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多くの収穫があったが、一番の収穫は岡山で光岡師と本のことで対話した数時間の間の気づきである。ここであらためて今の私の稽古法がまだ本当に未熟なことが分かった。と同時に無住心剣術や夢想願立の伝書で説かれていることが、光岡師の意拳の解説を聞いていて一層真実味を帯びてきた。
とにかく準備をしないで動くという事の重要さと、その実現の困難さを今までで一番深く感じた。「準備をしない」とは事前のタメやぐっと体を固める、いわば覚悟をしないで事に当たれということだから、この働きの困難さは想像を絶するし、現在の体育・スポーツ理論からみれば非常識にもほどがあると言われそうだが、術としての動きとは「そうでなくっちゃならない」と深く深く共感する。しかし、その困難な上にも困難な課題に、これからどう取り組むのか我が事ながらまるで他人事のような気がするところが興味深い。
このように今回の旅では驚くことが多かったが、身体が強行軍で無理したにも拘わらず何故かよくもった。関西方面に私が出向く時の「鞄持ち」兼「写真係」を自称している医師の卵白石氏は、今回も大阪、岡山、大阪と3ヶ所荷物持ちとアシスタントを務めてくれたが、「先生の体どないなってますのん」と言われるほど、ロクに食べずに身体が動いた。まあ、きっと食べる量が少なかったからもったのだろうが、こんなに食べる量が少なかったのは初めてである。最終日の名古屋など、朝から雑穀飯半杯ほどに、カキ2個、みかん3個、バナナ1本、野菜スープ一椀で午後4時間稽古して喋って、終わってそのまま何も食べずに急いで"のぞみ"に乗ったが、食べないまま同じようにあと3時間くらい稽古したり喋ったり出来そうだった。
これが体の動きの質が変わってきたために起きてきた現象なのか、脳内麻薬のせいなのか分からないが、人間の身体が現代栄養学が主張するような単純な構造だけで営まれていない事だけは確かだと思う。勿論、生身の身体だから、この先どうなるのか、それも今後の私の技の進展具合と同様まるで予測がつかない。
しかし、今更言ってもはじまらないが我が家へ帰れば山積みしている諸用の上に又いろいろな依頼やら問い合わせが来ている事だろう。それでもリキまず、覚悟せず、中正不備でとにかく前に向かって歩くしかないようだ。
朝日カルチャーターセンターでの講座の後、朝日新聞の石井氏に夕食を御馳走になったが、同行した森林ボランティアの女性に鉈の話などをしていると止まらなくなってしまった。鉈も、鉈といえば日本で「この人の右に出る者はいない」と思われる関根秀樹氏に頼んで、私の好みに合うものを一振りあつらえたいものだ。そうした鉈を揮って山仕事をしていることを想像するだけで幸せな気分に浸れる。
ナンバでの山登り、鉈での粗朶づくり、薪割り、鍛冶仕事、そんな事の体験学習会に武術も多少入れた「山仕事合宿ツアー」なんていうのを気の利いた人が企画してくれたら、講師として一番に名乗り出たいくらいである。しかし、そういう会は経験者か、せめてすぐ要領をのみ込める人が半分くらいで、後半分が初心者というぐらいでないとスムーズな学びの会にはならないかも知れない。
ただ、山仕事参勤交代論は、最近養老先生があちこちで提唱されているから、その応援の意味も含め、確かな人が企画され講師を依頼されたら具体的な検討に入りたいと思っている。
そして、今日7日、山田うん女史のワークショップに講師として出かけ、ダンスなどで棒状に硬くなった人間を鉛筆を立てるように起こす方法、人間マリつき、その他いくつか新しい動きを開発する。その後、NHK教育テレビからの幼児向け番組に関する相談を受けたりして、12時頃から約6時間ほとんど喋りっぱなし。流石に今日は疲れたが、それでも動いてさえいれば、まだ何時間かはもったと思う。
しかし、5日の夜、久しぶりに伊藤峯夫氏と稽古をして、私の動きは以前よりも技は利くが、私自身の実感としては「大変悪い動きよりはマシだが、これをいい例とはとても言えない」という感じ。したがって、動きを説明する時、体じゅうが居ついた技が全く利かない動きは「大変悪い例」、一応は技は利いて相手が崩れる動きは「まだまだ悪い例ではあるが、まだマシな例(そして、これが現在の私にとっては精一杯の動き)」としか言いようがない。
今後、これがどう変わっていくのか、その過程は確かにこれから動きの質を考える人には参考になっていくとは思う。
このような、もうどうにもならない慌しさの渦中にいるが、そのため却って稽古となると、それに没頭できるのか、8日、9日の長野でも10日の朝日カルチャーセンターでもいろいろ発見やら気づきがあった。
まず長野では、バスケットボールでスクリーンアウトと呼ばれるらしいゴール下でのポジションの取り合いで、相手の背後にいた状態から相手の前面に出たいという時に二軸をつくって1軸に寄せてから反転するという方法を思いつく。私はフト思いついただけなのだが、同行の入江先生(防大助教授で同校バスケットボール部ヘッドコーチ)からは「まったく革命的な方法」と過分な賛辞を頂いた。
この他、私が「ミスズ返し」と呼ぼうかと思っている、バスケットのボールをちょうど杖を手の甲でも扱うように掌、手の甲、前腕の表裏側面、それに上腕も一部使って腕の中で巡らしつつ相手のガードをすり抜ける技(これは私が個人的には一番面白いと思った技である)なども思いつく。
この他には、抜刀術の体を延べる形で滑空するように床の上をすべって相手ボールを叩き落す技も思いついた。
そして10日は朝日カルチャーセンターにゲスト的に来てもらったカバディの選手の質問に答えて、いろいろ動いているうち次々と面白い動きがみつかった。例えば、後ろからしっかり抱きとめられても、体の沈み込みで相手を1度崩すと、相手を引きずって前へ歩ける。反対にこちらが抱きとめて体の沈みをかけると、相手が尻餅をつく。その他いろいろとやったなかで最も驚いてもらえたのが、カバディ特有の足首をしっかりと掴んだ状態から、この掴みを外すもの。足裏の垂直離陸はこれに大変有効で、私は生まれて初めてやったのだが、カバディの常識ではまず外す事は難しいというこの捕捉に対して簡単に外すことが出来た。
私の相手になってくれた1人の選手はアマレス出身で、体重が私より20キロぐらい重いとの事だったから、私が思いついた方法はかなり有効な動きではないかと思う。
それにしても、こうしたさまざまなスポーツ競技の専門の人たちの質問要望に応えながら一緒に動いている事が、かつてないほど楽しく感じられ自分でも驚いたが、恐らくこれは10月いっぱいで武術稽古研究会を解散し、一個人となったからだと思う。それだけに、今回の長野行きではいろいろと私を助けて下さった防大の入江助教授、長野工専の児玉英樹助教授、出町中学校の加藤裕久コーチをはじめとする関係者の方々に深く感謝の意を表したい。
さて、今日もこれからダブルヘッダーで来客。明日はCWニコル氏と初めて会う予定。その前にNHKスタジオをまわらねばならず、私の片づけの願いが叶う日はなかなか来そうもない。
今、人はいろいろな意見を持っていると書いたが、私の「スタジオパーク」での実演で、うつ伏せに四つん這い状態になっている人間を仰向けにひっくり返す“平蜘蛛返し”に関して、ある方から「あれは力のモーメントを応用したありふれた原理によるもので、『自分でもその原理が分からない』という発言は、ことさらに自分のやっている事を神秘化し、大衆をあざむくやり方ではないか」との御意見を頂いた。
私は、私自身その原理が分からないから「分からない」と言ったまでで、出来る事なら解明したいと思い、現にいろいろな方の意見を聞いているところで、近々宇都宮大学工学部の制御論の専門家の方に詳しく実演し解明すべく御意見を頂く予定である。
ただ、現段階で言えることは、あの技は相手の片足を軽く持ち上げて崩す「抱え上げ」から、次に座り込んで私の片手にしがみついている、私の体重より遥かに重い人物を持ち上げる技「一本釣り」を経て進展してきた技であり、回転技というより持ち上げ技である。
また、“平蜘蛛返し”がありふれた原理による技なら、なぜアマレスや柔道の専門家が今まで見つけなかったのか不思議である。あの技が出来るようになってから、アマレス、ブラジリアン柔術、総合格闘技など寝技系の武道・格闘技のコーチ、選手など20人近くの人々に私の技を体験してもらっているが、例外なく「こんな返し方は今まで体験したこともない」と言われている。
したがって、この技がありふれた原理で、誰もがちょっとしたコツで出来るものなら、アマレス等では福音になるのではないだろうか。(尤も多くの人が出来るようになれば、知っている人だけが得をするということもなかろうが)もちろん、私にとっては現在それほど難しい技ではなくなっているから、これを会得出来る人も当然出てくると思うし、現に以前から私と一緒に稽古をしている何人かは遠からず出来るようになると思う。しかし、私も含め、出来るようになった人も現段階では両足の裏を同時に上方へ引き上げる事で、アソビをとって一瞬で力を出すということを行なうだけで、回転運動をしている意識はないと思う。(それが結果として回転になるのだと言われれば私の無知を詫びるしかないが・・)とにかく「平蜘蛛返し」がありふれた原理による平凡な技であっても、現段階ではこれに驚き興味を示す人は少なくないと思うので、「あんな動き、別に素人を驚かすだけだよ」と思われる方はすぐ会得され、大いに実技として活用して頂きたい。
あらためて言うが、私は、私が現在行なっている技は足を完全に踏ん張ったひどく居ついた悪い動きに比べればまだマシな技であって、まだまだ悪い動きの技であり、人々の御参考にはなっても模範となるような動きではない。これは木刀の三方斬り等にも言えることで、太刀行きが早いという事は場合によっては「それがどうした」と言われてしまう動きであり、よりレベルの上の太刀の運用とは遅くて早い、早くて遅い、動かないからもっと早い等々さまざまなレベルやランクがあると思われる。したがって、私の動きは「ああ、ああいうこともあるんだな」と横目で見て、ちょっと参考にされるぐらいがいいのではないだろうか。現段階の私は「これが正しい動き」とか「いい動き」とは、とてもとても口に出来ない状態なのだから。
ただ、現代はあまりにも身体を使えない人が多く、私程度の動きでも現代では珍しがられようである。現代の若者の不器用さ、道具の扱いの無知さに関しては、12日の夜歓談させて頂いたCW・ニコル氏も深刻な問題として指摘されていた。ニコル氏とは今後こうした問題の改善といった事も含め、フィールドで何かご一緒させて頂く事もありそうである。御縁のあったことに心から感謝している。
そして16日、17日と今日18日、再び私は土石流のような問い合わせの電話やFAXや手紙、それに校正ゲラやら予定の確認の書類等々と闘う日々。その間、話やら稽古やらで人が尋ねて来るのだが、とてもの事片付けが間に合わなくなって、まるで資源ゴミ回収の仕切り場のような状況となってしまった道場で、体を動かしたり接待するハメになっている。(流石にもうこれ以上悪化させたくないと痛切に思う)
したがって、この随感録も本当に時間を盗むようにして書いている有様である。お蔭で未だに自分が出た12日放映の「スタジオパーク」のビデオを見ていないし、つい最近刊行となり版元から送られてきた多田容子女史の小説『甘水岩』(PHP刊)もまだ読めないでいる。そのため、この小説の最後の結果がどう変わったのか、まだ知らないのである。この作品は9月に四国で1人山に籠った折、校正刷りを憑かれたようにして読んだだけに、時間を得て最後のところを読むのが楽しみである。
確か、この随感録で読んで下さる方々にインフォメーションしたい事がいろいろあったと思うのだが、今思いつく事は、昨日送られてきた『壮快』誌にナンバの特集があり、私の記事も載ったのだが、特集の中でナンバの実践により目が良くなったり心臓病の症状が軽くなったり等、すでに色々効果がでているとの体験談がいくつもあり驚いたという事と、11月20日に龍谷大学でシンポジウムがあり、私も招かれて話をするという事、それから11月22日の四国の稽古会は急に入れた予定のため、まだ人数に余裕がありそうだという事の3つである。
23日は、この四国から東京の千代田区での会に直行の予定だが、こちらは既に人数オーバーで締め切ったとの事である。(これらのシンポジウムや会についての情報は、詳しくは告知板に出ていると思うので、御関心のある方はそちらをご覧頂きたい)
翌21日は名越宅を出て、すぐタクシーで梅田近くの毎日放送に向かう。放送局の直前で、関西における私の荷物持ち兼写真係を志願して務めてくれている白石氏と、昨日京都駅まで出迎えてもらったYさんが待ち受けていて、この2人に荷物を預け、私は放送局の玄関へ向かう。玄関前では関西では広く知られた人物という毎日放送のアナウンサーで役員である角淳一氏が待ち受けておられ、一緒に社屋へ入る。その後、社屋内の茶室でインタビューを受け、その後地下の和室で、柔道2段でアメフトなどの経験もあるという毎日放送のOディレクターを相手に実技の解説を若干行なう。その後、角氏は番組があるため抜けられたが、N氏とYさんが残られ、白石氏ともども昼食に御招待頂いた。
今回の毎日放送行きは、NHKの「人間講座」を見られた角氏から私に是非会いたいという強っての要請を頂き、その件で再度、再々度代理の方が先月末に大阪であった朝日カルチャーセンターの講座に訪ねて来られたり電話を下さったりして、民放ではきわめて異例の事ながら、当初の予定を全面的に組み換え、とにかく会って話をしたいと申し込んで来られたため、私もさすがに気持ちが動いたのである。ひとつには、私に10回以上も電話でこの件についての要請や予定変更について連絡を入れられ、その度に懇願されるYさんのひたむきさに根負けしたというか、ここまで一生懸命な人を無視するのはさすがに心が咎めたのである。
角氏はお会いしてみると流石に様々な方面にアンテナを張っておられる方であり、私としても話していて通りの悪さにいらつく事が全くなかったから、ついついいろいろと喋ってしまったのだが、結果は角氏の私への関心の度合を更にアップさせてしまったような気配もあり、さて、さて、どうしたものかと思いながら、その後岡山へと向かった。
岡山へは光岡英稔師と対談本の事で寄ったのだが、この日ハワイから帰られた光岡師との話は、光岡師にも旅の疲れがあったため午前2時くらいでお開きとなったが、その探究心の純度は一層あがっている印象だった。今回、岡山では岡山駅前で自作の鍛造刃物を販売されていた三輪刃物工場の三輪氏と知り合い、ヤスキの白紙1号を水焼入れで自信作の鉈が出来るとの事だったので、両切刃の鉈や包丁を一振ずつ購入した上、かねてから私が考えていた折れ刀風の特殊鉈を注文してしまった。
22日は昼近くまで休み、その後数時間、光岡師と対談の原稿づくりに熱が入った。その後、四国へ向かい、守氏の迎えで中学校の柔道場での実演と解説を行なったが、開始前は明らか疲労が溜まっている感じだったのが、いざ体を動かし始めるとドンドン楽になり、遠くは愛知、長崎辺りから参加された方々もおられたので、会場を提供して下さった中学校の先生の御好意もあり、終了時間は予定をかなりオーバーしてしまった。
しかし、今回の旅は稽古といういわば覚醒剤を打ちつつ体調を持たせている観もあり、今夜の稽古、明日の稽古、明後日のヴッパタール舞踏団へのワークショップ、27日のビデオ撮影、そしてその後も次々と入っている予定にどこまで体力が持つか不安がない訳ではない。しかし、ここまで来たらもう駆け抜けるしかないだろうと考えているところである。
26日は片づけのため日を取ってあったのだが、終日電話の大攻勢。特に昼食前は割り込み連続で、電話があまり鳴らずに話し相手は次々と変わるというありさまだった。夜はNHK教育テレビの「人間講座」の最終回が放映された事もあってか、私のホームページのカウンターはあと100ほどで3000というありさまだった。(これは関西の毎日放送で私の事が紹介されたためもあるようだ)
今日はこれからIACのビデオ撮りだが、その前に片付けがある。とにかく今一番私の心に重くのしかかっているのは片づけ。これを何とかしなければ全ての予定が益々滞ってくる。
昨日もテレビ出演の御依頼がありましたが、当分の間新しい御依頼が99.9%受けることが出来ない状況ですので、何卒ご理解のほどお願い致します。
昨日は又、無理無理入れた用件と入ってしまった用件が1つずつあったが、無理無理でも時間を割いた甲斐があった。ひとつは某大学からチアガールの動きの相談を受けていたので、昨日以外もう予定がとれそうもなかったので、撮影前に何人かで実演してもらったのだが、体の浮きを考える上で具体的課題をもらった気がした。
夜は、この日大量に資料を送っていただいた黒鉄会(くろがねかい)の朝吹美恵子女史へお礼の電話をし、又々1時間ほどどうにも電話が切れなかった。又、昨日は毎日放送で26日放映された私に関するテレビ番組のビデオが届いたが、司会の角淳一氏の、私の事に入る前の前ふりの長さには参った。(関西の何でもかんでもお祭りにするパワーは全く普通ではない)ナマで出ていたら大変だったとつくづく思った。
26日は又、NHK教育テレビの「人間講座 古の武術に学ぶ」の最終回の放映があったが、視聴率は1パーセントを超えたらしい。(通常は0.2パーセントぐらいらしい)この回を見たのが最初で最後という方もあったと思いますが、12月の中旬、2夜連続で深夜に4回ずつ計8回全部をまとめた再々放送があるようですので、自分で言うのもおかしなものですが、最初から全部観ておきたいという方はビデオに録っておかれることをお勧めします。なにしろ始まりが午前2時ちょうどで、終了が3時43分という事ですので。なお、日付は12月16、17日ですが、この両日とも日付が変わって間もなくの16日の午前2時、17日の午前2時という事ですから、我々の日常感覚でいえば、15日月曜日と16日の火曜日の夜遅くの放映という事になります。お間違えのないように、当日のテレビ番組欄で御確認下さい。
予定を書いたノートが見当たらない為、何とか記憶を頼りに別の予定表に新しく予定を書き入れていますが、なにぶんにも最近は混乱をきわめておりますので、12月に私と既に約束をされている方はどうか御連絡下さい。来年1月以降の方もお願い致します。