HOME 映像 随感録 活動予定 告知板 著書 掲載記録 技と術理 交遊録 リンク集 お問合せ Twitter メルマガ English
2008年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月

2001年 2005年 2009年 2013年
2002年 2006年 2010年 2014年
2003年 2007年 2011年 2016年
2004年 2008年 2012年

2008年7月4日(金)

 今年の梅雨は決して雨量は少なくないが、晴れ間も多い不思議な梅雨である。その天候のお蔭か、4月の20日頃は、まだ1メートルにも満たないくらいだった玄関前の孟宗竹は、いまでは高さ15メートルを越えているだろう。太さは根の近くで周囲約50cmという堂々としたものになった。若竹特有の白い粉を、まだ稈の一面に吹いているが、やがて落ち着いた竹色になっていくことだろう。
 最近は、何かすべてを見直したい気持ちになって、どうにも考えがまとまらないが、そんな折、振武舘の黒田鉄山先生から、お便りを頂くと、自分のいままでの人生が、まるで何かよく知っている他人の人生ででもあるかのような気がしてくる。思えば、黒田先生との出会いから「井桁崩しの原理」に気づき、そこから様々な展開があった。その井桁術理の気づきによって、「捻らない、タメない、踏ん張らない」という動きの原理が私の武術の基盤になったが、いまとなってみると「捻らない」という動きは、捻ることで過去のものを頼りにしようとする働きが問題であり、「今の今を生きる」ことを阻害させない事が、捻らないという事の本来の意味だと思うようになった。
 また、足裏をフラットにした薄氷を踏む足は、馬貴派八卦掌の李保華老師の御教示によって気づくことが出来たが、ごく最近、この足裏の垂直離陸にも、また違った世界が見え始めてきた。
 それにしても、黒田先生や李老師との出会いがなかったら、今のような気づきを得ることも出来なかったであろう。御縁のあったことに深く感謝している。
 ちょうど近々、李老師の講習会が開かれるらしい。派手さはないが、実力を内に秘めた李老師の八卦掌に触れられれば眼を開かれる方もあると思う。御縁のある方は馬貴派八卦掌伝播中心のホームページから問い合わせられる事をお勧めしたい。

以上1日分/掲載日 平成20年7月4日(金)


2008年7月8日(火)

 5日に新潟、6日7日と佐渡にいた。佐渡は全島いたるところで鶯の声。国分寺ではかつてないほど長く見事な谷渡りを聴く。そして、ここでは間近でホトトギスが鳴く。ホトトギスの声は聴く度に哀しいほどに感動がある。
 そして、帰宅してから技が変わる。しかも変わりかたが激しい。これからもさらに変わり続けるだろう。そのため、技について何か書こうとしても、絶えず改訂、改訂を入れ続けなければならず、書く気も失せてくる。これからは、書き方をよほど考えなければと思っている。
 しかしまあ、それはともかく、新潟でお世話にったN氏。佐渡であちこち案内して下さったM住職には、あらためて御礼を申し上げておきたい。


2008年7月10日(木)

 5月以来の離糖に伴い、簡素な食事以外はむしろ苦痛になってきている。そのせいか、あらためて最近の世の中をみていると、実に不可解な気がしてくる。
 たとえば、最近あった洞爺湖サミットなどでも、温室効果ガス削減が重要なテーマになっていたが、「それを言うなら、簡素・質素なものを食べるようにすれば大きな効果があるだろうに、なぜそうした提案が出ないのか」とつい思ってしまう。
 何しろ、今の私が望む食事は、玄米雑穀に野菜、納豆などで、いわゆるフードマイレージも低い。しかも私は、我慢してこういうものを食べているわけではなく、いわゆる御馳走の方が、今の私にはむしろ我慢して食べなければならないものになっている。
 したがって、外食は大変になってきた。先月、人と付き合いで食べなくても済んだ、京都にいた3日ほどの間は、旅館で持参のソバ粉を湯で練ってソバガキにして、これにすり胡麻と鉄火味噌をかけ、副食は湯で洗った野菜に醤油をかけたものと納豆だけで、十分うまい食事がとれた。よく「料理に時間をかけても食べるのは一瞬だ」などというが、私のような食事は逆に食事の仕度時間より食べている時間の方が長い。何しろ、ソバガキは椀にソバ粉を入れ、熱湯を注いでかき回すだけだから…。どんなにうまい蕎麦屋の蕎麦でも、私にとってはソバガキより美味いという事はない。実に安上がりだし、環境への負荷も少ない。
 こういう簡単で、しかも健康にも悪かろう筈のない食事がなぜ普及しないのか。(いや、世の中の人達の食に対する執着を考えれば普及する筈もないのだが)それが不思議に思えるほど、私の離糖と、それに伴う濃い味離れは進んだのだろう。何しろ、あれほど好きだった果物も、まずいとは思わないが、甘いと僅かな量で十分だし、菓子は全く食べる気がしない。離糖の当初は、味の好みが激変したと思ったが、この頃はこれが普通で別に何が変わったという気もしなくなっている。
 しかし、まあそれにしても、卵料理で何が好きかと聞かれたら、生卵。野菜は生煮えで何も味付けしないものに、自分の好みで醤油をかけるだけという、料理とも言えないものが私にとっては一番ありがたいという、じつに実も蓋もない状態だから、おそらく世の中の大勢の人が、今の私には「とてもついていけない」と思うだろう。だが、私自身は、「なぜこんなに簡単で時間も手間もかからず、体に負担もないものを世人が好まないのか」、頭では想像がつくが、私自身の感覚として段々理解できなくなってきている。それだけ離糖が本格化し、それに伴い世の中の人との価値観というか、感覚的ズレが広がってきているのだろう。
 現在世上では鰻や鶏肉の産地偽装が問題になっているが、今の私にしてみれば、「そんなもの食べなきゃいいじゃない。昔の日本人は滅多に肉なんか食べなかったんだから!肉が食べたかったら、いま殖え過ぎて駆除され、運ぶのがたいへんなので、食べられずに埋められているという、野生の猪や鹿の肉でも食べて、生態系のバランスをとればいいだろうに。無理をしておかしなものを食べなければ、教員試験で特定の人間の点数を水増しして合格させるような悪知恵自体も興味がなくなるだろうに…」と思うだけである。人間の欲の種のひとつが食欲だから、それが簡素で体にも負担をかけないものにしたら、犯罪も事件もずいぶん減ると思う。
 しかし、現代は欲をかきたて消費意欲を煽り、マネーゲームに走るという資本主義社会。私のような考えはたいへん反社会的なのかもしれない。その上、私の考えは分析的栄養云々を主張する、現代栄養学ともぶつかり、現代思想の根幹をなしている、「何でも科学的に観なければおさまらない」という常識にも抵触するから、二重三重に現代社会のルールとは対立するものになってしまうのだろう。
 しかし、世間がどう言おうとも、自分の実感は裏切れない。世間の常識に合わせて御馳走を食べ、また体の中が窓の開かなくなった満員のバスの中の澱んだ空気のような状態に戻りたいとは、もはや思わなくなっている。
 この先どんな事になるのか、まるで見当もつかないが、私自身の感覚に従って、頭での判断は極力しないようにして過ごしてゆこうと思っている。

以上2日分/掲載日 平成20年7月11日(金)


2008年7月16日(水)

 今年も朝日新聞社主催の出張授業オーサー・ビジッドで、"私の授業を希望する"と応募してもらった中から、実際に出かける学校を選考する時期がやってきた。そして昨日、朝日新聞社のN氏と共に沢山の応募校のなかから絞り込まれた、ひときわ熱意と工夫が伝わってくる応募の色紙を見ていると、このなかから最終的に1校か2校を選ばねばならないというのは、本当に申し訳ない気がする。無気力化や、しらけが進んでいるといわれるが、まだまだ元気な子供達がいることに、少し元気も出てくる。
 しかし、それにしても、もう現在のような形態での学校の在りようは限界に来ているように思う。大分県の教員試験関連の不正は、単に大分県だけにとどまらないようだし、もう学校制度は大変革に迫られていると思う。「ゆとり教育だ」「いや、ゆとり教育で駄目になった」と、いろいろ言っているよりも、教育は一応12歳ぐらいまでにして、後は働くようにしたらいいと私は思う。働けば、学ぶことの意味も切実に分かってくるだろうし、社会性も身につくだろう。
 そうなれば、「働く」「働きながら学ぶ」「学ぶことに集中する」と、いくつもの選択肢が出来るようになるし、働きながら学ぶ者が決して将来不利にならないような社会構造を作ることこそが教育改革であり社会改革でもあるだろう。そうすれば、社会性のある子供達から認められ尊敬される教師が教師として生き残り、社会全体の質も上がるだろう。
 とにかく、最近はいろいろな事を考えさせられる。もっとも、いろいろ考えが湧いてくるのも、とにかく技が変わり、考え方・観方が変わりに変わってきているからかも知れない。そのためか最近、武術というのは、人間というものを考える上で、他にはあまり例がないほど実に多くの切口と観方を提供する世界だという事が、いままでになく感じられてきた。
 つまり、私が武術を通して気づいてきた事は、他の分野でも少なからずヒントにはなるだろうという気が今までになくしてきたのである。したがって、別に武術を普及させたいとは思わないが、今の私の考えを話して、共感していただける方に私の話を聴いて頂きたいという思いは今までになくある。
 しかし、これは私が自分の武術に自信が出来たからではなく、それどころか、いま私はどうやら新しい壁に突き当たっているのだが、この壁を越えるのは非常に興味深いことで、その壁越えを多くの方々に関心を持って頂くというか、その壁越えを目撃して頂くと、新しい世界が、目撃して頂いた方と共に見えてくるような予感があるからのように思う。
 その場として、近々では17日のNHK文化センター19日の朝日カルチャーセンター新宿。そして25日26日は特別濃い福山でのセミナー27日は四国香川での講習会8月3日は名古屋での講習会7日は読売文化センター北千住8日は池袋コミュニティカレッジがある。御関心のある方はどうぞ。

 ただ、念のため申し上げておきますが、これらの講座で私から元気をもらおうとか、役に立つ話を聴こうと思われても、単純に、その御期待に添えるかどうかは保証しかねます。私がひどく落ち込んでいる可能性もありますし…。ただ、落ち込んでいたとしても、そこでの、私のもがきが人として生まれた事の不思議さや面白さ、怖さなど、日常見過ごしがちながら、人間が生き続ける事を根底から支えている「何か」につながり、その事から、御覧になっている方が思いがけない事に気づいて頂ける可能性はあると思います。
 まあ実用的な物の持ち上げ方、介護の方法等も勿論やりますが、そうした事よりも、もっと意外な自分自身が生きていることに直に響いてくる何かを得て頂けたら何よりと思っています。

以上1日分/掲載日 平成20年7月16日(水)


2008年7月27日(日)

 25日、26日と尾道のホテルベラビスタ境が浜で、名越康文名越クリニック院長と一泊二日のコアなセミナーを行う。今回はその準備のため、24日に名越氏と、東京から一緒に新幹線で現地入りし、その新幹線の車中も含め、集中的に話をすることができたが、あらためて、いまさらのように、名越康文という人物の類い稀さを実感した。現代において、この時代が抱える問題を、この名越氏ほど見事に解明して提示できる人物は、私の知る限り他に誰もいないだろう。過日、放映されたNHK教育テレビの漫画サイボーグ009に関する番組で、養老孟司先生が名越氏のインタビューに応じて出演されたが、その出演受諾理由を「いや、名越さんに会いたかったからですよ」と、もらされたそうだが、さもあろうと思う。私は、自分に才能があるとは思えないが、人と出会う運だけは人並みはずれてあると自覚していたが、15年にわたって私の最も親しい友人と思い、先方からもそれに近い表現で思われてきた人物が、これほどの人物であったということを思い知り、思わず鳥肌が立った。しかし、このコアなセミナーを企画し、様々な困難をものともせず、実行してしまった岡崎女史と、そのスタッフの方々の行動力と情熱には、ほとほと頭が下がる。
 今回は、このセミナーを皮切りに、8月3日まで、宿泊場所を6カ所変えて西日本を転々とすることになっている。そのための準備やら、日々入ってくる企画の依頼や、既に引き受けた企画への関わりなどで、ここ10日ほど忙殺されていたが、名越氏の類い稀さを実感し、「まあ、今の時代で私自身が出来ることは、やっていかねばならない」と実感した。最後に今回、少なからぬ費用と時間を使って境が浜まで我々の話を聞きにきてくださった方々に、お礼を申し上げます。おそらくよほどのご縁があったのでしょう。

以上1日分/掲載日 平成20年7月27日(日)


2008年7月29日(火)

 24日、旅に出て以来、あまり寝ていない日が続いている。別に誰かとずっと話しこむとか、そういうわけではないのだが、名越康文、野口裕之といった方々の話が私の中に強く響いていて、寝ていられないのである。特に28日の夜は、2時間くらいしか寝られなかった。
 それにしても、人々のためによかれと思って制定されている国家の制度や、世間の常識が、その「よかれ」と思って決められていること自体に問題があるのだ、と気づいてしまった人間は、どういう道を選んで生きていったらいいのだろう。「悪代官を倒せ」というような話なら共感者も得やすいだろう。しかし現代社会を本質的に苦しめているものは、「よかれ」と思って行われる施策の数々なのだと気づいた人間は辛い。現代という様々な矛盾の噴出する時代の中でその矛盾に目が向かないように「オリンンピックだ!」「ワールドカップだ!」と騒いだところで、問題は何も解決しない。また、そうした矛盾から起きてくる通り魔事件などを、よりセンセーショナルにショー的要素を盛り込んで、マスコミが伝えることで、模倣犯をさらに拡大再生産していく、というどうしようもない悪循環が続いている。
 25日26日の福山のセミナーで名越康文・名越クリニック院長は、「精神的に自立できず依存しかできない人間は、人生の本質的なことに絶望することすらできない」との名言を吐かれていたが、その後関西で、身体教育研究所の野口裕之先生からまた数々のインパクトのあるお話を伺い、身体は疲れているはずなのに、なかなか寝付かれず、やっと寝たものの2時間くらいで目が覚めてしまったのである。名越氏にせよ、野口先生にせよ、私に手厚く接してくださるが(そのことはたいへんありがたくもあるが)、私程度の力量の人間に、そこまでしてくださるということが申し訳なく(特に野口先生の場合は一層)思えてたまらない。しかし、同時に現代の日本ではそれほど人材が払底してしまっているのかと、暗然とした思いにかられる。
 今日はこれから、神戸女学院大学で、集中講義がある。そして8月2日は、ここで養老孟司先生を交えた公開トーク。さて、どんな展開になることやら。

以上1日分/掲載日 平成20年7月31日(木)


このページの上へ戻る