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9月30日は、久しぶりに桑田真澄氏が来館。話をしたり、最近の私の技を体験してもらったりしているうちに、3時間近くがたちまち経ってしまった。
桑田氏とは、今月中旬、初めて公開トークを行なうことになっているが、桑田氏の球界全体を良くしてゆこうという誠実さと情熱に、あらためて感じ入った。
しかし、それにしてもやることが山積している。今日から10月だが、今月は特に予定の入っていない日が2,3日しかなく、しかも、その日は溜まりに溜まっていることをやらねばならないから、どうやら今年最も忙しい月になりそうだ。
ただ、そんな中でも、久しぶりに植島啓司先生のお声を電話で聞いたり、思いがけない懐かしい人から手紙や物をいただくと、忙しく動かして原稿や校正をしていた手もフト止まる。今年はここに来て、一気に秋めいて来たので、懐かしさも、不意に訪れて来た気がする。ひとつには2日前に、佐渡で、昔の日本の原風景の名残に接して来たからかもしれない。
こんな事を書いていると「秋景色のなかで、いろいろな事に煩わされず心ゆくまで稽古をしていたいものだ」と思うが、この願いは、今年は叶いそうもない。
以上1日分/掲載日 平成20年10月2日(木)
3日はホテルオークラで例年、いまの時期に行なわれる新潮社主催の小林秀雄賞、新潮ドキュメント賞の受賞式とパーティーに行く。ここ数年、このパーティーは不思議と他の予定と重ならず、連続して出席することが出来ている。
この日は、たまたま茂木健一郎氏との共著の『響きあう脳と身体』の発売日でもあり、この本の推薦文を書いて下さった養老孟司先生に、会場で御礼を申し上げ、そこで池田清彦先生ともお話しをする。その他会場で何人もの方々とお話ししてから、私がいままで出会った数多くのライターの中で5本の指に入る、すぐれたライターであり、編集者でもあるI氏と新しい本の企画のため、この会場からずっと恵比寿の喫茶店まで話をし続ける。
そして、そこで22時過ぎに植島啓司先生と待ち合わせて、植島先生のオフィスへ。オフィスではI氏は終電まで、私は午前2時近くまで話し込んでしまう。植島先生には来月末刊行予定の名越康文氏との対談本の推薦の帯文をお願いしに伺ったのだが、話はそれからそれへと発展し、とうとう深夜にも拘わらず3時間にも及んでしまった。
思い返してみると、植島先生と、ほとんどサシで、こんなにお話ししたのは、いまから10年くらい前、初めて植島先生に大阪でお会いした時以来ではないかという気がする。
午前3時すぎに帰って、いろいろやっているうちに午前7時。慌てて寝たが、とにかくやる事が山積なので、3時間半ほどで起きて、やり始めたが、やってもやっても却っていろいろ思い出して、やるべき事が全く減った気がしない。とにかく最近は本当に必要なことも忘れて(たとえば、取っておくべきホテルの予約を忘れて)エライ目に遭ったりしている。
ですから、私と何か約束をされている方は、必ず確認の御連絡をお願いします。
又、御返事をお待ちの方も催促下さい。本当に大事な用件も山積する用件の下敷きになっていたりしますから…。
ただ、そうした中でも技は進展中。御関心のある方は8日のNHK文化センター横浜、10日の池袋コミュニティカレッジにどうぞ。
以上1日分/掲載日 平成20年10月5日(日)
10月5日から、いよいよ待ったなしで空いた日が殆ど無くなる10月が始まる。5日はまず私が幼稚園、小学校、中学校・高校とお世話になった明星学苑の大学、明星大学建学40周年記念の講演。健康・真面目・努力という、この学苑の柱に沿った講演を!という要望だったが、私なりに真面目に考えれば、科学的志向偏向の現代社会に疑問を呈せざるを得なくなるし、健康も本気で考えれば、朝食をしっかり食べようなどという、まるで生命体を自動車とガソリンの関係に貶めているような論に疑問を呈せざるを得なくなるし、ライト兄弟の飛行機発明のような情熱につき動かされるような努力は、本人達は努力と意識しないだろうし…といった、一般的イメージの健康・真面目・努力とは、およそ外れた話をしたので、主催者側をハラハラさせたかもしれない。ただ、講演も祝賀会も終った後、なかなかユニークな大学関係者の方々にお会い出来たので、私が縁のあった学苑も、なかなかすてたものではないと思った。
この40周年記念イベントの後は、三鷹から調布、府中にかけて広がる広大な公園で開かれていたK氏とW女史の結婚披露パーティーへ。K氏は元武術稽古研究会の会員だったが、私が五年前会を解散した事で、いまはロシアン武術、システマの指導者に。このパーティーに来て、パーティー参加者の顔ぶれを見ていると、私の会に縁があって、そこから様々に各人が縁のある武術の道へと進んだ人達が、それなりに、あるいは相当に育っている事をあらためて気づかされ、会の解散も意味があったとしみじみ思った。
私のところから出て、それぞれの道に進んだ人達が私に会うことに気まずさを持っていないのは(中には気まずい思いの人もいるかもしれないが)、私が私の探究している武術を、いいとか正しいとか全く思っておらず、まあ以前よりはマシになっている、という思いがずっと続いていて、私に縁のあった人がどの武術に進もうと、結果として同学同好の同志という武術稽古研究会創設時の理念だけは、すでに会を解散した今もまだ生きていたからだと思う。
したがって、私のプロフィールに「2003年、会を発展的に解散する」と、よく入れてあるのは意味のない事でもなかったと、K氏の結婚披露パーティーに出てあらためて思った。
もちろん、K氏がW女史を伴侶に得られて、人間的に非常な成長をされた事も大きいと思う。お二人の未来を心から祝福したい。
それにしても本当に今月は予定が込み入っていて気が抜けない。
いろいろな方々から展覧会や公演のご招待も頂いているのだが、どうしても外せない旅先への荷造り、企画の打ち合わせ、校正等で在宅してやらなければならない事が、気が遠くなるほどあり、容易に足が運べないのは、なんとも申し訳ないが、致し方ない。
さすがに雑誌の取材やテレビの出演等は、よほどの事がない限り、当分は、受けることはやめようと思う。
ただ、そうしたなかでも進展がある私の技に御関心のある方は、今月は講座もいくつかあるので、活動予定や告知板を御覧になって、そちらへどうぞ。又、10月11日は、京王線、小田急線の京王多摩センター駅のすぐ前にある"パルテノン多摩"で行なわれる「スペシャル・スポーツ・スリーデー」の初日で、午後1時半から陽紀と共に「自分の身体がおもしろい−古の武術に学ぶ−」と題して講座を行ないます。入場無料だと思いますので、お気の向かれた方はお越し下さい。
以上1日分/掲載日 平成20年10月6日(月)
最近よく"日本昔ばなし"の「牛飼いと山姥」の話を思い出す。どういうわけかと言うと、山中で山姥に出会った牛飼いが、山姥から逃げる為の時間かせぎに、牛の背の塩サバだったかを捨てながら逃げるところがあったが、まるで今の私が山姥で、私の行く手を阻むように次から次へと様々な用件が降ってくる。
すでに数年前からどうにもならない忙しさに、これ以上忙しくなったら一体どうなるのだろうと思っていたが、あの頃が懐かしい日々となってみて、当然の事だが、限界を超えた忙しさというのは、重要な用件もボロボロ落ちて行くという事だと知る。(そのため、そのフォローに、また時間と費用がかかるというありさま)
今は、来週から約一週間の四国・九州方面に出かける仕度を、数えきれない用件の合間にやっているが、なかなか捗らず、宅配便を出す予定が1日1日と遅れ、もうギリギリ…。さすがに何とかしたいが、どうもこうも仕様がない。
雑誌の取材も、よほどの事でなければ受けまいと思ったが、「まあ、ちょっとこの方から対談したいという御要望なら断れないな」という雑誌の企画も入ってきて、事態は少しも緩和されそうもない。急ぎでないらしい手紙で封を切っていないものが何通もある。(封を切ったら、5分でも10分でも時間をとられるので)
もしお急ぎの方は、至急ご連絡頂きたい。
以上1日分/掲載日 平成20年10月11日(土)
13日は、「パルテノン多摩」で桑田真澄元投手とのトークショー。桑田氏が想像以上にシャイであがり症であることがほほえましかった。
14日は、早朝に家を出て羽田空港から高知の龍馬空港へ。そこから100キロ以上離れた四国の西南端、土佐清水へ。土佐清水市教育委員会依頼のオーサービジットで、中学校二校を訪ねて、出張授業。そして一泊して今日15日の午前中,最も生徒数の少ない足摺岬中学校で最後の授業を行う。足摺国立公園の中にある中学校なだけに、南国特有の照葉樹林に囲まれ、まるで別天地。とても学校に来ているという雰囲気ではなかった。三校全部合わせても100人に満たない生徒数だったが、この地で仕事を持ち、この緑を財産と思えるような若者が少しでも残ってほしいと思う。
こんにちでは、東大に入ることよりも、店にきた客を和ませるようなこころ配りのできる人間になることのほうが、価値あることだということを社会全体が理解できるような日本になってほしいと心から願う。
さて、今回の企画では、二日間で私を乗せて200キロ以上走破していただいたI氏、アシスタントとして丸々二日間色々お世話になったS女史、そして土佐清水市教育委員会の方々(教育委員会というより農協か漁協の職員という雰囲気で、たいへん気さく、さすが土佐清水の土地柄と感じ入った)、また、教職員の先生方、特に私を招くことを最も熱心に説かれたという全校生徒16名の足摺岬中学校の校長先生にはお世話になったことを改めてお礼申し上げたい。三校で授業を終え足摺岬から宿毛に移動し、ここからフェリーで対岸の大分の佐伯へ。六畳ほどの2等客室の仕切りには、私の他には客一人。100円の貸毛布をかぶって睡眠中(この100円も自動販売機のようになっておらず、志のある人がいれる形になっているところもまた気に入った)。私も100円入れて、貸毛布を借り、横になったり原稿を書いたり。このところずっと忙しい日々を過ごしていると、こういう時間がたまらなく懐かしい。この時を味合うようにして今これを書いている。今夜は大分で稽古会。そして明日は大分から"特急にちりん"で宮崎へ移動し、今度は朝日新聞主催のオーサービジットで宮崎市の中学校を訪れる予定。
また、続きは、近いうちに書いてみたいと、思います。
以上1日分/掲載日 平成20年10月16日(木)
今回は、熊本の山中で、迷った同行者の車のパンクのタイヤを取り替えたり、天草の海でイルカの潮吹きを顔に浴びたりと、随分いろいろ滅多にない体験をした。
四国でお世話になった事は既に前回も書いたが、九州の大分、宮崎、熊本、各地で本当に心配りを頂いて、ありがたいの一語に尽きる。
九州でも各地を車で運んで頂き、400キロくらいは走ったのではないかと思う。お世話を頂いた方々に深く御礼を申し上げたい。
それにしても世界的な金融恐慌の気配と共に、また世の中が大きく変わる潮目が来ているのではないかと思う。そして、この時期、不思議と私の近辺で逝かれる方々が後を断たない。
御縁の種類もさまざまだが逝去された方々の御冥福を心から祈りたい。
以上1日分/掲載日 平成20年10月20日(月)
14日から19日にかけて四国・九州をまわったのは、さすがに体に堪えたのか、20日は何をする気力もない状態だったが、21日は読売文化センターでの講座。22日は綾瀬の稽古会と続き、23日は神戸女学院大学の内田先生からの依頼で柔道のI選手の相談に乗る等といった日々で、いったい自分の体はどうなっているのだろうと思う。
「いったいどうなっているのだろう」というのは、22日などは喉が腫れてきて、「わあ、ついに風邪か…まあここで風邪ひいて体調を整えた方がいいんだがなぁ…しかし今日は稽古だし」と思って、綾瀬で稽古会をやっているうちに、何だか今までにない質の汗が出て、講習会が終ったら喉の腫れも引いていて、そのまま講習会に来た人達とファミレスで結構2時間近くもいろいろ話したりしたからである。
しかし、23日は朝から頭痛。これで柔道の日本代表の候補にもなろうかというI氏とどこまで出来るかと思ったが、まあ、いざやってみるとI氏には少なからず驚かれる展開で、私もいろいろ気づきがあり、多分その場で10ぐらいは新しい技を作ることが出来た。(まあ作ったというより「ああ、こういう動きもあるのか」と気づいたようなものだが)
そして今日は、今日こそは原稿書きをしなくてはと思っていると、思いがけず懐かしいトランペッターの近藤等則氏からDVDやら本と共に、私と対談したいという御手紙を頂く。
また、横浜市消防訓練センターから講師としての出講依頼の電話、省エネルギーセンターから、以前書いた『月刊省エネルギー』という雑誌の文をまとめて本にするとの事での校正依頼。そういえば数日前、東京都の福祉保険局から、理学療法士・作業療法士向けの講習会の依頼もあった。
それから、同じく今日届いた郵便物の中にあった『看護学雑誌』11月号を開いてみると、もうこの雑誌の常連となった介護福祉士の岡田慎一郎氏の連載の他に、私とは30年近くの縁になる中島章夫氏の"「武術稽古素材」から触れ方を考える"、私と桑田真澄元投手との縁をつないでもらった理学療法士、北村啓氏の"皮膚感覚を発見するためのワークプログラム"などの読み物があり、巻末には内田樹・神戸女学院大学教授と名越康文・名越クリニック院長との対談まで載っている。
考えてみると(というよりも考えてみるまでもないが)、これらの人達は私と縁がなければ、この雑誌に載ることはなかったかもしれない方々である。人に影響を与えることの恐ろしさを、もうこの頃は恐ろしいというより、まるで他人事のように感じはじめている事に、「まあ、そうでなければ身が持たないか…」と思った。
この先どういう展開になるか分らないが、体の動く限りは様々に来る用件と向き合って行きたいと思う。とは言うものの、この随感録を書いている最中に5件ほど新しい用件が入る。さすがにもう…。
しかし、あらためて気づいたが、最近は公共機関からの依頼が多い。私のようなアヴァンギャルドな生き方でも参考にしないと上手くいかないほど現代の社会は行き詰まっているのかもしれないし、常識的にいいと思われていた事の綻びが目立ってきたのかもしれない。
そうしたなか、最近は講習会などで出会う若い人達の中に、情熱的な人が出て来ているのは頼もしいことだ。
それにしても、よく思うのだが、プロのスポーツ選手やプロに近いスポーツ選手よりも、アマチュアで無名、あるいはただ好きでやっているという一般の武道やスポーツ愛好家の方が、私の説く技の術理をよく理解できる人がいるというところに、いまの武道やスポーツ界の問題があると思うのだが。
以上1日分/掲載日 平成20年10月25日(土)
25日も27日も終日家にいて、ずっと仕事していたが、ほとんど書類の整理と片づけで依頼稿を書くまでに至らず、新幹線の中で原稿は書くことにして家を出る。
ただ、26日千代田で行った稽古会では、私にとっていまだかつてなかった発見があった。それは体術で一般的な動きとは質の違う動き、すなわち全身が強調した動きは、その前提として腕や肩がリキムことのない動きであることは以前からわかっていたが、その質の違いということが、明らかに、明らかにと、"明らかに"という形容を2つも続けて使いたくなるほど違う動きの兆しを体験して驚いた。どういう事かというと、そのリキミのなさが、普通の感覚では、およそ想像もつかないリキミのなさなのだということがわかったことである。フッとその気配程度とはいえ、はじめて、その全く質の違うリキミのなさを、千代田での稽古会の最中体験した時は、本当に怖かった。なぜ怖かったかというと、その瞬間私の片腕を握った相手に、ホンの僅かでも私の予想外の動きをされると、一瞬で私の肩の関節が抜ける危険を感じたからである。この時、かつて話に聞いたことがある「人間の関節なんて5ポンドの力で外れるんです」という整体協会の、故野口晴哉先生の言葉を思い出した。そして同時に、多くの人が稽古していて「リキミがとれない」とか、「つい肩に力が入ってしまう」というのは、体の防備作用であり、よほど全身が協調的に働かないと、リキムことなく全身が働くということが術として使えるレベルに入っていけないことが痛感された。
このような事に気づけたのも、5月の末に刀の持ち方が大変化したからだと思う。身体の運用システムの奥深さに、いまさらのように感嘆する。
まだまだ、先は遥か彼方だ。
それにしても、こうした気づきを得ながら、自分の稽古にほとんど時間が割けない現状になんともいえないもどかしさを感じる。
いままでも仕事の依頼は選んできたつもりだが、今後はさらに選んで、より稽古研究に時間を使えるようにしてゆきたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成20年10月29日(木)