうでない方が1番ハッキリ分かれそうだ。
しかし、動いても話しても食欲は殆ど出ない。別に動くのが辛くはないが、朝からリンゴ半分バナナ1本だけで、講演後の弁当も手をつけないのも悪いと思ってやっと半分食べただけ。ところがそれが祟ってその後腹痛で脂汗をかく。ただ何か身体を変えようとして食欲を落としている気はする。
とにかく息つく間もないほど次から次へといろいろな仕事や問い合わせが入るが、技の方の気づきもなぜか天井から突然落ちてくるようにいくつかある。
まず1日は対象物にあらかじめ手などを当てておいたものを叩く事で威力を出す事の有用性(この有用性は日本の古流の柔術の他、世界各地の武術や護身術に広くみられる)から一歩すすめて、目に見えない感覚的な大槌で自分の手なり腕なり背なりを叩くという術理に気づき、小手返しや体当たり、対体当たりその他に有効である事を確認する。私は一応これを「石鑿(いしのみ)の原理」と名付けた。
この原理による技を多くの人に体験してもらおうと出向いた6日の都内での稽古会で、新しくみえた10人以上の人達に動きを解説しているうち、一人稽古の方法として手を広げフワーッと沈み込んでいく動き(形の上では以前から仙台の稽古会の世話人である森氏がよく行なっていたもの)で「上腕の付け根の筋肉のヌケを体感して下さい」と説明しているうち、「アレッ」という気づきが自分のなかに起こって、私が浪之上・浪之下と呼んでいる私の片腕を相手に両手で十分にシッカリとした持ち方(あるいは緩めに持っていて、私が動き出そうとするその起こりを読んでキュッと掴んでいなすという、とにかく持ち手の方が仕手を困らせるよう十分に納得のいく持ち方。
ひらたく言えば、合気道や少林寺拳法などで「いやらしい持ち方、頑張り方するなよ〜」と言われるような持ち方)をしてもらっても、今までのようにアソビをとって動きにロックをかけてドンと動かす、というのとは全く違う上腕の筋肉に「ああ持たれている」という拘束感が生じないように絶えず持ち手の抵抗を外していればいけるのではないか、という直感が走った。そこで何人もの人達に、十分に納得のいくように私の左前腕を掴んでもらい、微かに動かしてみた。すると相手によって1〜2ミリ、場合によってはそれ以下でぐっと抑えてくる感触がする。その時上腕の筋肉に拘束感が生じないようにする事をガイドに、微妙に相手の抑えてくる方向を外したのである。そうすると相手はシッカリと掴んでいながら、その手の中で私の方向を見失い、慌てて探そうとする。
つまり筋肉が、私が以前から言っているところのセンサーモードになる。そのため抑える力が弛む。そこで相手の意表をつく方向に手が動くように使う。すると相手は慌てて抑えようと探るその抑えようとする動きを躱しつつ躱しつつ動く。すると相手は常にこちらの動きの後追いとなり、自分の手の動きに身体のコントロールがついてゆかず、人によってはまるで何かに取り憑かれたような動きに翻弄されて体が崩れる。もちろん崩れ方は個人差が大きく、粘りっこく普通では容易に崩れない人の場合は、私の手がその人が用心深く持っている両手から抜けてしまう場面もあった。とにかく今までに1度もやった事のない技である事は確かだと思う。
「相手を見てるとまるでエクソシストの映画みたいでしょう」と言うと、この稽古会で古株の岡田氏から「先生、ネーミングのセンス悪くなりましたね」とからかわれ、「体験してみて思ったんですけれど、何だか先生の全身が蛇腹になっているみたいですね」と、“全身蛇腹”という実に妙を得た表現をしてもらい、これは今後使わせてもらいたいと思ったので、この表現のオリジナルが岡田隆夫氏である事をここに書き記しておくことにする。
この動きに関して私自身の実感は、“コウモリの飛翔”である。どういう事かというと、翼全体がいわば手にあたるというコウモリの翼は、鳥より遥かに複雑多彩な動きが出来る可変翼であり、従って様々な障害物を巧みにかいくぐれるからである。この先この動きがどのように展開するのか全く分からないが、新たな可能性を拓いたことは確かだと思う。
体調は依然としてよく分からない。今日は山梨県昭和町で町主催の“昭和フェスティバル”での記念講演に招かれて甲府までスーパーあずさに乗って行く。車中、左脇腹の痛みに身の置場にも困るほどで、朝からリンゴ半分と干し芋若干以外受けつけず、主催者に用意してもらった寿司にも全く手がつかず、若干の果物を食べた程度で講演と実演に望んだが、いざ講演となれば別に動きに不自由はない。ただ終わってタクシーに乗ると又痛む。それが、甲府の旧知の畏友のところへ寄り、久しぶりに種々話をしているうち驚くほど軽快になり気分も良くなって、帰路は往路より遥かに元気だった。
2月6日のこの随感録で、私の体調の異変について何かややこしい病名のつくようなトラブルであったら、それを大義名分に休むつもりと書いたが、この時点で私の体の中がかつてないややこしい事になっていると、かなり確かな感じがあったのだが、その予感は的中したようで、昨日急に入ったテレビ東京の取材とダブルブッキングしていた陸上競技選手のY選手へのアドバイス中、体の異和感はかつてない鈍痛となって襲ってきて、まず間違いなく腎臓のトラブルとの感じがしてきた。
そのため今日以後、数々入っていた予定は少なくとも今月中全てキャンセルとさせて戴くことを決心した。
腎臓というと、さすがに皆引き下がってしまうので黄門様の印籠のような効果がある。私も内臓関係の具体的なトラブルは経験がないので、この際いろいろ学ばせてもらおうと思っている。
それにしても、大阪、四国、その他私の講座を楽しみにして下さった方々には申し訳ない事になってしまった。ここで深くお詫びを申し上げさせて戴きたい。なんとか、この三日はもたせ、その後でダウンしようと考えていたのだが、ちょっと今の状態では旅の途中でダウンし、いろいろな方に迷惑をかけそうなので、本日をもって休業させていただくことにしたのである。
思えば11才の小学校5年の時、風呂に1人で入っていて、突然フト病中の50代半ばの自分を感じ、「ああ自分は何があっても少なくとも50代半ばまでは生きているんだな」と思った事が突然に思い出され、「ああ、やっぱりそうだったのか」と妙に感心してしまった。というのも、私には、まるで過去の思い出かのように未来をハッキリと感じてしまう予感というのがたまにあって、これは、かつて1度も外れた事がないからである。
昨晩私があまりにも病気の事を電話で楽しそうに話したせいか、神戸女学院の内田樹先生に「甲野先生、修行出来ていますね」と褒められたが、何事も乗せ上手な内田先生の事、いろいろ私を褒めつつ、又新たな気づきを探しておられる事であろう。
現在休んでおりますが、それほど長く休まなくとも済みそうな状況ですので、現在企画中の3月2日の久々の千代田区立体育館での稽古会には多分出席出来るとおもいます。
休業して以来、多くの方々からお見舞いのFAXや電話を戴き、なかにはわざわざ見舞いの品を持って来られ、黙って帰られた方もあって、本当に恐縮しております。あらためて深く御礼を申し上げます。
体の経過は今のところほぼ順調ですので、これを機に体質も改善しようと食を節し(無理にというより自然とそうなるのですが)、体内の感覚に耳を傾けつつ自分の体と対話しているところです。
今回の私の体の変動については、私の身体の調整のため、御自身の身体というか命にヤスリをかけるほどの負担を引き受けて戴いたであろう社団法人整体協会、身体教育研究所の野口裕之先生に、まず何をおいても御礼を申し上げなければなりません。尤も自らを陰性植物に譬えられ表に出る事を極端に避けられている野口先生にとって、このように御礼を申し上げる事は御迷惑かとも思いますが、後生の人々のためにも不世出の天才と謳われた父君、野口晴哉先生の亡き後、これほどの技術をほとんど独学で身につけられた方が存在した事は証言しておきたい気がするのです。
それにしても今回は、命の在りようという事を根本的にまた考えさせられました。
12日の夜から13日にかけて味わわされた不気味な鈍痛、地震の瓦礫の山の内部から助けを求めるようなトントントンとノックする様な鈍痛に時々腹部が呼応して、微妙に波立つような動き、ふと映画の「エイリアン」を思い出しました。これは私が10年以上前に、実験的な刀の振り方をしていて、舞い上がって大腿部に落ちてきた刀を突き刺し、2ヶ月ほど満足に動けなかった古傷の跡に、野口先生の御指示通り右手の薬指を当てて内観した結果、浮び出してきた症状でした。
野口先生は、この私の内観の結果痛みが治まるなら別に観る必要はないと思われていたのでしょう。それが質の違う痛みが導き出されてきたので、「では拝見しましょう」という事になりました。そして、この変動のお蔭で、私はもう何年になるのかその年数も覚えていないほど久しぶりに野口裕之先生の整体操法を受ける事が出来ました。
操法していただいて、実に不思議な事が4つありました。なかでも最も不思議だったのは、野口先生も私に手を当ててじっと内観されている様子、私も指先が動くくらいはあったのでしょうが、殆ど体は動かぬまま、別に痛くも痒くもないのに、ある時から俄かに呼吸が荒くなってきたのです。ちょうど小走りにかなりの距離を走った状態と同じような感じでした。あまり不思議だったので、何とか息を整えようと意識的に試みたのですが、平生の息に整える事は出来ませんでした。
操法は50分ぐらいだったでしょうか、その間野口先生は殆ど無言で「坐って下さい」と「仰向けになって下さい」といった二言か三言言葉を発せられただけでした。
整体操法は別に治療法ではないのですが、野口裕之先生の場合、特にそれは徹底していて、私の呼吸が荒くなった事については、「ああ、じゃあ中がだいぶ動いていたんでしょうね。ちょっと熱が籠っていましたから・・」という事以外、私の体について何がどうのという事は一切言われず、「甲野さんの体、左右真っ二つに割れてましたね」という事と、梅の古木の話、後は「焼き塩で尾骨を温めるといいですよ」とのみ指示して下さり、「なかなか見事なお体でこちらも勉強になります」と微笑された。ただ私が操法を受けている最中、突然浮んだ木彫彩漆工芸作家の渡部誠一師の木彫りの木の葉を一枚差し上げなければならないと感じた事を申し上げると、いかにも我が意を得たりというような笑顔で頷かれたのが大変印象的でした。
今回の身体の変動では、人間にとって「信ずる」とは何か?という事について最も深く考えさせられたように思う。
「身体がどうも普通ではない。これは今までに私が一度も体験した事のない内臓がらみの変調ではないか」と自覚しはじめた時から病院へ行くという選択肢は私のなかでは皆無だった。というか、これを機にここ数年特に深い世界へと分け入られているらしい野口裕之先生に身体を観ていただける事を「シメタ」と思ったほどである。
とはいえ、特に体調がおかしくなった12日の夜はさすがに多少の緊張はあった。というのも横になっても今まで体験したことのない嫌な痛みは、鈍痛の中に時に稲妻が走るような鋭い痛みも伴い始めており、夜中に大激痛で転げまわるのではないかという不安も頭をかすめたからである。
幸い大激痛はなく夜が明けたが、とにかく寝ても坐っても立っても、どうやっても痛くだるい。普段はよほどの事があっても動じぬ妻も、野口先生の所へ行くのに私に付き添おうかと申し出たほどである。だが連れがいると何かと気を使う。そこで途中の乗り換えを減らすため南部線の駅まで送ってもらう事にして、そこからは電車で行った。これは坐っているよりは立っている方が、まだ痛みが少ないという理由もあった。
操法の様子は既に述べた通りだが、終わって「ああ、大丈夫ですよ」という言葉を発せられる野口先生の、その発声の裏の裏まで感じ取ろうとするかつてない真剣な自分の姿に思わず内心驚いてしまった。
よく武術では「3年学ばずして3年師を探せ」と言うが、その「この人こそは我が師だ」という事をどうやって見分けるかについて、古来から何の諺もアドバイスもない。しかし、この「3年学ばずして・・・」の諺は、素人とはいえ真剣になって向き合えば自ら響く何かがある、という事、つまり本来人間には自分にとって最も大切なものを選択する時に、ある種の直感直覚が働くという事を言っているのではないかと思う。
操法が終わった時の野口先生の発言にどういう信頼を置くかに、私は持てる限りの真剣さを動員したのだろう。それは野口先生の言葉を信じるかどうかという事よりも、自分の身体の状況を野口先生に写して私自身の判断をする、という瞬間だったように思う。
どんな名医にも誤診はつきものである。しかし手を尽くしていれば、よほどのミスがない限り法律で守られている医師が罪に問われることはない。「私以外の誰がみてもあの誤診はあり得ること」という条件さえ満たしていればまずは安全である。
しかし、そうした法律に守られていないところで身体の状況が悪化し少しでも話がこじれたら、無知蒙昧な人間が非科学的な事をしてとんでもない事態を招いた、と世間から非難を浴びることは必定である。
以前、科学者が多く集まった会で野口先生が講演され、その後的外れな質問をした科学者がいたらしい。その時さすがにその質問者の意見にあきれたある科学者がそのことを指摘した時、的外れな質問をした科学者は憤然として「そういうことを野口さんが言うのならともかく、いやしくもあなたのような科学者が・・・」と言い返したそうである。「『そういうことを野口さんが言うならともかく・・・』ですよ・・」とその話を私達に苦笑いをされながら話された野口先生は、自分達が置かれている状況がどのようなものなのか、幼い頃から本当に骨身に沁みて感じられているのだろう。初めてお会いした頃、よく「我々は被差別民ですから」と口にされていた。
お付き合いをさせていただいて20数年、私もそれなりに野口先生の御気持ちが分かるようになった気がするだけに、御迷惑をかけることだけは絶対に避けたいという気は何より強い。
巷にはよく「信じていたんですけど・・・」とか、「信じていた自分が馬鹿でした」と言って、かつて熱烈に入れ込んでいたものと無関係な自分をアピールしたがる者がいるが、本当に人を信じ、法を信じるということは「命にかけても」であるべきだ。他人はともあれ私はかねてからそう思っている。
現代のように何にも増して、命の大切さが叫ばれると命以上に大切なものはないように思われがちだが、人間は自分の命以上に大切なものを持っていて初めてその人の生きているということが輝くように思う。
親鸞は「たとえ法然上人にすかされまいらせて(だまされて)念仏して地獄におちたりともさらに後悔すべからず」との名言を遺しているが、これは単なる盲信とは根本的に違うと思う。親鸞は自分の生き方に対する非常に真剣で厳しいプライドがあったのであろう。そして、それを徹底した本願他力の教えに没入させた。その強さは大悟した禅僧と精神の綱引きをしても負けることはなかったと思う。
そのことが今回の身体の変動で今までになく私のなかで明確になった。つまり私の野口裕之先生に対する“信”は自分の生き方をより真剣にさせるための“信”でもあったという事がハッキリしたのである。
背中から脇腹にかけての不気味な痛みは、15日から次第に治まり18日には12日の夜の2割ぐらいまでになりました。もっとも多少行きつ戻りつといった感じですので、痛みが完全になくなるまでは静かにしていようと思っています。
今は手紙や原稿なども少しずつ書いていますが、出来るだけ左手で書いています。これは私が生来左利きであったのを、それと気づかずずっと右利きで通してきたからで、その事が体の調子を狂わせてきた遠因の一つではないかと思われるからです。
私が左利きであったことは、3年前に今回の身体の変動でお世話になった野口裕之先生のところで簡単な実験をして明らかになったのですが、それまでにも酔うとしばしば箸を左手に持ちたくなっていたので、うっすらと予感はあったのですが、野口先生の許で指摘され今回も「左を使った方がいいですねえ」と、15日に名越氏、岩渕氏と一緒に伺った時にもあらためてアドバイスを受けたので、私自身も体内感覚の変化には興味があり実行し始めることにしました。
それ以外には、今やっていることは食を節していることでしょうか。はじめ折角の機会なので、この際断食しようかと思ったのですが、そうすると復帰への時間がかかる事と内臓がらみでちょっと反応の出方が予想がつかないため、生の根菜(大根や人参)を摺り下ろしたものと、湯で洗った程度に熱を加えた小松菜、三つ葉、セリ、韮といった葉菜を主食に少量の飯やうどん、納豆、果物といった食物を摂ることにしました。といっても無理にそうしている訳ではなく、家族と一緒に囲む食卓には魚や卵もあるのですが、自分の体と対話しているとそうした動物性の食物や菓子には自然と手が出ないのです。
やってみて、野菜主食というのは本当に胃への負担が軽いことをあらためて実感しました。又、胃腸の掃除のみならず、膝や肘などの関節部分の掃除にもなっている気がします。なにしろ血液のサラサラ度はずっと増しているでしょうから。そのため体重は60kgを割り込んで現在59kg。頬の肉が削げてきたので只でさえ長い顔が一層長く見えるありさまの上、ごく低カロリーなので足許もフワフワしていますが、様子をみながら穀類の割合を増やしていきたいと思っています。
週が替われば試運転的に少しずつ体を動かしてゆくつもりですので、3月2日の千代田体育館で行なう松聲館の術理説明会には95%の確率で出られると思います。
昨夜から今日の昼近くまでよく眠ったせいか背中の痛みはまた一段と良くなってきて、一番きつかった12日の1割以下となりました。このよく眠れた何よりの理由は、焼き塩で尾骨を温めたことにあると思います。
尾骨を焼き塩で温めると頭の中がフワフワとなり、朝一度目を覚ましたら、気持ちの悪くない二日酔いといった感じで何も気にせず何も考えずひたすら休めました。
この体の状態を会社や役所に喩えてみると、現場のスタッフはちゃんとしているのに、気まぐれで先の見えない上司が、「ああしろ、こうしろ、あれをやれ、これをやれ」と自分の見栄や不安で様々な指令を乱発すると作業が混乱し、上手くいくものも失敗してしまうものですが、こうした無能な上司がダウンし、現場の判断でドンドン進めてくれ、ということになると、その方がよっぽど上手く事が運ぶようなものだと思います。
つまり基本的に身体というのは絶えずバランスをとって体が働けるような機能があるのですが、大脳のよけいな知識な思い込みがあると、かえって回復するものもこじれてしまったりするという事です。
私が自分の身体の変動に関して「病院に行く選択肢は全くなかった」ということに関して、不安や反発を感じられる向きも少なくないと思いますが、そうした方々に対してちょうど読んで戴きたい本が、今日まさにピッタリのタイミングで届きましたので、ここに御紹介させて戴きたいと思います。著者は以前から親しくさせて戴いている医療法人松田メディカルの理事長で医学博士でもある奈良在住の松田育三先生(中島章夫氏との共著『縁の森』にも出ていただきました)、本のタイトルは『病は天からのメッセージ』。版元は日新報道で価格は1300円+税。
この本は以前私も何かの形で紹介をさせていただいた記憶がありますが、今回私が岩波アクティブ新書で出した新刊を献本させていただいた礼にと送って戴いたのです。中を開くとガンに関して「早期発見早期殺人」とか、お医者さんがこんなこと言っちゃて大丈夫なのかなと思うほどの過激な内容ですが不思議と説得力があり、本当にこの本1冊を真剣に読むことで絶望の淵から救われる人も出るだろうなという思いがしてきます。御関心のある方は是非お読みになって下さい。
それにしても今日も見舞いの品が届きましたし、昨日も以前2,3回会っただけの高校生が3時間くらいも近くで迷いながら私の家を漸く見つけて見舞いの品を持ってきてくれたりと多くの方々に御心配をおかけして本当に恐縮しています。「薄紙を剥ぐように」というより「厚紙を剥ぐように」回復しておりますので、どうかもう見舞いなどとお心遣いいただかないようお願い致します。
近々本復致しましたらいろいろ御心配いただいたお詫びと快気祝いにかえて、今回私が試みて極めてその効能に感じ入った「焼き塩で尾骨を温める方法」をここで詳しく御紹介したいと思います。風邪気味、ストレスで眠れない、その他とにかく頭を休め体を休めるために、薬物や酒に比べれば遥かに安全で極めて有効な方法ですので、御縁のある方は試みてみられる事をお勧めします。
それにしても今日、『剣の精神誌U』執筆のため資料を持って来てくれた宇田川敦氏の調べの行き届きぶりにはあらためて脱帽した。宇田川氏は昨年暮れ真里谷円四郎の子孫に当たる人物を探し出してくれた篤志家だが、その後天真一刀流開祖寺田宗有の子孫の方も訪ねたとの事で、寺田の新たな資料や寺田の通称が五郎右衛門ではなく五右衛門である情報はじめ、白井の門人平野元亮に関する資料など目を瞠るほどの品揃え。
これでは諸用が山のようにあるが、宇田川氏の助けも借りて是非とも本の執筆にとりかからねばという思いにかられてきた。
そして人が来れば、まして見舞いの品などを持ってきて下されば、そのお返しとして一番喜んでもらえるものは動きなので、結構剣術も体術もやってしまった。動く事は一昨日の日曜日も稽古に来た人達と少し手合わせ、背中の異和感が土曜日の時よりも減っていたので徐々に動いてゆこうとは思っていたのだが、徐々にでは済まなくなってしまった。
明けて今日25日は昼前に、今日午後から行なう筈だったPHPの大久保氏との本の打合せ予定が、大久保氏の都合でキャンセルとなり、やれやれ昨日書ききれなかった合気ニュースの連載原稿の仕上げが出来ると思っていたら、突然の来訪者。言われて気づけば今日稽古の予定を入れていたK氏。大慌てで道場中に散らばっていた諸々の依頼原稿や校正ゲラを取り敢えず稽古が出来る分だけ片付ける間、近くを散歩してきてもらい、昼も食べずに稽古を始める。ある程度やって、ちょっと一口でも食べておこうかと思った時、又来訪者。見ると恵比寿の稽古会の常連のA氏とW女史。いたずらっぽく笑ったW女史の手に下げられていた紙袋をみて息を呑む。なにしろ袋いっぱいの千羽鶴!!一瞬自分が何か社会的に知られた大事故かなんかに遭った被害者になったかのような錯覚を覚えた。そしてこの折鶴に参加したという面々の顔を思い浮かべ、恐縮するやら可笑しいやらで、しばらくは自分の気持ちの置き所に困った。 その私の気持ちを察したのか、妻は「これずっと大事にとっといて死んだ時お棺の中に入れなきゃね」と言って、やはりいたずらっぽく笑っていた。そして折角見舞いに来てくれたA氏、W女史を相手にまた結局動くことに。
更にその後は射撃の日本代表チームを率いてシドニーへ行かれた藤井優監督が、このシドニーオリンピックでフリーピストルで金メダルをとったフランスのフランク・ドゥモラン氏を伴って来館。ドゥモラン氏と様々な動きを通して交流したが、キッチンのシェフの動きをも自らの射撃フォームの参考にしているドゥモラン選手は何事にも極めて熱心で、気持ちの温まる交流ができた。
それにしても、これではとても休業中とは思えない。昨日辺りから食事も穀類の割合も量も増え、今日は体重も60キロを越えるようになったものの、まだ本調子には間があり、夜には結構くたびれてしまった。ただ、昨日は栢野氏に、今日は藤井監督にと続けて山形のデジタル・スポーツ射撃連盟特製の漬物を持ってきていただき、これが体の復調への大きな手助けになった事を今度ばかりは実感した。
現代栄養学が普及して漬物などは単なる食欲増進剤程度に軽視されるようになってしまったが、発酵食品としての体調の維持向上にはきわめて大きな力があるようだ。
その昔、起倒流柔術の中興の名人ともいえる加藤有慶は大の漬物好きで、台所にはいく甕もの糠漬けがあったというが、そうした生きたままの微生物を食べられるまさに生餌ともいうべき本物の漬物は、体調維持向上に大きな力となったのだろう。その、昔の漬物に味だけは似ても働きはまるでない見せ掛けの漬物が横行している今日、ちゃんとした漬物を作って売るだけでも随分世のため人のためになると思う。
その昔といっても、つい数十年前、戦乱の中を逃げる時も秘伝の糠味噌の糠床の安全を他の家財よりも優先させたという主婦の意識は、それが単なる嗜好品ではなく一家の健康維持の鍵となるものだという意識が知らず知らずに感じられていたからだと思う。そうした生きた知恵を嘲笑った現代栄養学の浅薄さは、学問の名の許に行なわれた愚行の典型例の1つに数え上げられそうである。
この経過報告もお蔭様で今回をもって終えることが出来そうです。背中の痛みは全くといっていいほど無くなり、昨日今日と少し来られた方々と動いてみましたが、ほとんど問題はなさそうです。(さすがにまだ終わった後、疲れは前より出ますが)
今日などは私の体調を案じながら来られた信州の江崎氏にも、最初は「大丈夫ですか?」と気を使ってもらいましたが、“石鑿の原理”の技が進展して“忍び鑿”という技も考えついたりしているうち、「先生が病み上がりだという事をついつい忘れてしまいました」というほど江崎氏も本気になって稽古したとの事でしたから、3月2日の千代田区立体育館での術理説明会では、ほぼ今まで通り動けると思います。
この会を稽古会としなかったのは、参加人員が多くなると予想され、一人の方にあまり時間を割けないと思われた事と私の体調が今ひとつ案じられたからで、内容は恵比寿で行なっている稽古会に近くなると思います。(ただ今日、体調の方は良くなってきたのですが、左手の人さし指の先をはずみで包丁で傷つけてしまい、ちょっと掴んだりするのがやりにくいかもしれませんが・・・)
いつも申し上げている事ですが、私の武術の動きは「これが良いものだ」とか「正しい」とか私自身も全く思っておりません。ただ私が今までいろいろと考えてきて、今私に出来る一番効率のいいものをやっているというに過ぎません。(ですから私自身の中では、自分の動きの未熟さに対する不満が常に渦巻いています)したがって私の動きを御覧になった方はあくまでもそれを参考とされ、更に上を目指して工夫して行かれることが何よりです。
今回の千代田区立体育館で行なわれる会に参加される方は、その事を今一度お考えになっておいて戴きたいと願っております。
手当てといっても傷口の血を絞り、その後にいつも通りに南米のインディオが使うというコパイバ・マリマリの樹液を塗って、絆創膏で止めておいただけ。もっともこのコパイバの樹液の組織再生促進力は、私が今まで経験した何にも勝っているほど優れているのだが、それでも今までは数日は痛んでいた。
今回は初め普通の傷絆創膏で数時間覆い、その後どうも痛みもなくグングン回復してきている感じがしたので、傷口を乾燥させた方が良さそうに思われたので、織り目が粗く粘着力のあるテーピングテープ、エラスチコンを切って傷口に当てる所は直径1ミリほどの小穴をパンチャーでいくつか空けて特に通気をよくし、そこにコパイバのビンの底に残っていて粘度の高くなった水飴状の樹液を紙に塗って貼りつけただけである。
とにかく今回の切り傷は、切った当初から殆ど痛みを感じず(傷つける2日前に久しぶりに包丁を砥石にかけて研いでおいたため、普段よりよく切れて痛くなかったのだろうが)、血を絞っている間も痛まず、手当てをした時もわずかに沁みただけで一晩で傷口が塞がり押さえても痛くなくなったのである。
この早治りの原因はどう考えても食物としか考えられない。これをもってしても、もし事故や手術で体を傷つけた時、食物をよく気をつければ桁違いに早く治ると思われる。もっとも食物に対する人間の習慣性と執着はよほど根深いから、私の体験を話しても「誰にでも出来ることとは、とても思えない」という返事が返ってくる場合が殆どである。
私のように完全な生あるいは半生な野菜類を僅かに醤油をかけたぐらいで主食として食べ、後は穀類それも玄米や麦、雑穀を「本当に美味いなあ」と思って食べられる位でないと確かに効果は挙がりにくいかもしれない。よく「自分にとって食べたいものが栄養になるから、食べたいものを食べるのがいい」という話があるが、これは確かにそうであり、また極めて問題でもある。というのは、人間は自分の必要とする物を欲するように信号を出すが、同時に思い出に印象づけられた味をも極めて強く欲する生き物だからである。それはアル中の人間が酒を欲するからといって、それがその人にとって良い事だとは断ずることが出来ないようなものである。
たとえば、現在野菜と玄米雑穀飯を「きわめてうまい」と思って食べている私だが、これと正反対な高蛋白、高カロリーの食物でも私の味覚が"思い出モード"になれば大変好きだからである。具体的な事をいえば、私は英語とフランス語が達者で西欧的な生活スタイルに馴染んでいた母に育てられたせいか幼い頃からチーズが大好きで、当初はいわゆるプロセスチーズしか知らなかったが、後年フランスへ時々行っていた母が土産に様々なチーズを持って帰ってくると、たちまちそれらも好きになり、なかでも栗の葉で包んだ山羊のチーズなどは、まるで山羊小屋の中に敷いてあった取り換えなければならない敷きワラの臭いそのもので、普通の日本人の殆どが鼻をつまんで敬遠するようなものであったが、特にこれが好きになり放っておいたら1度にそれらを2つでも3つでも食べてしまいそうになるほどだった。したがって、ある麻薬にとりつかれたような食欲が出ている時は、決して真に体が欲している体にとって必要な食物を欲する信号ではないと理解するようになったのである。
しかし、この信号は結構無視できないほど強く、しかもまずい事に体が疲れてくると真の食欲のセンサーも鈍るらしく、こういう思い出系の麻薬的食欲につい引きずられてしまうのである。振り返ってみれば、今回体調を壊す前も忙しさにかまけて、つい菓子か果物ぐらいで"取り敢えずの"エネルギー源を得て、罪滅ぼしのように野菜を食べていた程度のひどい食生活になりがちであった。
もっとも私の場合、この道30年以上なだけに落ち着いて時間を得れば、自然と食べるものは穀菜食となってはくる。例えば、私が関西に滞在する時、その多くを親友の名越宅に泊めてもらうが、それは名越氏と話したい事の他に食事が自分で気に入ったものが用意出来るからである。そして、その気に入った食事というのは、名越宅の近くのスーパーで賄う。その内容は小松菜、三つ葉、ニラ、ニンジン、大根、ネギ等の野菜に、納豆(関西は、におわ納豆などという納豆好きからすれば許し難いニセモノが多く出ているので買う時よくよく注意する必要がある)、あとリンゴやキウイという果物、そしてすり胡麻とソバ粉である。それ以外にたまに気が向いて買う(名越氏のためもあって)ものは、プレーンヨーグルトぐらいだろう。
そして、それらは料理といったほどの事は殆どない。ニンジン、大根はスリおろし、葉物は熱湯で洗うだけ。ネギを刻んで納豆に入れ、後はソバ粉に熱湯を注いでソバガキとし、醤油とダシで食べる。誠に簡単で、作っている時間より食べている時間の方が長いくらいであるが、外食が続いた後など涙が出るほど美味く感じる事がある。なにしろこんな食事を金を払っても用意してくれるところなど皆無に等しいから。
多くの人がこんな簡素な食事で満足出来たら(そういう事は決してなさそうだが)成人病など激減するだろうし、様々な暴力沙汰も随分減るだろう。しかし人間の業の深さはどうやらそれを決して成し得そうもない。その業の深さの代表例として、簡素な食事で厳しく節制し一時大変健康になっても、現代の周囲の思い出系の食の記憶の誘惑に負け、けっきょく元の木阿弥どころかもっと酷いことになる事があるからである。それは食をしめている為、変に現在の一般人の食事に対して罪の意識を刷り込まれてしまい、たとえばそのため他人がみたら全く思いもかけない一口のアイスクリームがタブーを犯したきっかけとなって、それがバケツ一杯のアイスクリームにエスカレートし、身も心もボロボロになって身をもち崩すというような惨事に現れている。
現代の自然食の一番の問題点は、昔はそれが一番金のかからない庶民かそれ以下の食事だったのが、現代ではそれが特殊化している事である。そう思うと食の豊かさも含め、現代の豊かさのその実体の虚しさとうそ寒さがあらためて感じられてくる。
しかし、穀・菜食が身体の機能の大掃除、再生化に多大な力になるという事実は、少なくとも私のとってどうにも否定しようのない事であり、それは超人的な頭脳と身体能力で知られた肥田式強健術の創始者肥田春充翁が何度も何度も強調されていた事ともピタリと符合することである。そういえば肥田翁の傷の治り方も驚くほど早く、怪我をして確か2日ほど後にはもう風呂の中に浸しても大丈夫なほどになっていたと、どこかで書かれていたように思う。さてさて私の場合はこの先いろいろ接待される事も多そうだ。どうなる事であろうか。
この病を機に勝手を言わせて戴ければ、高い料理より簡素な野菜料理というか、キビ、アワ、ソバなどの雑穀や生に近い野菜、野草そのものを食べるようなものが何よりありがたいことです。そして高価な菓子より干し芋の方が有難いです。もしそんな安いものでは贈った気がしないとおっしゃる方は、古代米の黒米とかそういうものがありがたいです。もっともそれも多すぎては困りますから、どうかどうかお気を使わないで下さい。
ただ、それでも私の所に何かの用でいらっしゃる方で、「手ぶらも気が引ける」とおっしゃる方は、和紙とか封筒とか、便箋とか実用的な筆記具とか、ちょっと便利な文房具とかそういうものが実は私にとって嬉しい贈り物である事を申し添えさせて戴きます。
この分では、三月二日の千代田区立総合体育館での会には間違いなく行けそうです。