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9月1日の福田総理の突然の辞任。それに関連した報道を見ていて一番ガックリ来たのは、「では、この辞任を国民はどう思っているのでしょうか」という「街の声を聞く」というところ。もちろん、そこで語られる街行く人々の声は全く予想通りのものばかりだ。(なかには思いがけない発言をした人もいたかもしれないが、それは当然カットされるだろう)これを観ていて何がガックリ来るのかといえば、みな一様にそれらしい事を言っているが、そこには切実さは何もない。なかには燃料の高騰に苦慮している漁師の「とにかく油の価値を下げて欲しい」という声に切実さはあったが、その意見は総理の辞任の感想というより、現状の燃料高騰を何とかして欲しいという意見だから、見方によっては自分が総理の座にいることによる政治的混乱を極力なくしたいという福田総理の辞任理由は、こうした燃料高騰に苦しむ人の為ということも出来る。野党は国民の暮らしが危ういと、いろいろ言うが、国民のほとんどは昼のドラマの感想を聞かれている程度の感覚である。まあ見方によっては、それだけ日本は明日食べるものもないという国々の人と比べれば、平和で豊かだという事も言えるだろう。しかし、そのために環境問題をはじめ、陰湿なイジメや家庭崩壊という容易ならぬことがなおざりにされているというのに、そうした事と根本的に向き合おうという社会にならず、そうした意志のある人間は本当に稀である。
特に私と同世代か、それより上の年令の人達は「なんだかんだいっても昔に比べて暮らしやすく便利になった」と思う気持ちの方が、時代の矛盾と向き合おうとする気持ちより遥かに強い人が大部分であろう。そういう人間が票を投じて政治家を選ぶ。民主主義とは本当に怖い制度だとあらためて思った。もちろん専制独裁制度の弊害は大きい。しかし、取り敢えず我が身に利になることを中心にしか考えられない人間が、昔より遥かに増えている社会で(いわゆるモンスターペアレンツなどを見れば明らかだ)民主主義はその欠陥がより一層鮮明になってくる。
まさか昔の身分制封建社会に戻ることは出来ないが、民主主義の問題点を本気で考え討論しないと、今後時代の矛盾は益々大きくなっていくだろう。
仙台、八戸と回り、そこで気づいた事などを書こうと思っていたのだが、ニュースを見て、何だかガックリしてしまい、東北での事は又あらためて書くことにしたい。ただ今回、何人かの方々の特別な御厚意によって、八戸市立図書館で『願立剣術物語』の原本を拝見出来たことは有難かった。
今回お世話になった方々にあらためて謝意を表したい。
以上1日分/掲載日 平成20年9月3日(水)
次から次へと様々な荷が毎日荷揚げされる港のように、用件は日々いろいろと入ってきて、まったく息つく暇もないが、このところ術技の進展も目まぐるしい。ただ、それについて具体的にはますます書けなくなっている。たとえば、「櫓潰し」と、かつて私が名付けた、相手が両胸を掴んで来るのを上から斬り潰す技を、片手を胸に引きつけて斬り落としに耐えようとしている状況下で斬り崩すといった場合への応用や、「切込入身」を以前よりも更に状況設定を厳しくしてやってみたりしているが、その術理を論理的にわかりやすく説くことは非常に難しくなってきた、というより不可能になってきた。
なぜかというと、同時並列で行なわれている技を、言葉という一対一対応の時系列順の構造による表現方法で説くということ自体に根本的困難があるからで、これは以前よりも、その技を行う時の身体の同時並列性がより可能になってきたからだろう。それだけに、言葉にするのが困難になってきたのだと思う。まあ「行列をハミ出さないように」「その列が細くならないように」といった"譬え"でしか、なかなか表わしづらい。このような説明よりも、もう少し具体的に分かりやすく解説しようとすると、技の利きがまるで変わってしまう。
つまり、まるで出来なかったり、まあまあ出来るような状態になってしまったりする。ところが、微妙な感覚そのままに、"別に何気なく…"という感じでやると、相手がビックリするほどの勢いで崩れたりする。もちろん私も驚く。「その差は何なのか」と、つい私も解明したいと思ってしまうのだが、分析的解明をするというのは意識を使って行なうという事で、そうなると結局「Aの時にB」という一対一対応の状態になってしまい、技がつっかえてしまうのである。昔から"夢想剣"とか「無心でやれ」と言われていた事の重要さが日々実感される。
それにしても、こんな状況で私の話を「よく聞いてもらえるな」と思うが、技自体の利きが変わってきているためか、最近受講して下さる方々は、以前よりも熱心な方が多く、この頃あちこちで聞く「ろくに人とコミュニケーションもとれない若者の激増」という世相とは殆ど無縁であることは、私にとっては大変有難い。なにしろ、そういう人間を見ていると、私の生きる意欲もなくなってきてしまうから。まあ、金と時間をかけて、わざわざ私の話を聞き、技を体験したいと思われる方々からは、それだけで現代では少数派なのかもしれないが…。
とにかく、最近は実際に技を受けて頂くか、その現場を見ていただけないと、説明の言葉だけでは非常に奇妙なことを言っているおかしな人間としか思って頂けないだろう。
その体験して頂く機会ですが、今月18日、19日の関西は、神戸・大阪のカルチャーセンターですが、どちらもすでにキャンセル待ちの状態とか。もし御関心のある方は、関西からは少し離れていますが、20日の岡山、21日の福山のいずれかの講習会にお越し下さい。
また今月末の27日は新潟で講習会があります。
以上1日分/掲載日 平成20年9月10日(水)
今から16年前、「井桁崩しの原理」に気づいた当時、日々、体の使い方に気付きがあって、かなりの期間ずっと興奮していた記憶があるが、今年の8月の末から、ここ2週間ほどの間、あの16年前の時とは、いろいろな面で違うとはいえ、次々と気づきがあって、今まで思ってもいなかった体の使い方に自分でも驚くことが少なくない。
ただ、いまも言ったように16年前とは違う最も大きなところは、16年前は気づきがあってから、その探究には少なからず時間を費やすことができたが、今は本当に様々な用件が入ってきて、その対応で1日の大部分が消えるため、時間を作るのが容易ではない事である。たとえば、昨日の10日などは私の用件の窓口となっているホームページの管理人のS氏が、前日事情があって私への連絡が出来なかった事もあってか、S氏からのルート以外の郵便や電話等を含め、今までで最高の15件以上の用件が入ってきたため、本当に大変だった。
それでも新しく気づくことがあれば、その先を探究したくなって稽古の時間をとるから、かなり重要な用件も著しく遅れがちで、礼状などは誠に申し訳ないが書きかけのまま10日も15日も止まったままになっている。
しかし、武術の研究者、探究者として、優先順位はどうしても技の研究とならざるを得ないから、不義理には目をつむるしかない。
現在の日本の惨状に、もはや見るべきほどのものは見たと思い、「人生五十年」を更に十年近くも長く生きて、還暦を前に、「もう十分生きた。いつ死んでも思い残す事もない」と思っていた私だが、もう2、3年は生きて、いまの技の進展の行方を見てみたいという意欲が珍しく湧いてきた。
もちろん、この思いがいつまで続くか分からないが、今日だけでも、こう思える事には心底ありがたいと思う。御縁のあった方々に心から感謝したい。
ドイツ在住のH氏父娘に同行して、何年ぶりかに下北沢の"牌の音"に桜井章一雀鬼会会長にお目にかかりに行く。桜井会長は、今年も何回かお会いしているが、牌の音はずいぶん久しぶり。鮮やかな牌さばきと、息を呑む離れ技も拝見することが出来た。
桜井会長の、動かしやすい、つい動きやすい手指の部位を動かさずに牌を操るという事と、最近の私の剣術の剣の持ち方が両手を寄せて持つようになって、普通ならギコチなくなるところが、かえって腕を使わないことで速やかに剣を扱えるという事との共通点など、お話ししているうちに雀鬼会の人達と、まず私が体術をいろいろやって、これを呼び水に、この方面でもただならぬ桜井会長の動きを拝見することが出来た。
桜井会長といえば、最近、私の親友であり畏友である名越康文・名越クリニック院長との共著『未知の力を開く!』がゴマブックスから刊行されたばかりだが、"牌の音"の後、講座のあった池袋コミュニティカレッジで、この本のことを紹介したところ、この講座で、いつも私の本をいろいろ取り揃えて置いてある西武のブックセンター・リブロの出張販売で、この本が売り切れ、私が買おうと思った時は1冊もなかった。
本書はいままでの桜井会長の本とはまた一味違っていて、桜井章一という稀代の真正天才を読み解く上で、ある手がかりにはなると思う。
以上2日分/掲載日 平成20年9月13日(土)
埼玉工業大学の川副嘉彦教授から、11月2日の日本テニス学会での対談要旨の原稿が届く。まず書き出しに私との出会いを「エンデの童話『モモ』との出会いと同じくらい、あるいは今ではそれ以上に、甲野先生との出会いは私にとって幸運だった。物の見え方が明らかに変化してきた。朝、眼が覚めて『生きてて良かった。身体よ、ありがとう』という感覚である」とある。このような過分な評価には恐縮するが、川副先生のように、私の動きをここまで理解して下さる方もあれば、先日テレビ朝日で放映された『近未来予測ジキルとハイド』で、岡田慎一郎氏の古武術介護を目の当たりにしながら、川副教授の百分の一も理解していないO教授のような人物も同じ工学系の大学教授として存在しているのだから、一体この国の教授の理解力の格差はどうなっているのかと思う。
まあ、私や岡田氏が念を入れて注文をつけたので、O教授の発言は番組の中で極端に減ったようで、明らかにおかしな発言はなかったが、「古武術介護に初めて科学のメスが入る」という思わせぶりなナレーションが入って、その実態は「腰に近いほど負担が少ない」だとか、「体全体に負担が分散しているから楽に上がる」といった、別に新しいことは何ひとつ解明していない結論を言っただけである。この程度の結論を出しただけで良しとするという感覚が、我々(岡田氏や私)には全く理解できない。
物を持つ時、腰に近いほど負担が少ないという事は、常識という言葉も憚られるほど当たり前のことだし、体全体に負担を分散すれば楽だという事にしても、しごく当たり前の話で、私が「鎧は手に持つより着る方が楽だ」といった譬え等で、いままでも散々言ってきたことである。
普通は体全体に負荷を分散して持とうとしても、それがやりにくく、どうしても腰や肩、腕といった局部に負荷がかかってしまうので、体を壊しやすいわけだから、どうしたら局部に負荷がかからず、負荷が体全体に散らすことが出来るのか、そこを解明してこそ「科学のメスが入った」と言えるだろうに、すでに十分予測のついた事を追認して「科学のメスが入った」と言うのだから、"羊頭狗肉"と言っていい内容だ。しかし、現代はそれが常識なようだ。テレビ局のスタッフも「間違ってはいないですよね」と何度も私に念を押していたから、放映にこぎつけてヤレヤレといったところだったのだろう。
それにしても、何百万円かは、かかったであろう、こうした実験で得た結論がこの程度とは…。
このテレビ番組にくらべれば、川副先生との対談は、遥かに期待がもてる。なぜかというと、川副先生が、対談要旨のなかに9月9日の私の随感録を引用されているからで、それによって、川副先生が同時並列の動きを解明する事の困難さを十分に認識されている事が分かるからである。
しかし、それにしても9月に入ってから、ますますめまぐるしくなってきた私の体の使い方の変化は、特に剣術に於いて著しい。その事は、今日の夕方、かつて鹿島神流の剣術を私が手解きしてもらい、以来三十数年間、武友としてずっと私の変化を見守ってこられた畏友の伊藤峯夫氏の反応からも、知る事が出来る。伊藤氏は、最近の私の剣術の変化を聞かれ、多忙ななか、今日、なんとか、時間をつくって、少し立ち寄って稽古してゆかれたのだが、「いままで、あなたのところに来て、こんなに驚いたことはないですよ。これは本当に革命的だね」と、我が身に起こったことなのに、その事が俄かには信じられないというような面持ちだったのが、大変印象的だった。
そのようなわけで、今週の20日の岡山、21日の福山の講習会は、今までになく剣術に時間をとる割合が多いと思いますので、剣に関心のある方は御自身の竹刀や木刀等をご持参下さい。18日のNHK文化センター神戸、19日の大阪で朝日のカルチャーセンターでも、多分ある程度は剣術の話をすると思います。またそれでも、カルチャーセンターではもちろん、岡山や福山でも御要望に応じて体術や介護法、また希望の方があればスポーツへの応用等の実演と説明も致します。
ただ、技によっては説明が殆ど不可能か、きわめて分かりにくくなっていると思いますので、何とぞ御了承下さい。
以上1日分/掲載日 平成20年9月16日(火)
動きに関する新しい気づきは、まだ続いている。
その為、その次を次をと追究したい思いが、抑えがたくなって、どうしても稽古に毎日時間をとってしまう。
そのため、ただでさえ時間が無いなか、稽古に時間を使うので、遅れがちな仕事は更に遅れ、予定を断念したものも少なくない。
その上、この年令で毎日、しかも今までにない実験的な体の使い方をするから、体じゅうが筋肉痛で、朝起きる時、布団から起き上がるのが一苦労。それでも起きて一時間もすれば殆ど気にならなくなるから、それは有り難い。ただ、さすがに睡眠時間を今までより長くとらないと疲れが抜けないようだ。したがって、起きている間の忙しさは、更に拍車がかかってくる。
こうなると、いろいろと不義理が重なる上、仕事上のミス、たとえばダブルブッキングなども起こりかねませんので、約束のある方はどうか確認のお電話をお願いします。
また今回、20日の岡山、21日の福山での講習会は、私一人で参ります。参加される方で、剣術の実演説明のための、木刀や竹刀を、貸し頂ける方がいらしたら幸いです。
以上1日分/掲載日 平成20年9月17日(水)
17日から、中国関西地方を行ったり来たり。
今日、再度岡山に入って、講習会の後ホテルに帰ってから、甲田医院の甲田光雄先生が、お亡くなりになっていたことを知り愕然とする。ちょうど、あるところで、甲田先生との対談の企画が進行中であっただけに、ご逝去は本当に悔やまれる。
心からご冥福をお祈りしたい。
それにしても、先月は、自然農法を切り開かれた人物として知られている福岡正信翁もお亡くなりになり、科学的思考に毒された現代人の常識を覆す道を実地で示された先駆者として、得難い方々が相次いで亡くなられると何だか追い立てられているような気分になる。まあ、それでも、人間死ぬまでは生きているのだから、とにかく自分自身 が、より納得のいくように日々を過ごして行くしかなさそうだ。
以上1日分/掲載日 平成20年9月21日(日)
西日本をまわって22日に帰宅すると、山のようにやることがあって、それと格闘しつつも、技の進展にも手が離せなくて、ついつい稽古に時間を割いてしまう。
剣術の方は、24日、剣道五段のH氏と久しぶりに技を合わせてみて、驚くような発見があったし、今日25日も、ちょっと他の用事で来館した人と手を合わせ、いままでにない気づきが今度は体術であった。
ただ、どちらも、なぜそうなるのかについては、もう、とても論理的に上手く説明することは出来そうもない。山のような譬えを駆使しても、文字で書くとどこまで伝わるか…。
まあ、それでも何とか多くの人達が常識的に思い込んでいる運動法則とは異なる世界がある事は伝えてみたいと思うし、その表現方法をこれから考えて行きたいと思う。
すっかり秋めいてきた今日、バジリコから茂木健一郎氏との共著『響きあう脳と身体』の見本本が届く。明日27日の新潟での講座を控え、さまざまな用件に囲まれているため、ロクに目も通せていないが、ある程度言いたいことは言えた本になった。
版元のA氏によると、書店からの関心も高く、初版一刷りは刊行と同時に注文の入って来た書店にすぐ届けるので、在庫が殆ど残らなくなるため、異例の刊行前の二刷り決定をしたとの事。
この本は、10月2日に取り次ぎに入り、早いところで3日には店頭に出るらしいが、「二刷りが出来る前に売り切れになるところが出るでしょう」とのこと。
御関心のある方は、書店に早めに行かれるか、予約をしておいて頂いた方がいいと思います。
以上2日分/掲載日 平成20年9月27日(土)
28日の新潟と29日の佐渡であった講習会は、それぞれに私自身おおいに得るところがあったが、その得たものは、まったく種類の違ったものであった。
ただ共通しているのは、その貴重な体験と気付きは、いずれも、講習会でも打ち上げの席でもなく、講習会も打ち上げも終った後にあったという事である。
28日の新潟では、打ち上げも終ってホテルに帰ってから、最近の私の剣術の展開に並々ならぬ関心を持っているS氏と、ホテル近くの信濃川にかかる万代橋の側の川土手の上で、竹刀を交えて技の研究を行なった。S氏は、私の剣術に単に関心が高いというだけではなく、S氏自身、体幹部、体全体で動ける感覚と技を、人並み外れて育て上げられており、打ち上げの席で落ち合って、私も是非S氏と動きを合わせたいと思っていたのである。
しかし、打ち上げは、打ち上げで盛り上がったから、信濃川の川風に吹かれて、S氏と竹刀をとって向き合った時は、すでに午前1時半をまわっていた。それから3時までの約1時間半、それが、とてもそんな長い時間には感じられぬほど集中して稽古をする事が出来た。
稽古をしていて、実に不思議だったのは、お互いに感想や意見を言い合ったりして稽古していたにも関わらず、まるで一人稽古をしているような、つまり「ああ、こういう構えはまずいな」とか、「この間のあけ方に問題があるのか」「わあ、本当に足元が居ついたら駄目だな」という感じが、私が一人で深夜に道場で自分の動きを検討している時に大変似ていたからである。この間、何とか相手に対抗しようという競争心は皆無といってよく、まるで鏡に写った自分相手に、自分で動きを検討している感じだった。誰かと剣をとって、向き合って稽古した事は、いままで数えきれないほどあったが、このような感覚で稽古した事はまったく初めてで、S氏の感覚の良さをあらためて深く認識させられた。
3時を過ぎた頃、パトカーの警報が聞えたので止めたのだが、それがなかったら3時半まではやっていただろう。
もっとも職務質問される場合も考え、茂木健一郎氏との共著『響きあう脳と身体』の見本本の他、私の身元を明らかにする資料を若干持っては、行っておいたのだが、それらの出番もなく無事に終わった。
そして、翌28日は佐渡での講習会。今回ここでの会はスポーツ関係の方々からの招きであったため、その方向に特化しての講習となったが、滅多に得られぬ気づきは、そうしたスポーツに関する技術的な事では全くなく、私が武術に志すキッカケとなった「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」という、私の人生最大のテーマに関することであった。
そもそもこの私の人生最大のテーマが、なぜ打ち上げの席で出て来たかというと、現在発売中の『モーニング』誌に連載されている井上雄彦氏のマンガ『バガボンド』のなかで、前号から、いま発売中の号にかけて、沢庵和尚が、私の抱えている、この人生最大のテーマのセリフを武蔵に向って言っているという事が話題になったことがキッカケになっている。
そしてその時、以前から私の講習会を受講しているW氏が、どうしてもこの「決まっていて、同時に自由」と言う事に納得がいかないというので、打ち上げが終った後、さらに時間をとって、この事に関して話を続けた。もちろんW氏の質問が通り一遍の浅いものであったら、私も時間をとって話す気もしなかったと思うが、W氏の質問には相当に練り込まれた苦労が感じられたので、私もW氏に話をする事によって、私自身の中も掘り下げられそうな気がしたのである。そこで、疲れてはいたが、時間をとってW氏と同行のY氏に話をし続けることにした。
そして、話をしているうち、途中、精神科医の名越康文氏から電話があって、名越氏にも、これに関連した事を話しているうち、初めて今までとは違った位置から、この問題を見直してみることが出来て、思いがけず新たな気づきがあったのである。
それは「人間の運命は完璧に決まっている」事と、「完璧に自由である」という事を、いままで同次元というか同じ世界のなかで論じていたため、どうしてもこれを聞いた人が、最初からその矛盾が気になって、それ以上取り組もうとする気がなくなってしまう問題があったという事である。この事を、あらためてW氏に真剣な表情で問い直されてみて、私も気づいたのである。
つまり私は21歳の時、私のなかに生まれた抜きがたい実感があって、それを無理にでも言葉にすると、「人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由である」というふうになったのだが、これを、28日の夜遅く佐渡で、あらためて考え直して、言い直すと、「人間の運命は完璧に決まっていると思う。しかし、人間の運命が完璧に決まっていようといまいと、生きている実感というのは、それとは関わりなくあるのであって、その生きている実感と、ちゃんと向き合えれば、人間の運命が決まっていようといまいと、そんなことは別にどうでもいい、大した問題ではない」という事になるのだと思う。
思い返してみれば、三十数年前、私が武術に志したのは、運命が決まっていようがいまいが、いま打ち込んで来られたり、突き込んで来られたら、頭でどうこう思うよりも何とかしようとする自分がいるわけで、そうであるならば、運命が決まっていようがいまいが、とにかく動く体というものの側から、この問題を考えようと思ったはずなのである。
つまり、話に聞く"夢想剣"とか"無念のうちの動き"というものから、人間の運命が決まっていようがいまいが、それに捉われることなく自分が生きていることの確かさを得たいと思った筈なのである。るったと思う。ただ、決まっている、決まっていないに、関わらない、と思いながらも「自分で力強く運命を切り拓く」といった方向に行かなかったのは、そうした大それた、というか不遜な考えは持ちたくないと思ったからだと思うし、自然の圧倒的な力と働きを、深く実感していたから、運命は決まっているという前提に一応立ったのだと思う。しかし決まっていようがいまいが、生きている確かさを得たら、そんな「決まっている」とか「いない」という事は別にどちらでもいいことになって、そうした悩みの根本が消えてしまうとも確信した筈なのである。もっとも、正直に言えば、当時そこまで掘り下げて考えていなかったかもしれないが、今にして思えば、つまりはそういう事だったのだろうと思うのである。
この問題については、更に深く検討したいと思いますが、とにかく今、いくつかの実に切迫した用件を抱えていますので、本日のところはここまでにしたいと思います。新潟、佐渡でいろいろお世話下さった方々、にあらためて深く御礼申し上げます。
以上1日分/掲載日 平成20年9月30日(火)