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ようやく書棚が完成。一寸五分や一寸の厚みのムクの杉板をふんだんに使った書棚は、私にとっては凝った家具を買った以上に気持ちが満たされるが、何だかそこに本を置くのがもったいない気がしてくる。
もちろん、そうも言っていられないから、この書棚は遠からず満杯になるだろう。ただ、今月は月の半分以上、あちこち出歩く予定なので、せっかく書棚が完成したのに、片づけはまだ長引きそうだ。
今回の部屋の修繕・改装で、いろいろな昔の資料が出てきて、ついつい拾い読みをしてしまったが、あらためてその人としてのセンスの良さを思ったのは、整体協会の創設者、野口晴哉先生。野口晴哉先生とは講座の講師と受講者という形以上の関係ではなかったが、そのナマ身の姿と直に接することが出来たという事は本当に幸いだった。
おそらく、私がいままでの人生で最も影響を受けた人物だと思う。その野口先生が、よく、人間年を重ね、諸欲が衰えてくると、それに代わって名誉欲が大きくなるという話をされていたが、その話を聞いた当時は「ああ、そんなものかな」と思っていたが、この道を専門として約30年、さまざまに年を重ねてきた人の、さまざまな場面を見て、その意味が深く納得されてきた。
たとえば、もう10年近く前、養老孟司先生も参加されていた、ある「科学」についてのシンポジウムで、養老先生と同席されていたE先生は、世界的に有名な賞も取られ、日本でも知名度の高い大学の学長もされていた方だが、科学の本質についてのシンポジウムの筈なのに、話の内容のほとんどは、アメリカにあった自宅の庭が広く、野生の鹿や七面鳥が出てくるとか、自分が出た高校は自分以外にもう一人優秀な人材が出ているので、この高校も優秀な高校だったのではないか、といった自慢話で、司会を務めた科学ジャーナリストのT氏も「ああ、それはうらやましいですね」といった合槌を打つしかない有り様だった。
会が終ってから、私は養老先生に「先生と御一緒した本(『自分の頭と身体で考える』PHP刊)のなかで、養老先生の先生に当たる方が七十歳になって同窓会に行かれた時、『七十歳の同級生同士の話題って何だか君分かる?病気の話、孫の話、勲章の話、これで終わりだよ』と仰っておられたと出ておりましたけれど、本当に今日はそのことを実感しました」と感想を述べると、養老先生は悪戯っぽい笑顔をされていた。
それにしても、人間のそうした名誉欲は時として厄介なものだ。たとえば社会的信用度も実力もある人が、そうした事で自然と備わる知名度や声望にも満足が出来ず、それ以上の背伸びを演出すると、本人はいいつもりでも滑稽な事になることが少なからずある。武術・武道の組織において、もし師匠がそうなってしまったら、それを諌めるのが周囲の役目だろうが、イエスマンばかりで固めたような組織では、他から密かに笑われていても、その事を伝えて、師匠に意見する者もいない恐れがある。そのような組織はやがて自壊していくしかないだろう。組織というものの難しさを、あらためて考えさせられる今日この頃だ。
以上1日分/掲載日 平成20年2月5日(火)
4日から神戸女学院での集中講義のため西宮に来ていたが、それも6日無事に終了。内田樹先生はじめ、お世話になった方々には深く感謝の意を表したい。
ここへ来る前日の3日夜、昨年の夏「ああ、やめればいいんだ」という事に気づいてから、一連の気づきの流れ(たとえば“追い越し禁止”“非常口は整列して”など)が、“灌漑用水の原理”という形でひとつまとまってきた。
最近は、時間がないせいか、“非常口は整列して”とか、“カウボーイの投げ縄”とか、詩的にはほど遠い即物的名称の原理ばかりだが、その具体的な実用度はかなりなものである。しかし、“灌漑用水の原理”は「先頭に見えるものが、実は尾」という事で、これは、鋸は西洋的な押し型より、引いて切る日本式が薄く微妙なところでは決定的に有利、という事とも関連しているのだが、論理的説明ではどうしても飛躍がありすぎて、ついていけないところがある。しかし、有効な技は根本的に非論理的なところがあるもので、肝腎なところは実に分かりにくいものである。
つまり、部分的には論理的で、しかし決定的に非論理的というのは、『願立剣術物語』でも説いているところであり、それと同じというのはさすがに気がひけるが、今回は、私なりには何故か妙に納得している。
この術理を、数学にときめきを感じ、今春から新たに数学専攻を決めているM君が、数学的に解決無理にしても、何か上手いヒントを提供してくれたら、彼にとっても、私にとっても、なかなかスリリングだと思う。
以上1日分/掲載日 平成20年2月7日(木)
昨日、桜井章一雀鬼会会長との対談の見本本が出来てきたのだが、包装を解いて、その装丁を見た瞬間、一瞬声が出なかった。
『賢い身体 バカな身体』というタイトルの「賢い身体」の方にブルーの○、「バカな身体」の方に赤の×が大きくつけてある。我々は、少なくとも私は対談のなかで、最近のマルバツ式のマニュアル的発想ではダメだという事を、その対談を通してずっと言い続けてきたつもりなのに、その本の装丁がこれである。
私はいままで30冊以上の本に著者として関わってきて、首を傾げざるを得ないような装丁にされたことも何回かあるが、そのあまりのセンスのなさに口が利けないほどのショックを受けた事は、さすがに一度もなかった。しかも、この本は本来なら昨年の暮に出ている筈のものが、装丁が進まないので1ヶ月半ほど刊行が伸びたといういわくつきのものである。つまり、やっつけ仕事の装丁ではなく、現代の日本でも最も人気のある装丁家に依頼しているので、版元の講談社が異例の刊行延期をしたのだという事だったが、それがこれとは泣くにも泣けない。
これが決まるには、編集、販売、宣伝の各担当者が集まって会議をして決めたらしいのだが、つまりは日本最大の出版社の各部門の専門家が集まっていて、その中の一人も著者の意図を汲みとることが出来なかったということになる。
感性の大切さを常々説かれている桜井会長と、感覚の重要さを説いている私との対談本の顔ともいえる装丁がナンセンスの極みとは、この本が現代に必要とされていることを最高の皮肉で宣伝することになったと言える。
それが講談社の深い読みだとしたら、何も申し上げることはないのだが…。
以上1日分/掲載日 平成20年2月10日(日)
昨日14日、『笑っていいとも増刊号』の撮りのため、アルタに行く。以前からタモリ氏が私に強い関心を持たれているとの事で、IMIの金森氏(精神科医の名越康文氏の所属事務所の社長で、以前からの知人)から出演を口説かれ、名越氏からも「タモリさんのためにも是非出て下さいよ」と、何度となく言われていた事もあり、介護福祉士の岡田慎一郎氏と共に出ることになった。
タモリ氏の、場の把握力は「さすがだな」とかねてから思っていたが、いざナマで共に同じ空間にいると、この人物の、その場その場の統禦力は並外れていることが実感できた。おそらく生放送で共演者が突然わけの分からない行動をとったり、場をひどくシラケさせる事が起きても、瞬時にその場をさり気なくフォローする能力は、ちょっと余人では真似の出来ないものがあるように思う。
終ってすぐに再度の出演を依頼されたが、タモリ氏には私もまたお会いしたいと思うので、桜の咲く頃か、散る頃には、また出ることになるかもしれない。今回の撮りの放映は1週ズレて24日になるとの事だった。
アルタの次は、市ヶ谷の旅館にロイター通信の取材で出向く。それでも珍しく、夜早い時間に帰れたのだが、とにかくやることが止めどなくあり、いま書き物で優先順位の最も高いPHPから刊行予定の名越康文氏との共著の赤入れのゲラと向き合った時は、午前2時を回っていた。(このゲラも1月中に30ページほどやったが、2月に入ってからは2ページくらいしか進んでいない。2月末までにとPHPのO氏に言われているが、今月はなにしろ予定がひどく混んでいるので、どうなる事か…。もちろん当てられる時間はすべて注ぎ込もうと思っているが)
書く方は、この他にも筑摩書房依頼の『剣の精神誌』の文庫本の原稿もあり、まったく今は他に余裕がない。それに今は、また技の方もいろいろと変化してきていて、その事も具体的に検討したいし、本当に体が割かれそうな思いをしている。
私の技の進展については、近々では16日の新潟、23日の仙台、24日の弘前、27日の綾瀬、29日の大阪の朝日カルチャーセンター、3月2日の福山などの講座、講習会の折にお話ししたいと思う。ただ、27日の綾瀬、29日の大阪の朝日カルチャーセンターの講座は、すでに満員となっているらしい。一番空いているのは地理的にも最も遠い弘前だと思う。御関心のある方はどうぞ。
追記
16日の新潟の講座に来られる方で、木刀、杖、竹刀などお持ちの方で、私が使わせて頂けるものをお持ちの方は、持ってきて頂けると幸いです。
追記2
昨夜、女子バスケットボールの浜口典子選手が、今年の北京オリンピックの日本代表の候補として正式に選ばれたようで、浜口選手から私に感謝とお礼のメールが届く。その後、しばらく電話で話したが、浜口選手は私と縁のあったスポーツ選手のなかでも、最も熱心に私の術理と取り組んだ選手で、私の都合がいいとなれば、私に会うためだけに愛知県から新幹線に乗って上京してくる事が何度かあった。人柄もまた頗るつきにいい女性で、これほど謙虚で誠実な人は現代の日本社会では滅多にお目にかかれない。それだけに、その御活躍を心から応援したい。
以上1日分/掲載日 平成20年2月16日(土)
桜井章一雀鬼会会長からお電話を頂く。電話で桜井会長は「いやぁー、ホント先生には申し訳なくてサ」と、例の桜井会長との共著『賢い身体・バカな身体』の装丁を、私が「泣くにも泣けない」「ナンセンスの極み」と、この随感録に書いたことをひどく気にされてのお電話だった。桜井会長が気にされること、そして「申し訳ない」と頭を下げられることは十分に予想された事で、それだけに桜井会長には何の責任もない出版社サイドの問題に心を痛められるであろうことに、私の方こそ申し訳ないと頭を下げたい思いだったのだが、初めて本を見た時の私のショックと怒りを素知らぬ顔で我慢するのも、ひどく不自然に思えたので、いちおう私の気持ちを落ち着かせるためにも、ある程度言いたいことは言わさせてもらったのである。
しかし、あの装丁に驚いた(いい意味ではなく)のは私だけではなかったらしく、知友の方々から、例えば"あのカバーはさすがに呆れますよ。しかし装丁した人や出版社の人は本の中身をまったく読んでませんよね。だって、あの本の105ページに『そういう複雑さを抱えた時代なのにマニュアル的に「○ですか×ですか」みたいな安易な選択をする「考えない人間」がますます増えてきて、時代の矛盾というものに鈍感になってきている人が大変多い…』と書いてあるじゃないですか。ああハッキリ書いてあるのに、さすがにあれはないですよね"等々といった感想が寄せられてきている。
まあ、これ以上書くのも桜井会長にお気を遣わせてしまうので、もう打ち止めにしたいが、それにしても私の装丁に対する意見が伝わっている筈の版元から、いまだに何の連絡もないということが、あの本を世に出す必然性をハッキリと示しているような気がする。
以上1日分/掲載日 平成20年2月19日(火)
桜井章一雀鬼会会長から、今日もお電話を頂く。どうやら今回の桜井会長と私の共著『賢い身体・バカな身体』は、よく売れているらしい。そして、この本の装丁に関する私のいらだちを後腐れないように「収める」という方向でお電話を頂いたようである。
まあ皮肉な、といえば、まことに皮肉な話だが、何かトラブルがあった時、それをいかに「収めるか」という事については、今回の本『賢い身体・バカな身体』の180ページに出ている。その見事な「収め方」を、まさに桜井会長御自身、身をもって示して下さったわけで、あまりに出来すぎな成り行きに、私も講談社に対して腹が立つというより、今回のことは本当に誰か台本の書き手がいるのではないか、とさえ思えてきた。
あらためて考えてみれば小説の遙か上をいくような奇跡を行い続けてこられた桜井会長の人生に、共著という形で、まるで対等であるかのような形で私が絡んだのだから、何か普通でないことが起こらない筈がない。
それにしても麻雀界の大天才として知られ、麻雀を覚え始めから20年間無敗。しかも命を削るような凄まじい勝負の場を数えきれないくらいくぐって来られた方が、まるで私よりもレベルが下の人間のように発言されるのには(まあ、そうやって私をからかって楽しまれているのだろうが)どうにも参る。
ただ、まあ私も次第に根負けしてきて、私をからかって、それで少しは桜井会長が人生を楽しんで下さるなら、それはそれで御相手をつとめようという気分に段々なってきている。
「天才は我に返らない」というのは、私の畏友、名越康文名越クリニック院長の名言だが、この名越院長が今年は桜井会長と対談本を刊行の予定。今度は外野から(いやネット裏から)思いっきり楽しみたいと思う。
以上1日分/掲載日 平成20年2月21日(木)
以前、私のところに来る仕事や、用件の量が「私自身が処理できる5倍くらいだと思う」と書いたことがあったと思うが、現在の私をとりまく仕事や用件の発生状況は、私の処理能力の7倍くらいにはなっている気がする。そうしたなか、風呂釜のトラブルなど、どうにもそのことに関わらざるを得ないような緊急の用件も発生したりしたから、最近は10時頃に帰宅しても、最優先の執筆や校正にとりかかれるのが午前2時とか3時だったりする。当然僅かしか進まない。
したがって、封を切ってもいない手紙が何通もあるありさま。
一昨日も「明日もあるし、さあ寝よう」と思ってから、朝日新聞の出前授業「オーサービジット」の事務局からの依頼で、私が行けなかった応募校への献本のためのサインをし忘れていることを思い出し、それをし始めているところへ深夜の電話。寝る時間は、ここしばらく4時間くらいが続いている。ただ忙しいといっても嫌な仕事をしているわけではないから、有難いといえば有難いのだが、それだけに目が覚めたらあれもやらねば、これもやらねばと思うので、とにかくいろいろとやるべきことは抜け落ちるし、忘れ物が続く。21日の群馬の介護関係の講習会では、道衣の上を忘れて、陽紀のものを借り、今日あった仙台の稽古会では袴を忘れ、世話人の森師範のものを借りるありさま。
私に何か依頼をされている方は、どうか、くどいほど念を押していただきたい。
仙台の稽古では、2月に入って新しく展開してきた"灌漑用水の原理"とひとセットになっている「龍尾返」の解説をしながら、技を試しているうちに、またいくつかの新しい展開があった。「龍尾返」は、先頭に立って動いているように見える手が、じつは先ではなく最後尾に当たるという原理だが、それだけに技を行っている内面状況がいままでと逆転している。
私の技と術理は、いままで散々変転を重ね、何度も「いままでにない気づきだ!」と思ってきたが、従来の予想を大きく覆すという点では、「龍尾返」は16年前の「井桁崩し」の気付きに匹敵するかもしれない。昨年8月に「ああ、やめればいいんだ」と思ってから、半年経ってこんなふうに展開するとは。世の中まったく予想もつかないことが起るものだ。
以上1日分/掲載日 平成20年2月24日(日)