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気づくと、いつの間にか今年最後の月に入っている。
とにかく毎日が早送り状態。先月末は京都、大津に4日間ほどいて、印象深いことは、それだけで本が2冊くらい出来そうになるほどあったが、その後、次々に入る雑誌の校正や原稿書き、その他企画の相談で毎日が消えてゆく。
来週も、9日はブックファーストで名越氏との共著『薄氷の踏み方』刊行記念の対談とサイン会。11日は綾瀬での講習会。12日は池袋での講座などがあり、池袋の講座の後はそのまま深夜に長野まで行って、翌日は長野の講習会。終ってすぐ帰京して、養老先生主宰の会へ駆けつける、といった慌しい日々が待っている。そして翌週も18日から大阪、大阪、長崎、佐世保、そして岡山とまわって23日に帰京。その足で、すぐ渋谷のアップリンクに行き、トランペッターの近藤等則氏との公開トーク。近藤氏とは10年近く会っていないが、きっと先週会った続きのような感じで話しが出来るだろう。
技に関しての事でいえば、最近は身体のしくみというのは、そんなに精妙に出来ているわけではないのではないと思い始めている。というのは、へたに精妙に出来ていると、かえって進展や応用が粗害されるのではないかということで、これは以前、私が本にも書いたが、浅いプールで育てられたアザラシが、成長してから深い水の中に入れられると、泳げずに溺れるという話ともつながっている。今ここでこれ以上詳しくは書けないが、私の技は、何だかますますいわゆる科学的説明不能な方向に向かいつつある。
昨日は夕方から対談を二つ。ひとつめは問題なかったが、二つ目は企画者の意図も何も酌まないで勝手に喋る相手に、もう私は途中で帰ろうかと思った。しかも、その事に相手はまるで気づいていない様子。つくづく人と人がコミュニケーションをとる事の難しさを再認識させられた。お陰で対談の企画を急遽変更して、今夜私がインタビューに答える形にして再取材をしてもらうことにした。ただでさえ時間がない中、こんなことは本当に困るのだが、とうてい対談になっていないような話を載せられるよりはましなので、無理に時間を空けることにした。しかし、こんな事は今回限りにしてもらいたい。
以前、池袋で有名な落語家のS氏と公開トークをして、S氏が私とのトークにいちいち受け狙いの笑いをとろうとして茶化してばかりいるので、話がちっとも展開してゆかないため、終いには観に来ていた人が怒り出したのだが、その事がS氏には分らないらしく、余計おかしな事になってしまった。以来、初めての人との対談は気をつけていたのだが、やはり初対面の人との場合は、知人を通してその相手の人の人となりが分かっているか、出版社の企画などでは間に入った企画者が「十分な人間観察眼があるかどうか」を確認する必要があると、身に沁みて思った。
以上1日分/掲載日 平成20年12月7日(日)
もはや笑うしかない忙しさ…。依頼原稿も自宅では書けず、電車の中で書くありさま。とにかく対応しなければならない事が無数にあって、在宅していると、それらが次々に自己主張してきて、それらの用件、また企画の問い合わせなどに対応していると、それだけで、たちまち時間がなくなるからである。
以前は出かける1時間前になると、「あっ、もう後1時間しかない」と慌てたが、最近は1時間半前から出かける仕度を始めても遅れ気味である。出かける直前に「あっ、あの書類入れたかな?」と思っても、点検している時間もなく、「ある!」と念力をかけて出かける始末。とにかく「出かける仕度を!」と思ってから、緊急だった用件をいくつも思い出し、それらには対応しながら仕度しているので、90分も魔法のように消えてゆく。
本当に私の仕事は武術研究でも著述でもなく、甲野善紀という人間についている諸事雑用全般を行なうマネージャーだなと思う。
よく人からなぜそうしたマネージャーを雇わないのかと聞かれるが、私は人の好き嫌いが強すぎるのと、任せるなら本当に私と同じくらい私の好みや、書類の分類方法を理解してもらわないと、とても任せられる気がしないからである。仮に私の意向を酌み、私の好み通りに書類その他を整理してもらえそうな人が出てきても、もし、そんな人にわざわざ来てもらったりしたら、その人を接待してしまうから、私にはおよそ人を使うという事が出来ないからである。まあ、もうこれで何十年もやってきて、いまさら変えようもないから、このまま行くしかない。
それにしても12月7日神奈川県某所で行った粗朶作りと、薪割りの講習会の事や、昨日名越氏と新宿のブックファーストで行なったミニ公開トークとサイン会のことなど面白かった事もいろいろあって、精神的には落ち込んでいないことが、まだ救いである。
しかし、このところ本当に大切な返信や連絡が少なからず落ちてしまうので、大変申し訳なく、ここに今の私の現状をありのまま晒して御寛恕を請う次第である。
今年はあと、12日は池袋コミュニティカレッジの講座。13日は長野での講習会。19日は大阪のNHK文化センターの講座。21日は佐世保での講習会。23日はアップリンクで近藤等則氏とのトーク。25日はさいたまのNHK文化センターでの講座と、今月は公開の講座や講習会がまだ各地であるので、御関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成20年12月11日(木)
桜井章一雀鬼会会長の最新刊『見えない道の歩き方』が版元の竹書房から届いた。このところ特にやる事に追われているのだが、パラパラッと頁をめくって拾い読みしているうち、いままでの桜井会長の本とは違う「何か」があり、その「何か」に惹かれて、つい数十ページほど読みふけってしまった。
とにかく目を通していて、こちらに入ってくる活字の質感が違うのである。この本は、桜井雀鬼独特の格言が小見出しのように50以上並んでいるのだが、
「目標」は前に置かない。横や後に置け
人に騙される人は、自分にも騙されている
苦労を勲章にすると救われない
高すぎるハードルで挫折したと思うのは図々しい
「焼け石」に水をかけ続けるのが「教え」である
などは、他のジャンル、たとえばスポーツ界などで誰からも天才と認められたような大選手であっても、このような味わい深い言葉を産み出せる人は、まず殆どいないと思う。
何ともいえないキメの細かい肌ざわりのような言葉の数々。しかも、それがそうした肌さわりの良さを狙って作ったものではなく、晩秋に入り本格的な寒さを迎える前の野生動物が厳しい冬に対応する為に生えた冬毛のように、ごく自然に並んでいる。
これはひとつにはライターの大道絵里子女史の筆力とセンスの良さにもよるのだろう。見事なものである。早速に竹書房の鈴木誠氏と桜井章一会長に電話でお礼を申し上げたが、桜井会長との電話は、ついつい切ることが出来ず、また長電話となってしまった。
私としては、桜井会長と私の共著『賢い身体・バカな身体』よりも、桜井章一本としては、私はこの本を勧めたい。もっとも、それには「『伝説の雀鬼』といった現役時代の桜井会長の凄まじさを描いた本を読んだ上での事だが」という但し書きがつくが…。
以上1日分/掲載日 平成20年12月16日(火)
相変わらず時間はないのだが、とにかくあまりにもいろいろな書類が積み重なってくると効率の悪いこと夥しいので、昨日と今日いろいろとやらねばならない事に目を瞑って、かなりの時間を片付けに割いた。(といっても、しばしば様々な電話やらメールやらで中断はさせられたが)お陰で少しは頭の中のストレスもとれた気がする。さらに片付けを継続したいが、明日から一週間近く西日本をまわり、帰宅するのはクリスマスイヴ目前の予定。
世の中は失業の嵐なのに、このように忙しいのはありがたい事かもしれない。もっとも、さすがに来年は、今回の100年に1度の金融危機の影響で、私も今年よりは、かなりヒマになるかも知れないが…。
明日は大阪の朝日カルチャーセンターで講座。今回は翌日が近くのNHK文化センターと続くせいかキャンセル待ちの方もなく、当日受け付けもあるらしい。御関心のある方はどうぞ!
朝日といえば、明日18日の朝日新聞に私が宮崎の中学校に行った時のオーサービジッドの記事が出るようだ。その記事の中に、中学生の一人が私の技を体験する場面があるのだが、そこで私が使った「片手の斬り落とし」の技の描写を、私は「斬り下す」か「切り下げる」といった表現にして欲しかったのだが、斬り下ろす、切り下げる、といった表現はどうも一般的でないから、他の表現にして欲しいと新聞社から言われ、「押し下げる」「引き下げる」など考えてみたが、どうしても「押す」という感覚ではないし、引きおろすのも抵抗があって、私は「切り下す」を使ってもらいたいのだが、最終的にどうなるかは明日の朝日新聞の朝刊を見てみないと分らない。
もちろん言葉で技を完璧に説明はできないのだが、自分で技を工夫しているときは言葉もかなり使っているから、やはり言葉というのは重要なのだと今回の件であらためて思った。
それにしても最近の私の技の展開は、私も不可解。私の講習会に常連で来てくれている人達が、私の技を受けた時の子供のような表情(子供が興味のあるものに、のめり込むような)を見ていると、今の私の技は、私自身にも不可解だから受ける人はいっそう不可解で、それが大人をも童心に帰すような事にしているのかも知れない。
以上1日分/掲載日 平成20年12月18日(木)
今回の西日本の旅行も強行軍。18日は朝日カルチャーセンター大阪で講座。終って受講された方々と打ち上げ。その後、ホテルで最近12年ぶりに不思議な縁で出会った人と午前1時近くまで技の解説やら話をしてしまった。技の解説の中心は最近私がよく使う「追い越し禁止」だった。その後なんだかんだとやっていて、寝たのは3時。そして8時前に起きて、またいろいろやっているうちに11時のチェックアウトの催促をされるありさま。何とか11時半には出て、タクシーですぐ近くのNHK大阪文化センターへ。ここで部屋を借りて原稿を書き、そうこうするうちにアシスタントを務めてもらう遊武会の石田氏やF女史、京都新聞のK氏などが到着。ここでは初めての講座だったが、何だか勝手に喋り出してしまう感じだった。そして、このNHK大阪文化センターの講座を終って、すぐタクシーで新大阪に駆けつけ、"のぞみ"に乗って博多へ。ここから"特急みどり"に乗り換えて佐世保へ。佐世保には世話人の平田氏に迎えに来て頂き、ホテルにチェックインした後、食事。その後、平田氏と共にいつもいろいろ世話をして頂いている野元氏とも合流し、少し稽古。その後、原稿の整理やら何やらやっていると、また3時近くになってしまった。
そして20日は8時頃起きて仕度し、9時半に野元氏の運転で平田氏と共に長崎市へ。佐世保も長崎県だが、長崎市までは約2時間の道のり。この日、長崎市では長崎県学校剣道連盟の講習会があって、私は講師として招かれたのである。講習会が始まるまでは、それほど意識していなかったのだが、いざ剣道関係の方々に囲まれて講習会を始めると、さすがに感無量なものがあって、いままで一度も感じた事がないような、ある不思議な情熱に突き動かされるようにして喋り、喋りながら様々な動きを実演し、また体験して頂いた。喋りながら、この情熱は日本の武術の中核にあった剣術を中心に組み上げた私の武術と、やはりそのかつての日本の剣術を基にして生まれた筈の現代剣道とが、いままでごく個人的な付き合い以外は本格的に出会うことがなく、その事を私自身残念に思っていたのだという事を驚きと共に知ったのである。
講習会は、始めは多少ぎこちなさもあったが次第に全体がまとまってきて、私もあれだけ熱の入った講習会は久しぶりだった。そのためか3時間の講習会が、1時間半ぐらいにしか感じられなかった。その後中華料理店で行われた打ち上げも、畳の部屋でスペースもそれなりにあったから、また講習会の続きとなり、店を出たあとも、我々が佐世保から乗ってきた野元氏の車の前に、他の車が駐車していてすぐにでられなかったのでその車が移動するまでの約10分の間、見送りにきてくださった方々と、路上講習会となってしまった。ここまで熱が入ったのはやはり受講してくださった方々も熱気があったためだろう。特に刀を持つのに左右の手を寄せたもち方の効果はほとんどの方々に納得していただいたようだったし、鍔競りからの潰し方は多くの方々に関心を持っていただけたようだった。それどころか今回の講習会で、幹事役をしていただいたU先生はすでに左右の手を寄せて刀を持つ持ち方をかなり研究されていたようだった。
しかし、すべてのことに時期があるというが、今回の長崎での講習会も、剣道の専門雑誌『剣道時代』で私が両手を寄せた竹刀の持ち方を、神奈川県剣道連盟会長の小林英雄範士に解説している記事が出る数日前という、なんだか申し合わせたようなタイミングで実に不思議な思いに打たれた。
今回の長崎市での講習が剣道界に新たな風を巻き起こし、少年少女にも魅力的な新しい剣道が芽生えることを心から祈りたい。もちろん前途は多難と思うが、見送って下さった方々から「これからしばらく"追い越し禁止"が流行語になりそうです」という言葉を頂けたので、私も暮れに長崎まで来て本当に良かったと思うことができた。
以上1日分/掲載日 平成20年12月22日(月)
関西から九州にまわり、岡山から渋谷に直行して近藤等則氏とのトークショーをして帰るという強行軍の割には疲れが出なかったのは幸いだった。ひとつは久しぶりに聞いた近藤氏のトランペットの凄さが疲れを吹き飛ばしたのかもしれない。ただ、体調が悪くならなかった事の引き換えのように、やることがあまりに多くて、いろいろな用件がどうしても落ちてしまう。
そういうなか痛かったのは、雑誌『えるふ』のゲラが、私が関西に発った18日の夜届いていて、25日までという期限なので、24日はこの為に約5時間が消えたことである。常々、対談原稿はレイアウトをする前にラフでも入れて欲しいと言い、また校正依頼の時は添削して何行くらい増えてもいいのかを明記して欲しいと言い、また旅行などで出かけている事があるので、ゲラの出る見通しがついたら必ず連絡して欲しいと言い言いしているのだが、今回はかなり編集のプロという雰囲気が出ていたのと、何しろ次から次へといろいろあって忙しく、そうした初心者に対するような念押しをしなくてもいいと思ったのだが、現代はどんな場合でも初心者に対するように言わないと、後で大変なことになるとつくづく思った。
もはや様々なジャンルでプロが滅びつつあるのだろう。こう書いていて思い出したが、やはり昨日、留守中に届いていた斧に関して、送ってもらった群馬の大崎商店の社長と電話で話したのだが、最近は山林の枝打ちも鉈ではなく鋸でやるようになっているらしい。その理由が"危ないから"というのだから、本当に開いた口が塞がらない。鋸で切れば切口はよく切れる鉈に比べてササクレ、木のためにも良くないし、第一時間がかかる。それを安全第一といって鋸を使うとは!
とにかく最近は何かと言えば「危ない、危ない」という時代。まるで刃物を扱う仕事そのものが反社会的な事をやっているような眼で見られそうである。本当にこんな情けない日本に成り果てたかと思うと、生きる意欲もなくなってくる。
生物が生きているという事は、それ自体リスクの高いことだ。人間以外の他の動物は生まれてから成体となるのはごく限られているし、成体になっても保険も年金もなく生きている。土から離れ、第一次産業を軽視したツケは、これから様々な形で現れる気がする。そういう時代に我々は生きなければならないようで、そのような薄氷で出来ているような現代社会をどう踏み歩いて生きて行けばいいのか、という事について、最新刊『薄氷の踏み方』(PHP研究所)を共に書いた精神科医の名越康文・名越クリニック院長と1月8日新宿の朝日カルチャーセンターで公開トークを行います。まだ席があるようですので、御関心のある方はどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成20年12月27(土)